「本人抜き」ではありえない、不登校支援

「すみません、子どもがどうしても首を縦に振らないので・・・」
とあるNPOの居場所事業に見学希望された保護者の方が、前日になってこんなメールを送られました。
どうやらその保護者の方は、我が子が自分を見失い毎日とてもつまらなさそう、ここならばなんとかしてくれるかもしれない、とお子さんに了承を得ることなく見学を申し込まれたんだそうです。すると子どもが見学を嫌がったので後日にさせてください、ということでした。
子どもの様子に焦って、とにかくなんとかしてあげたいと勝手に親が動いてしまうことは、どうやらよくあるようです。考えてみれば僕も不登校の始まりのころ、家にスクールカウンセラーの知らないおばさんが来たことがありました。もちろん、僕は会って話をしたいとは一言も言っていません。
今思えばそのスクールカウンセラーの方にはたいへん申し訳ないことをしましたが、当時はとにかく会いたくない、という一心で、結局スクールカウンセラーの顔も見ずにお引き取り願いました。結局それ以降、そのスクールカウンセラーとはお会いしていません。
この間モラルハラスメントに関する本を読んでいたのですが、そこに「あなたのためを思ってやっているのよ、というのは一種のモラルハラスメントである」という一節を見つけて、不登校支援も一歩間違えれば「モラルハラスメント」に当たっちゃうかもしれないなあ、と思ったりしました。
「あなたのため」というものが、必ずしも「あなた」にとって役立つものとは限りません。先述の僕のスクールカウンセラーの話も、親としてはきっと専門家が間に入ることで息子が楽になるかもしれない、学校に行くかもしれないと思ったのでしょう。そして頑なに顔を見せない僕に親はとても困ったと思います。
でも、さっきも書きましたが僕は別にスクールカウンセラーに会いたくはなかったのです。むしろ、「知らないおばさん」(と言っては失礼ですが)になんでわざわざ会わなくちゃいけないのか、何もしゃべりたくない、という気持ちでいっぱいでした。
親が「子どものためを思って」起こした行動は、このように時として子どもの思いと反することになってしまい、結果的に失敗することも多々あります。それは、こういうスクールカウンセラーなどへの面談はもちろん、進路や居場所に関することについても同様です。
こういう事例を防ぐために、不登校向けの進路に関しては近年では「本人」という条件が必須な場合が多くなってきました。
たとえば、30年以上の実績があるフリースクール「東京シューレ」では、「学校に行けないのならばこういう場所へ行け、と親は圧力をかける。でもこういう場所へ来たくない子どもは劣等感を持つ」という子どもからの指摘で、入会条件として「本人が同意すること」という文言が加えられました。
以降、東京シューレでは「親の希望ではなく、本人の希望が原則」というルールの下、生徒たちが集まるようになっています。(参考:奥地圭子(2015)『フリースクールが「教育」を変える』東京シューレ出版)
また、不登校経験者の生徒が多い通信制高校でも、入学や転入に際しては本人による学校見学を義務付け、それが確認できない場合は入学資格をそもそも与えないシステムを採っている学校もあります。
当然ですよね。フリースクールや通信制高校に通うのは、あくまでも「親」ではありません。親が関わるならば保護者会などで後方支援する程度であり、毎日その場所に通うのは親ではなく「子ども」です。学校に行けないからと言って他の場所へ強制的に通わせるのは、何の意味もありません。
前述した「東京シューレ」の奥地先生はこのことについて、自分の子どもの育ちに向き合わずに、預け先を探しておまかせ主義を貫くというのも、不登校支援としてまったくうまくいかないことを『フリースクールが「教育」を変える』で指摘されています。
居場所を失う子どもたちになんとかしてあげたい、と焦る気持ちは十分理解できます。しかし、親と子で「求める場所」や「焦る気持ち」が一致するとは限りません。ひとつ冷静になってから、子どもが望む進路、場所を探すお手伝いをしてあげてほしいと思います。
ちなみに、D.Liveでも「お昼の居場所」、やっております!
D.Liveでは、毎週月曜・木曜の午前~昼の時間帯、JR瀬田駅近くの「マグハウス」にて不登校の子どもたち向けの居場所事業「昼TRY部」を行っています。
迷惑をかけなければ何をしても良い、というルールの下、スタッフも交えてボードゲームに興じたり、勉強したり、ときにはみんなでランチを作る、なんて日もあります。
昼TRY部について詳細は こちら をごらんください。
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