「自分は弱い」ことを隠すのは、もうやめよう

いきなりですが、みなさんは「自分は弱い人間である」と認められるでしょうか。
人間はみな「弱い生き物」だと思います。こう書くと強くなりたい、自分はすでに強いんだ、と言う声が上がりそうなものですが、では「強い」ってどういう状況を示しているのでしょうか。一番上に立つことで、人間は自動的に強くなれるのでしょうか。
自分を強く見せられる、簡単なひとつの方法
これまで自尊感情を通して物事を考えてきて、ぼくは「自分が弱いことを素直に認められる人」が、何よりも強い状況を示しているのではないか、と思うようになりました。
自らの弱さは簡単に隠せます。以前「炎上」の記事で書きましたが、人を見下したり、権力を誇示すればいいだけです。たったそれだけで傍から「この人は強い(偉い)」と見られるようになります。だけどそれは単に強く「見せている」だけなので、実際はなにひとつ強くなった訳ではありません。だから、見下している相手が自分に抵抗すると、とたんに自分の弱さが露呈します。
で、弱さが露呈してしまうとどうなるかと言えば、お前より自分の方が偉いんだ、オレに反抗すると痛い目に遭うぞ、と見下している相手にさらに権力をアピールする訳です。それでも反抗してくるならば、力で押さえつけることもあるでしょう。要するに、暴力です。
みなさんの身近にもこんな人いるかもしれません。こういう心理が発端となって悲惨な事件も起こっています。自分は弱い人間だ、と自分で自分を認めてあげることで、悲劇も防げるのではないか、と思います。「自分が弱い」のを認めることで、もし誰かが自分より上に立とうとするならば、その人は間違いなく「自分も弱い」ことを隠しているでしょう。
自分で自分を認められる、ということ
初めに問いかけておいて言うのもどうかと思いますが、自分は弱いです、力がないです、なんてなかなか認められることではないと思います。自分で自分を認めたい、でもそれができない・・・という苦しさでもがいている人を、この目で何人も見てきました。
すべてを認められないなら、できることから自分を認めてあげるのも大事だと思います。自分は弱い、けどそれでいいんだ。弱いなりにやっていこう、という気持ちや、それを受け入れられる気持ちが今、現代社会に足りていないような気もしています。
これは決して、「弱いことを盾に逃げ回れ」ということではありません。もちろん逃げるという選択肢が正解な場面もありますが、何か行動を起こすときに「自分はこうだから・・・」と弱さを持ち出して動こうとしないさまは、アドラー心理学では「劣等コンプレックス」として明確に問題視しています。
自分で自分を褒め、自分を許し、あるがままの自分を認めてあげると、人生を見る目がまた少し変わるかもしれません。