なぜ「ペンフレンド」は来なかった?―あの名曲から考える自尊感情
爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」という曲をご存知でしょうか。
「大きな玉ねぎ」とは、東京にある日本武道館の屋根の上にのっかっている「擬宝珠」のこと。この曲は、まだ1度も会ったことのないペンフレンド、つまり文通をしていた相手になけなしの貯金で買った日本武道館でのコンサートのチケットを送ったものの、当日武道館に文通相手が来ることはなかった、というちょっと切ない曲です。
当時は携帯電話なんてものがなく、外で連絡する手段が公衆電話くらいしかなかった時代。待ち合わせた相手が来ないと延々と待ち続ける必要があったんですね。もちろん、寝坊した!とか行けなくなった!と連絡する手段もありません。
ところで、なぜペンフレンドは来なかったの?
さて、この曲で一番気になるのは、やはりなぜあの日ペンフレンドは日本武道館に現れなかったのか、ということ。
もちろん、当日何かしらの急用が入ったことも考えられるのですが、会う勇気がなかったとか、いろいろと不安になったとか、こういうことも考えられるわけです。どれだけ文通を重ねていたとしても、結局は「手紙」のやり取り。自分の思いを発信しても、数分で相手から返事が来るわけではありません。何日も待つことになります。
いくら何度も文字でやり取りしていても、結局はどんな人か分からない。社交性感覚がはぐくまれにくい環境だと思います。ペンフレンドにも会ってみたいという感情があったと思うんですが、同じくらい会うのが怖い、という感情もあったのでしょう。「主人公の前に現れない」という選択を取るまでの間にも様々な葛藤があった気がします。
まだ会ったことがないペンフレンドに恋をしていた主人公。彼女が来るはずだった席は結局最後まで空席のまま、主人公は気もそぞろで心の底からコンサートを楽しめなかったはずです。「今、そのとき」を楽しめなかった主人公はアンコールの拍手の中武道館を飛び出し、憔悴の思いで涙を浮かべ、九段下駅へ向かうなだらかな坂を下ったのでしょう。
しかし、この曲にはアンサーソングがあり、そこにはペンフレンドがその日武道館に足を運んでいたことが想像できる歌詞があります。ペンフレンドが武道館に来たのは「最後の曲」の最中。主人公は「アンコールの拍手の中」武道館から去っているので、ひょっとしたら主人公がアンコールもちゃんと観ていれば、ペンフレンドに会えた可能性も・・・?
聴けば聴くほど切なくなるこの曲。チケットが届いたときペンフレンドは何を思ったのか、主人公はどんな気持ちで席を立ち、日が暮れた千鳥ヶ淵を歩いていたのか、正解の出てこない「曲の歌詞」から自尊感情やお互いの思っていたことについて考えをめぐらすのもまた、一興かもしれません。
先日東京へ行った際、九段下駅から日本武道館あたりに立ち寄る機会があったので、こんなエントリを書いてみました。