不登校になる原因は、ゴジラにある。〈僕が学校で荒れていたときのはなし〉
「先生、野球部を辞めようと思っています」
中学3年生のとき。
ずっと野球漬けで、プロ野球選手になりたいと思っていた僕は、先生の前に立っていた。
「えっ? どうした?」
先生は、困惑の顔を浮かべ、僕のほうを見た。
「とにかく、もうちょっと考えたらどうや?」
そう言われて、僕は職員室を出た。
いつからなんだろう。
僕自身でもあまり覚えていない。
歯車は、少しずつ狂いだしていた。
中学校は、楽しかった。
部活もおもしろかったし、友達関係も悪くなかった。
勉強も出来たし、学校への不満はほとんどなかったのだ。
でも、どうしてなんだろう?
病魔が体をむしばむように、僕の中には次第に不穏な空気が漂うようになってきていた。
今思うと、予兆はいたるところにあった。
塾をサボることが増えた。
授業を受けず、本屋で時間をつぶしていることがあった。
なぜかわからない。
塾の先生がイヤだったわけでもないし、勉強がしたくないわけでもなかった。
有り体で言えば、足が向かなかったのだ。
「行こう」と思えなかった。
学校は相変わらず楽しく通っていた。
文化祭の劇で主役を張り、体育祭のリレーでも活躍することが出来た。
ハタから見ていると、絶好調だ。
僕自身もそう思っていた。
魔の手が迫っているなんて、まさか思いもしなかった。
中学3年生になろうとしていたとき。
イヤなニュースが耳に入った。
暴力沙汰で謹慎していた顧問の先生が復帰するということだった。
1年生のとき、僕はその顧問の下で部活に取り組んでいた。
しかし、その方針や考え方にどうしても納得ができなかった。
その先生が帰ってくるなら、自分は部を去ろう。
そう決心して、もう1人の顧問(当時、担任)に伝えた。
「もしかして、あの先生のことか?」
彼にはお見通しだったのだろう。
「いや、受験に専念したいからです」
ウソをつき、僕は部活を辞めた。
(「いつでも来ていいよ」と言ってもらったので、例の先生がいないときには、たまに部活へ参加した)
それがキッカケだったのかは、自分でもよくわからない。
でも、中学3年になって僕は荒れるようになる。
暴力をふるったりすることはなかったけれど、誰とも話したくなかった。
自分でもどうしてなのかわからなかったけれど、一人きりになりたかった。
授業は、全て寝ていた。
優しさで起こしてくれるクラスメイトを僕は思いっきり睨んだ。
「俺に構うな!」とでも言うみたいに。
当たり前だけれど、そんなヤツに対して、周りは次第に距離を置くようになる。
僕は、クラスで誰とも関わらないようになっていった。
寂しいという感情はなかった。むしろ、静かでほっとした。
朝、学校へ行く。
寝て、気がついたらみんなが下校していることもあった。
誰もいない教室で弁当を食べて、帰宅した。
なにかが確実に狂っていた。
自分の殻にこもり、勉強や本に没頭する。
その時間だけが僕にとっては至福だった。
なににも、誰にも煩わされない時間。
学校に行かないという選択がなかったので、学校には毎日行っていた。
しかし、僕は高校生になって不登校になった。
中学生のとき、学校に行けなくなる予兆はあったのだ。
今になって、ようやく少しずつ原因がわかってきた。
でも、当時の自分は全然わからなかった。
どうしてこんなにイライラするのだろうかと。
僕は、誰にも自分がわかってもらえない苦しさで、もがいていた。
親や先生が悪いというわけではない。
もう、ただ「わかってもらえない」という気持ちが、いろんな場面でおこっていた。
わかってもらえないときが増えるたびに、ガックリと肩をおとす。
何度も繰り返すうちに、「またか」と思い、だんだん期待しなくなる。
期待は落胆に変わり、絶望になる。
結果、「どうせ誰もわかってくれない」と思う。
誰とも話さなかったのは、僕のストライキだった。
「わかってもらえないならいいだろう、こちらにも考えがある。誰とも話すことはない」と言わんばかりに、頑なになった。
そうやって、僕は心を閉じるようになり、最終的には“学校へ行かない”という選択をとることになる。
今、僕はNPOを立ち上げ、そんな不登校でもがいている子どもたちに向かって仕事をしている。
外へ出られない子には、家まで行って話を聞く。
行く場所がない子のために昼の居場所をつくった。
不登校の保護者さんからの悩み相談は後を絶たない。
僕は、もしかしたらあのまま学校にも行かず、ドロップアウトしていたかもしれない。
たくさんの人に支えてもらったから、今の自分がある。
その人たちにそのまま還元することは難しいから、僕はいただいた恩を“恩送り”という形で返していきたい。
まるで過去の自分へ向けて書く手紙のように、僕は過去の自分が欲しかったサービスを作り続けている。
