自分のことが好きになれないあなたに知って欲しい自己肯定感

あなたは、自分のことが好きだろうか?
「自分のことが好きですか?」と聞かれて、「はいっ!」と手を高くあげることが出来るだろうか?
正直、僕には理解が出来なかった。
どうして、声高に「好きっ!」と、答えられる人がいるのかと。
「自分を好き」って言える人がうらやましく、そう思えない自分はダメな自分だと思っていた。
きっと、自信満々に「好き!」と言える人は、自分みたいにイヤな部分がなくて、素晴らしい人なんだろうな。
そんな風に思っていた。
もっともっとガンバって、イヤな自分を無くしていけば、きっといつかは「自分を好き」と言えるのだ!
そうに違いない!
そう思って、必死に必死にもがいていた。
しかし、1つの考え方を知り、僕の考えは変わった。
僕は、「自分を好きになる」というのは、「お気に入りの服を着る」ことと同じだと思っている。
ファッションとは、〈流行。はやり。特に、流行に即した服装・髪型など。〉であり、あくまで流行に過ぎない。
人は、「流行っているから」という理由で服を買う。
欲しいものなら、それでいい。
けれど、「流行っているから」「みんな着ているから」という理由だけで、服を選ぶのは果たしていかがなものなのかと男性の僕は思うのだ。
流行は大事かもしれない。
「今年は、オレンジが流行ります」と言われると、どうしてもその服はショップにたくさん並ぶし、欲しくもなるのかもしれない。(理解はできないけど)
しかし、「それ以上に大事なものがあるのではないのかっ!!」と僕は強く思う。
流行っているから着る。
オシャレに見えるから着る。
女優の誰々が着ていたから着る。
そうじゃない。
大切なのは、「ああ、この服いいなぁ」「この服、好きだなぁ」と思うあなたの感覚だ。
『人生がときめく片づけの魔法』の著者である“こんまり”(近藤 麻理恵さん)は、「“ときめく” or “ときめかない” で物を捨てるかどうか判断しましょう」と話す。
服を買うときも同じ。
試着して、ときめくのか。
服を触っていて、ときめくのか。
「ときめく」という感覚がなにより大事だと僕は思うのだ。
お気に入りの服、好きな服は着ているだけでテンションが上がる。
なんにでもなれそうな、どんなことでもできそうな、そんな錯覚を引き起こす。
人にどう思われるからじゃない。
誰がどんな服を着ているからじゃない。
流行っているとかじゃない。
そうじゃない。
そうじゃないんだ。
自分が着たいから着る。
自分が「好き」と思うから着る。
着ててワクワクするから着る。
人が決めたルールや流行なんて、どうでもいい。
大切なのは、自分だ。
オレンジが流行っていようが、自分が黒の服を好むのであれば、着ればいい。
年相応の格好?
それがどうしたっ。
周りは関係ない。
他人の評価も関係ない。
服装とは、そもそも評価できないものだ。
ファッションデザイナーのココ・シャネルは、「みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。」と言った。
人の判断なんてくだらない。
人の評価なんてくだらない。
人の意見なんてくだらない。
自分が着たいものを着る。
自分が着たい服を着る。
それでいい。
いや、それがいい。
「自分を好きになる」というのも、同じことだと僕は思っている。
僕は、今でも「自分のことが好きです」と言えない。
大きな声で「好きですっ!」とは言えない。
でも、それでいいと思うのだ。
僕はずっと勘違いをしていた。
人見知りな自分が見えると、「ああ、自分ってダメだなぁ」と思っていた。
みんなの前で自慢をしている自分を「ああ、イヤなやつだ」と思い、後で落ち込んでいた。
自分の行動、自分の態度、その1つ1つにマルとバツをつけていた。
「今日は、うまく話すことが出来たからマル」
「友達に優しくできたからマル」
「自慢したからバツ」
「初対面の人にうまく話せなかったからバツ」
と、いうふうに。
しかし、そうじゃなかった。
自己肯定感とは、「自分が自分であって大丈夫と思える感覚」と言われている。
自己肯定感とは、「良い」「悪い」と判断をしない。
それは、あなたの服装に対して、「良い」「悪い」と判断する必要がないことと同じように。
白い服が好き。
フリルがたまらなく好き。
それでいい。
そこに優越は存在しない。
あなたがその服を好きならそれでオッケーだ。
「自分」も同じ。
良い、悪いなんてない。
「イヤな自分」「人見知りな自分」が、いても良いのだ。
白い服が好きなのもあなただし、友達の前でつい自慢話をしてしまう自分もあなただ。
でも、それに対して、あれはマルで、それはバツというものはない。
それも含めてのあなただ。
「流行なんて、関係なしで私は白い服を着るのよっ!」と、頑なな感じではない。
「ああ、みんなはオレンジなんですね。でも、私は白い服が好きだから、白を来ますよ」と、いった感じ。
自己肯定感の根幹は、「自己受容」だ。
自分を受け容れること。
まるで土に水が染みこんでいくがごとく、じんわり、じんわりと受け容れていく。
はじめは、イヤな自分を見つけると、いやぁな気持ちになるだろう。
自分を責めてしまうかも知れない。
でも、その必要はない。
そんな自分を「そんな自分でもいいんだっ!」と、無理矢理肯定するのではなく、ただ、ただ受け容れる。
「ああ、こういう自分もいるんだなぁ」と。
イヤな自分がいても、いい。
僕はずっと、自分を好きになるためには、嫌いな部分を全てなくす必要があると思っていた。
でも、そうじゃなかった。
嫌いな自分も含めて、自分だと思うことが出来たらそれでいいのだ。
「自分を好き」と大きな声で言える必要なんて、どこにもない。
別に好きじゃなくていい。
むしろ、「自分大好きっ!」と大きな声で言える人のほうが珍しいなと僕は思う。
イヤな自分もいるだろう。
嫌いなところも見えることがある。
でも、そんな自分も、自分。
なにが良くって、なにが悪いなんて評価する必要はない。
好きにならなくてもいい。
ただ、ただ、今の自分を受け容れること。
「自分のこと、嫌いじゃないよ」と言えれば、それでいい。
自己肯定感を詳しく知りたい人は、『子どもの自信白書』をご覧下さい。