【3.18 講演レポ】僕がひたすらに不登校体験談を発信し続ける理由
「自分のやっていることは、ここまで需要がないのだろうか」
ある夜、京都のとある大きな本屋で、僕は唇を噛んでいた。
不登校に関する本が欲しかった。しかし、情報端末で「不登校」と検索しても、ずらりと並ぶ「在庫切れ」の赤い4文字。わずかに在庫があった本を探しに売り場へ向かうと、本棚の一列に半分くらいしか陳列されていない。不登校体験談を綴った本の左横にあるのは「よくわかる養子縁組」という本だった。
もしかしたら、amazonやネットで本を買うパターンが多いのかもしれない。たしかにそっちのほうが便利ではある。しかし、目次やある程度の中身をパラパラっと眺めた上で本を買いたい僕は、この広大な売り場で不登校の本がこれだけしかない事実を受け入れるのに、ものすごく時間がかかった。
昨年末から、毎週のように不登校についてのコラムを書いている。月に1度はどこかで自らの不登校体験談も話している。なのに、なのに・・・。
「自分のやっていることは、ここまで需要がないのだろうか」
その数日後、なら人材育成協会さん主催の不登校親の会にて、不登校体験談を講演してきた。
今回は少人数ということもあり、ときどき対話したり講演中に質問を受けたりしながらの1時間。
「えっ、そのトラブルってどういうことなんですか?」
「そのへんをもうちょっと詳しく!」
こちらとしても興味を持ってもらえるのがうれしくて、ついついやり取りを楽しんでいると、気づけば少し時間をオーバーしてしまった。そして、参加者の方々もルーズリーフ両面がほぼいっぱいになるほどに、たくさんメモを取っておられた。
その光景を帰りの電車で思い返しながら、僕は思った。
需要は、たしかにある。
だけど、同時にその「需要を欲する人」が少数派なのも、たしかだ。
amazonのせいもあるのだろうけど、大きな本屋で「不登校」と端末で検索しても在庫がないのはそのためなのかもしれない。しかしそれは、「いま、すぐにでも子どもの状態を知りたい」人にとっては、とてもつらいことなのではないか。amazonだって、注文しても1日は待たないといけない。
不登校の子どもたちの様子は、刻一刻と変化していく。今日は元気だったけど、明日になったらわずかなきっかけでふさぎ込んでしまうかもしれない。そんなときに、すぐにでも対応できるような情報があれば、子どもたちを見守る大人にとってどれほど助かるものになるだろうか。
「不登校の情報」を求める声は、講演に出向くと本当によく耳に入ってくる。ありがたいことに、最近ではこのブログの読者の方が毎週ブログを楽しみにしてます、と声をかけてくださるようになってきた。そんな現実を見逃してはならない、と思う。
自分の体験談には、必ず需要がある。
その体験談で、目の前の当事者が何か気づきを得たり、気分が楽になるのだとしたら、僕は惜しげもなくこれまでの体験談を伝えていきたいし、伝えていかなければならないと思う。
直接話し、目の前でいっしょに悩むことももちろん大切だが、もっともっといろんな形で発信していかなければならない。
そんなことを痛感した講演だった。
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