自分のことをわかってくれる人が欲しかった。
応援してくれる人を求めていた。
落ち着く場所に行きたかった。
だからこそ、今この仕事をしている。
僕には、この仕事をしなければならない使命がある。
学校へ行けなくて苦しんでいる子たちへ、手を差し伸べる義務がある。
自分自身がしんどかったからこそ、不登校で苦しんでいる子どもたちの気持ちがわかる。
どのようにして欲しいかもわかる。
不登校というのは、ゴジラが現れた世界でおろおろしている人々のようだと僕は思う。
人々は、ゴジラを見たとき、困惑する。
「なんだあれは?」
「なにがどうなっている?」
ゴジラがまちへ侵略してくると、とにかく逃げる。
もう、わけもわからず。
しまいには火を吐いてくる。
こうなると、もうパニックだ。
人々は、命もからがら逃げだそうとする。
不登校の気持ちは、まさにこんな感じだ。
まず、“訳が分からない”ところから始まる。
体調の異変や心がなんだか変な感じがする。
次に、わけもわらず逃げる。学校という場から逃げる。
どうして逃げているのか自分自身でもわかっていない。
とにかく、なんだか危険な気がするのだ。
不登校になる子の気持ちを端的に表現すると、“混迷”だ。
心が迷う。わけがわからなくなってしまう。
学校へ行けない理由が明確にわかっている子は、多くない。
僕自身も、学校には行けていたものの、どうしてあんなに苦しかったのか全くわからなかった。
不登校や心について学び、子どもたちと接する中でやっといろいろわかってきた。
心が迷っている子と話をし、モヤモヤがなくなるようにしていくのが僕たちの仕事だ。
ゴジラが見えない人にとっては、子どもたちがなににおびえているか理解ができないだろう。
「ガンバれよ!」と思うかもしれない。
でも、そんなことは不可能だ。
彼らの心には、実際にゴジラが侵略してきているのだから。
今にもズタズタに踏まれそうになっていて、そこから必死で逃げているのだ。
家でダラダラしている?
バカ言ってはいけない。
彼らは、闘っているのだ。ゴジラから、命からがら逃げようとしている。
勇気を出して、ゴジラに立ちむかっていったらどうなるか?
きっと命を落とすことになるだろう。
現実にも十分にあり得る。
逃げるのも1つの勇気だ。闘う選択肢だ。
僕はそんな勇気ある子どもたちを守ってあげたい。一緒に闘ってあげたいと心から思っている。
学校へ行けないからって焦る必要は、全くない。
勉強なんて、どうにかなる。
高校をほとんど行っていない僕でも、浪人して立命館大学へ入学することができた。
後から取り返すことなんて、いくらでもできる。
だから、今はとことんゴジラから逃げたらいい。
目に見えない恐怖が襲ってこない場所まで、駆けていけばいいんだ。
こんな僕でも、大学へ行って、NPO法人を立ち上げることができた。
代表として、なんとか仕事をすることもできている。
ほんとは不登校になんてなりたくなかったし、みんなと同じように学校に行けたらよかったなと思う。
でも、仕方ない。
そういう運命だったのだろう。
不登校は、誰が悪いというわけでもない。
たまたまなにかの要素が絡み合い、行けなくなってしまっただけだ。
僕は、学校へ行けないとき、先が全く見えなかった。
暴風雨の中で車を運転しているように、視界が悪く、今を生きるのに必死だった。
学校の先生は、「しんどいことがあればいつでも言ってくれ」と声をかけてくれたけど、できなかった。
なにがしんどいのか。
どこで困っているのか。
自分自身に答えを持っていなかったから。
だから、ただ全力でゴジラから逃げることしか出来なかった。
あれから、16年。
年齢は、高校生の倍になった。
不登校になった僕は、今、不登校の子どもたちへの仕事をしている。
語弊を恐れずに言おう。
不登校の子どもに会うたびに僕は心が踊る。嬉しくてたまらなくなる。
保護者のかたから相談を聞いていると、自然に顔がほころんでしまう。
中高生のとき、僕はほんとに苦しかった。
しんどかった。つらかった。
原因もわからず、ただもがいていた。
今、ぼくは同じように苦しんでいる子どもたちに手を差し伸べることができる。
あの苦しみから解放させることができる。
犯人から人質を助け出すように、僕はゴジラから逃げている子の手を握って、安全な場所を連れて行くことができる。
これってまるでヒーローじゃないか?
僕が子どものときに待っていたヒーローに僕はなれているのかもしれない。
そう思うと嬉しくてたまらないのだ。
子どもたちを笑顔に出来ている事実が僕に勇気と自信を与えてくれる。もっとガンバろうと思える。
待っていてくれ。
不登校で苦しんでいる子たちよ。
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