良かれと思ったその行動が、不登校の子どもを傷つける

大人って、すぐ事を大きくしようとするやん。それが嫌やねん。
これは、先日とあるワークショップに参加したとき、同席した中学生が発言したもの。「やから大人って信用できひん!!」と、とどめの一撃も飛び出し、僕は思わず言葉を失っていました。
僕自身にも覚えがあります。高校入試が迫るある秋の日、フリースクールのように通える高校があることを中学校の副担任の先生が教えてくれました。この副担任は長年進路を担当されている先生だったので、経験から「ここならヤマモトくんに合っているだろう」と教えてくれたのは理解していました。
しかし、そのことを親に話すと、親はなぜか怒り出して学校に電話をかけました。そのとき「副担任が迷惑だった」という気持ちは微塵もなく、むしろそんな学校もあるらしい、ということを伝えたかっただけなのに。学校への申し訳なさと親への恐怖感で、涙ながらに親を止めたことをよく覚えています。
先日、こんな本を読みました。
LGBTや自殺など、アメリカで実際に起こった3つのいじめ問題を取り上げたノンフィクション。このなかで、モニークという女の子のエピソードが、非常に心に残りました。
髪型が発端で上級生からいじめを受けるようになり、不登校となったモニーク。その様子を見て、家族は警察や行政をも巻き込んでこの問題を解決しようとします。しかし、学校側の対応の悪さもあって、モニークはSNSなどでさらにひどいバッシングを受けることになります。
「良かれと思って」起こした行動が、結果的に娘をかえって苦しませることになってしまったわけです。
とくにいじめ問題の場合は、大人が動きを一歩間違えると「おまえチクったな」などとさらに逆恨みされてしまうことがあります。それくらいナーバスな問題ゆえに、被害に遭う子どもたちも大人を心配させちゃいけない、これ以上悪化するのがこわい、と胸の奥にしまいがちです。
しかし、大人が「よくぞ言ってくれた!この問題の解決は自分にまかせろ!」と意気込んだところで、子どもがそのような解決という形を望んでいるとは限りません。むしろ、大人が首を突っ込むことでモニークの一例のように事態が悪化してしまうリスクもはらんでいます。
冒頭取り上げた中学生も「問題を解決するんじゃなくて、ただ話を聞いてくれるだけでいいのに」とこぼしていました。
長く京都を拠点に不登校問題に取り組んできた春日井敏之先生(立命館大学)も、『思春期のゆらぎと不登校支援―子ども・親・教師のつながり方』という著書において、子どもと関わる上で「解決請負人にならない」と書かれています。
悩み苦しむ子どもを救ってあげたいという気持ちはよくわかります。しかし、できないものはできません。知識や背景も知らないまま問題解決に取り組もうとすると、かえって大怪我してしまう危険が伴います。みんながみんなスーパーマンではないのです。
もしも力になりたいのなら、まずは子どもが一体何を求めているのかをいっしょに考える。そのうえで、どうしても自分で解決できない、関係機関への連絡が必要になってくる場合は、必ず子どもの同意を得てから動くことがとても大切です。それは、親子の信頼関係を築くことにもつながります。
春日井先生もそのことについて、トラブルの相談に来た生徒からひととおり話を聞くとまず「じゃあ先生は何をしたらいいのか」を問うそうです。すると「何もしていらん、聞いてくれてありがとう」と生徒が帰っていくこともあるのだとか。
むやみやたらと解決策を練るよりも、ただじっくりと話に耳を傾けることのほうが大事です。そんなことでいいの?と逆にびっくりするかもしれませんが、春日井先生の例のようにむしろ子どもたちはそれ以上のものを望んでいない、というケースもたくさんあります。
子どもを思って、良かれと思ったその行動。本当に「子どもを思って」の行動でしょうか?もしかしたら子どもは迷惑をこうむっているかもしれません。一度胸に手を当てて考えてみるのをおすすめします。
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