卒業生から一通のメッセージ。思わずぼくは声をおさえて泣いた
夕方、フリースクールの生徒たちを帰したあと、一人で翌日の準備をしているところに一通のメッセージが届いた。
「〇〇日って、やってるー?」
メッセージは、ぼくたちが運営している子どもの居場所のOBからだった。
普段、ぼくは生徒やOBからのメッセージを見たらすぐに返事をするようにしている。けど、このOBからのメッセージは、すぐには返せなかった。メッセージを読んだあと、画面を閉じて、スマホをテーブルに置き、ふうっと深く息を吐き出してからもう一度メッセージを見た。
じわじわと嬉しさが込み上げてくるのが自分でもわかった。
「ごめんな。〇〇日はお休みやねん。なんかあったのー?」
返事を打ったら、すぐに向こうからも返事が来た。
「めっちゃ嫌なことあったから愚痴りたくてさー」
この文面を見た瞬間、ぼくは目頭が熱くなって、涙がポロポロこぼれてきた。誰かに聞かれることもないのに、ぼくは声を押しころして泣いた。
「メッセージくらいで泣くなんて大袈裟な」と思われるだろうから、少しだけ説明させてほしい。
あまり詳しいことは書けないけれど、実はこのOBの保護者さんから「もうそちらには行けないと思います」と去年の秋頃に連絡をもらっていた。
理由は、本人や周りの力ではどうしようもないことだった。どうしようもないからこそ、連絡をもらったぼくは無力感でいっぱいだった。辛さやしんどさを抱えている人が、自分の力の及ばない事でどんどん辛さやしんどさが増していく。そんな社会への怒りも感じた。
「子どもの自信が育つ居場所をやっています」なんて言ってみても、社会や制度が変わらなければ一人も救えないのかと、保護者さんから連絡をもらった一ヶ月間、ほぼ毎日のように思っていた。
それでも通い続けてくれる子どもはいるし、投げ出すわけにもいかないから居場所をつづけている。
そんな状況で届いたOBからの「愚痴りたい」というメッセージ。
この仕事をしていてよかったと心から思えた。法人がスタートして10年。こんな風に、思わず泣いてしまうくらいにやりがいを感じたのは、これまで3回か4回くらいしかない。
児童福祉や子どもの居場所づくりを担っている界隈では、物理的な(あるいは機能としての)居場所があるのが大事なのではなく、子ども達が「ここが自分の居場所」と思える居場所になることが大事だと言われている。
そういう意味では、このOBにとって、ぼくたちが運営し続けてきた子どもの居場所は間違いなく「居場所」になっていた。
「居場所がある」のではなく、「居場所になる」。
このことの意味が少しわかった気がする。
たとえるなら、地元のツレになるような感覚なんだろう。実家に帰るとき、「あいつどうしてるかな?ちょっと久しぶりに会いたいし連絡しよ」なんて思える地元のツレ。そんなツレになれるくらい、楽しくて親しめる関わりを続けていくことが「居場所になる」ことなんだと、今は思う。
だからこそ、無力感で心がいっぱいになっても投げ出すわけにはいかない。このOBだけじゃなく、関わっている子ども達や、これから出会うだろうまだ見ぬ子ども達のためにも、継続し、充実させていきたい。
このOBにしても、連絡をもらったのはぼくだけど、ぼく一人の頑張りでは地元のツレのような親しい関係にはなれなかっただろう。手伝ってくれるボランティアさん達のおかげだ。ボランティアさん達が、それぞれの距離感で手を替え品を替え関わり続けてくれたからこそ、今回のメッセージにつながったと思う。
この2月は、バレンタインに合わせたチョコっと募金キャンペーンをおこなっている。皆様からいただいた募金を新年度のボランティアさんの交通費や採用、研修に使わせていただくためのキャンペーンだ。
ここ最近は、物価の上昇や、寄付を募ることのネガティブな印象、NPOの悪いニュースなどが続いている。こんな状況の中で寄付をお願いしても良いんだろうかと、キャンペーンを始める前は悩んだ。
悩んだけれど、これからも質の高い居場所を作り続けるためにキャンペーンをスタートさせた。どうしてもスタッフだけでは不十分で、ナナメの関係で関わってくれる年の近い大学生さんが子ども達には必要だからだ。
2月28日(火)のキャンペーン終了まで残り1週間。目標まで50%ほど。
ここまで話してきたOBみたいなことは、自分にとって奇跡みたいな出来事なので同じようなことはもうないかもしれない。けれど、卒業した子ども達が「また話したいな」「久しぶりに行ってみようかな」と思える、地元のツレみたいな居場所にはなれる。
新年度も大学生のボランティアさんを迎えられるよう、チョコっと募金キャンペーンへのご協力をよろしくお願いします。