学校へ行けなくて、絶望を感じているキミへ〈不登校のキミへ送るラブレター②〉

「学校へ行けていないとき、絶望を感じたことってありましたか?」
京都のカフェで、高校生と保護者、2人と僕は向き合って座っていた。
学校へ行けなくて困っており、話を聞いてもらいたいという連絡をいただき、会うことになった。
1時間ほど、状況などを聞いて、「これからもよろしく!」と話して、帰ろうとしていたとき。
「1つ、聞きたいことがあるのです」と、高校生の彼が言った。
「田中さんも学校行けていなかったんですよね? そのとき、絶望って感じていました?」
僕は、高校生のときに不登校になり、浪人して入学した大学も3ヶ月で行けなくなった。
彼の質問を聞いて、当時のことが思い出された。
僕は、彼をまっすぐ見て言う。
「めちゃくちゃあったよ。絶望しかなかったね。真っ暗だった」
そう。そうなんだ。しんどかった。
めちゃくちゃキツかった。
なにがしんどいのか?
学校へ行けないこともそうだけれど、なによりしんどかったことが、することがないってこと。
やることが、ないのだ。ヒマすぎる。
目標も目的も、なにもかも見失った状態。
学校へ行かない時間がごっそり空く。この時間が辛い。
これからどうやって生きていく?
未来は、どうなっていくんだろう?
まさに、お先が真っ暗な状態。
僕は、ずっと真っ暗なトンネルの中にいて、さまよっている感覚だだった。
どこから来たのか、どこへ向かうのかもわからない。
照らす光もなく、どこへも行けない。
僕は学校へ行っていないとき、ずっと河川敷で空を見ていた。
引きこもっているときは、1日中ずっと天井を眺めていた。
ずっと見ていると頭がくらくらしてくる。
もう、なにがなんだかわからなくなってくる。
ここがどこなのかわからなくなってくるのだ。
ふさわしい言葉を探すと、“絶望”というのが一番しっくりくる。
そう。望みが絶たれた状態。
出口を探してもがいてみても、どこまでいっても真っ暗な道が続くだけ。
あがいても、声をあげてみても、なにも見えない。
目を開けているのか、閉じているのかもわからなくなってくる。
この感覚は、きっと体験した人にしかわからないんだろう。
ヒマでやることがなくて、目的がなにもなくて、死ぬほど苦しいという感覚。
僕は、大学に入れば、光が見えると思っていた。
自分の道筋を照らしてくれる先があると思っていた。
でも、そうじゃなかった。
結局、自分でなにをするか見つけるしかなく、周りの友達は、やることや道筋なんてどうでもよく、楽しそうに学校生活を過ごしていた。
夏休みに入ったときには、「もう、無理だ……」と思い、大学を辞めようと思った。親に止められて退学することはなかったけれど、そこから1年間は学校へ行けなかった。
やりたいことがない。
やるべきこともない。
そして、なにかをする自信もない。
全てがなかった。
素っ裸で真っ暗なトンネルの中にいるような状態。
無力だった。圧倒的な無力だった。
誰かにこの苦しさを説明することもできず、ただ毎日もがいていた。
当時、僕は毎日の景色が白黒に見えていた。カラフルに見える世界からごっそり彩り(いろどり)をはぶいたみたいに。
楽しい。嬉しい。おもしろい。
たくさんの感覚を失っていた。
もしかしたら、“痛い”という感覚すらなくしてしまっていたかもしれない。
ふと、そのときのことを思い出し、僕は質問をしてくれた高校生に向かって微笑んだ。
「大丈夫。自分もそうだった。絶望しかなかった。でもね、大丈夫だよ。出口は、ある」
彼は、少し安堵した表情を浮かべ、「ありがとうございました」と言って、店を出て行った。
僕は、当時の自分を思い出しながら、心の中でつぶやいた。
「キミは、きっと大丈夫だ。誰にも頼ることができなかった僕とは違う。だって、僕は暗闇の中に光を灯す(ともす)方法を知っているのだから。その光についてこれば、キミはきっと出てこられる」
ちょうどその日は、半年前に不登校の面談をした高校生がニュージーランドへ留学に旅立った日だった。
彼も同じように、なにをしたらいいかわからず、絶望を感じていた。
でも、自分の目指す光を見つけて、日本を飛び出した。
今はまだ、真っ暗で、なにもできないかもしれない。
どこへいけばいいかわからいなかもしれない。
けれど、安心して欲しい。必ず、光は見つかる。
もし、「自分の光を見つけたい」とキミが言うのであれば、僕はキミと一緒にトンネルの中に入り、光を探そう。
いつでも、声をかけて欲しい。
僕は、スコップを持って、待っている。