えっ、あの人も?不登校経験のある芸能人をまとめてみた。
今日からGW後半の5連休。不登校や、学校がしんどい子どもたちにとっては、堂々とゆっくりすることができる貴重な5日間だと思います。新年度のスタートからちょうどひと月、疲れが溜まっているこのタイミングでの5連休は、砂漠のオアシスより貴重なことでしょう。
さて、僕はこの間、D.Liveの団体研修で不登校の基礎知識に関するワークショップを担当しました。そのとき、ふと話のネタになるんじゃないかと思い「不登校だった芸能人」を検索してみると、思った以上にたくさんいることを知りました。
そこで今日は、主にネットでの体験談を公表していたり、テレビ番組でカミングアウトした芸能人を中心にまとめてみます。
マツコ・デラックス
僕が不登校の講演をするとき、よく話に出すのがマツコ・デラックスさんのこと。
この日の放送は「新学期トラブル」がテーマ。話題が小中学生の「不登校」に移り、マツコが「凄い短い間だったけど」と前置きし、「学校に行かない時期があった」と不登校した経験を告白。「周りに合わせることが辛くなった」からだと説明し、さらに「子供でいるのが疲れちゃって、学校の雰囲気が物凄く嫌になった」と振り返った。
その後、「仲良くする必要もないし、ひとりでいればいい」「先生に会いに行く感覚で学校に通っていた」と自らの居場所を見つけ出したそう。「他人に合わせる」ことのしんどさは、今不登校の子どもたちもよくわかるのではないでしょうか。
指原莉乃
このあいだ、TRY部の授業でHKT48のドキュメンタリーを観て、「ちょっとHKTのファンになった」とスタッフが目を輝かせていたのですが、そのHKT48のリーダー・指原莉乃さんも実は不登校経験者。
指原は「ちょっとした無視から始まった」といい、そこから「家に(同級生から)『もう学校には来ないで下さい』って(書かれた)手紙が届いた」ことを告白し、出演者一同を驚かせた。その後、「そのまま、(手紙に書かれた)まんまと学校行かなくなった」と不登校になった指原は、「逃げるように」上京し、AKB48のオーディションを受け、合格して現在に至っていると振り返った。
彼女の場合、故郷の大分から逃げるように上京する、というその行動力にものすごいところがあります。誰しもがうまくいくわけではありませんが、こうやって環境をガラッと変えてしまうというのもまた、自分を大きく変えるチャンスですね。
山田ルイ53世
「ルネッサ~ンス!」の持ちネタでおなじみのお笑いコンビ、髭男爵の山田ルイ53世さんは、兵庫のとある私立中学に合格した後不登校になります。
中2の夏のある日、坂の途中でウンコをもらしてしまい、校庭で洗って登校しました。3時間目くらいまではそしらぬ顔をしてましたが、ウンコって、乾いた時の方が香り立つ。周りが異変を察知しました。この年ごろの子どもって、信じられないくらいウンコに厳しい目を向けるじゃないですか。僕が劣等生やったら笑いでしのげてたと思いますが、「運動も勉強もようできる山田くん」ってのが邪魔して、誰もつっこめない。お互い、事態をどう処理していいかわからないまま、4時間目が始まるところで、僕が耐えきれなくなり、何も言わず家に帰った。
すぐに夏休みに入り、9月の始業式の朝。ベッドから出られなかった。宿題も終わってなくて、僕のポジションからしたらあり得ない状況でした。友達との経済的な格差とか、がんばって通学している中でウンコもらしたことなんかが、ボディーブローのように心にたまっていたんでしょうね。「学校行くんしんどい。もういやや」ってなった。
水をギリギリ注いだコップに1滴垂らせばあふれてしまうように、人間の気持ちがふと切れてしまうのも一瞬。一人暮らしで毎日いっぱいいっぱいで生きてきたのに、朝出したゴミが収集日が違うと貼り紙されて戻ってきたとき、自分のすべてを否定されたとその日から引きこもった、という話もあります。
彼の著書『ヒキコモリ漂流記』は、まさにこの引きこもり生活の時期も描かれている自伝。GWのお供にいかが?
千原ジュニア
彼に引きこもりや不登校の時期があったことは、けっこう知られています。
周りを見返すために「青い制服」の中高一貫校に入学を志し、見事合格するも、「その制服を着る」ことがゴールだった彼にとって学校生活は地獄そのもの。やがて不登校生活がはじまり、高校で憧れだった青い制服を川に投げ捨て、とうとう退学してしまいます。
中学時代、有名進学校に合格したことが引き金となって、登校拒否、部屋にひきこもり。学校、友だち、家族との関係を絶ち、孤立した。みずから進んだ見えない迷路。ようやく出口が見えてきたとき、相方の兄・千原せいじに誘われて、お笑い芸人の道へ進んだ。もう2度と暗黒のブラックホールに戻らないためには、自身が鋭利なジャックナイフになるしかなかったのだ。
その窮地を救ったのがお兄さん。当時すでに吉本の養成所に入っていたので、弟を誘い出してお笑いの道に進ませようという考えでした。これがいまの「千原兄弟」誕生の瞬間です。「せいじ」という兄の存在が、彼を引きこもりの世界から脱出させてくれたのです。
友達の親に嫌われていた小学生時代、不登校になった中学生時代は、彼もまた『14歳』という自伝的小説にまとめています。じつは『14歳』も、先ほど紹介した『ヒキコモリ漂流記』もまだ読めていないので、早々に読破しようと決心した次第です。
宮本亜門
著名な演出家、宮本亜門さんも実は不登校経験者。
僕は小さい頃から、自分が普通とは違うと感じていました。子供なのに日舞が好きだったり、毛虫がきれいだと思ったり、いろんな面で。ちょっとしたことなんですけどね。一方で他の子が面白がっていることに、ちっとも興味が持てなかったり。
ところが学校というのは、結果的に「普通」であることを求められる環境なんですね。「普通」を大切と思わせる雰囲気。それで僕は周りとの違いを感じながら、何とか合わせなきゃとも思っていました。でも、それがうまくできない。
それから、学校はこうするとこうなるよ、というルートを決めてしまうところがあって、すごく僕にはつらかったですね。
おまけにその中で、競争もさせられますから。
それでもゴールがひとつだけでなく、いろいろあれば面白いと思うんですけどね。
とにかく僕は、周りが好きだと思っていることが、あまり好きではない子供だったんですね。でも、このままじゃ社会に適合できないんじゃないかという恐怖感がありますから、やらなきゃいけないのかな? 好きじゃなきゃいけないのかな? と思ってやるわけです。仮にそれが自分では絶対にしたくないことでも。すごいストレスでしたね。
それが高じて高校時代には不登校、引きこもりに。
出典:第五回 宮本亜門さん(演出家):シリーズインタビュー「生きる力」|コラム(その他)|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト(うつ病・自殺対策を含む)|厚生労働省
「普通」という、他人のものさしと比べられる怖さ。亜門さんの中では毛虫がきれいなことが「普通」なのに、その感性が周りに受け容れられずに合わせなければならない。でも、それがうまくいかない・・・。このへんは、マツコさんの不登校の原因と重なる部分があります。
それがかなりなストレスになるのは、容易に推測できることができます。「『どうせ無理』をなくしたい」のスピーチが大反響を呼んだ植松努さん(植松電機)の本『「どうせ無理」と思っている君へ」にも「『普通』なんてインチキからは逃げてしまいましょう」という一節がありました。
まとめ
実は、このほかにも不登校の経験者はたくさんいます。タレントの伊集院光さん、吉木りささん、チュートリアルの徳井さんなんかも不登校経験者(吉木さんの不登校だったころのブログ記事)。ほとんどテレビで大活躍する芸能人・文化人でもあります。
芸能人の不登校体験談に多いのは、学校に行かなかったころに何かにハマったり、熱中していたこと。宮本亜門さんは引きこもってたった20枚のレコードを繰り返し聴いたことが今につながっているそうですし、女性アイドル好きの指原さんも「アイドル好きのおじさんとチャット」していたそうです。
何かを表現し、それを見てもらう。芸能界というのはそんな世界ですが、そういえば僕の友人でもずっと不登校だったのに、いまやバンドを組んで定期的にライブを開いている人もいます。新しい出会いのなかでもあまりにフレンドリーなのに不登校の経験者だと知ってと驚くこともしばしばあります。
みんな「人との関わり」を克服できれば、あっと驚く世界に飛び込むポテンシャルを持っているのかも。
そんなことを、このまとめを作りながら思っていました。
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