不登校の子どもは、すでに大学生だ。〈昼の居場所スタート〉

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不登校の時間は、無駄なのだろうか?

自分の子どもが学校へ行けなくなったとき、
「うわっ! うちの子、学校行かれへんようになったがな」とネガティブの反応をするのが普通だろう。

「ラッキー! 学校行けなくてもよいよっ。ツイてる!」

なんて言う人は、ほとんどいないと思う。

どこからどう見ても、学校へ行けないこと、“不登校”という現象はネガティブに捉えられる。

学校へ行けないことによって勉強に遅れるし、引いては進学にも差し支える。
今まで当たり前だと思っていた未来に、大きな壁が立ちはだかる。
 

でも、僕は不登校になったのは、“ラッキー”だと思うのだ。

僕自身が当事者だったからわかるけれども、学校へ行けないというのはキツい。
行く意味なんて感じられず、行く気もなかったら問題ないだろう。

でも、「行かないとダメだ」と思っているのに、行けないのはすごくしんどい。

行こうと思っても、体が動かない。お腹がいたくなる。頭が痛くなる。自分の意思に、体がついてこない。

不登校にならず、楽しく学校へ行けるのが一番だと思う。

しかし、現実として、学校へ行けなくなることがある。
誰が悪いわけでもなく、ただ、そうなってしまっただけだ。

 
だから、僕は思うのだ。

「学校へ行けないのを逆に利用してやれ!」と。

不登校でいる時間は、まるで大学生のように思える。

大学生は、自由だ。
なにをしてもいい。

どれだけ授業を履修していたところで、行くか行かないかは自己判断だ。
それで単位を落としてしまっても、自己責任。

バイトしてもいいし、企業でインターンシップを経験することもできる。
人によっては、1人で海外へ旅行することもあるだろう。
サークルに入ることもなく、研究に没頭する人もいる。

勉強に遊び、バイト、旅行、恋愛。

なんだってできる。

不登校でいる時間も、これと同じだと思うのだ。

最速で、なるはや(なるべく早く)で、とにかくスグに学校復帰できるのがベストかも知れない。

しかし、僕が見ている中で、そんな簡単に不登校からスグに学校へ行けるようになった子を見たことがない。

焦っても、あまり意味がない。
(気持ちはわかるけれども)

ならば、学校へ行けない時間を有意義なものにすればいいと、僕は思う。

今まで、学校に取られていた時間、宿題をする時間がなくなったと考えると、毎日が自由だ。

なんだってできる。
時間は、膨大にある。

現実逃避をして、それほど楽しくもないゲームをしている時間なんてもったいない。

学校に行けない子は、自分への信頼がとても低くなっている。
行こうと思っても行けない自分が信じられない。
学校へ行けない自分を責める。

自信を持てないから、なにかをしようとする意欲も出ない。
そして、ただ毎日をダラダラと過ごす。

そんなのは、あまりにももったいない。

ダラダラしている自分を客観的に見て、自己嫌悪になる。
イヤになる。すると、ますますしんどくなる。悪循環だ。

なにか熱中できること、楽しんで取り組むことがあると、子どもの意欲は劇的に増す。

教室へ来ている不登校の子は、「やりたいこととか全然ないし」と言っていた。

でも、最近になって「あんな、数学検定を受けようと思うねん」と言い、必死になって勉強をしている。
「学校行っている同級生には負けたくないねん」と言いながら。

高校生の子は、学校へ行けなくて苦しんでいた。
でも、彼はずっと小説が書きたいと思っていた。

「じゃあ、書いてみたら?」

素直な彼は、そこから本格的に書き出し、10万字近い原稿を完成させようとしている。
 

なにかをやっていると達成感がある。

学校へ行けなくて、なにもしていないとき、「いったい自分はなにをしているんだろう?」と絶望を感じるときがある。

そんな暗い気持ちを払拭してくれるのが、“やるべきこと”であり、”やりたいと思えること”だ。

以前から、数人の保護者さんから、「ぜひ、やって欲しいのです」とお願いされていたことがある。

『昼の居場所』だ。

学校へ行けない子は、行くところがない。
昼は、学校へ行けてない引け目もあり、外出することは難しい。
朝に起きる必要もないため、どうしても生活は不規則になる。

「うちの子を行かせる場所が欲しいのです」

5人の方々に、別々のタイミングで言っていただいたので、「これはもうやるしかないな」ということで、4月よりスタートさせた。

昼TRY部という名をつけ、まずは週2日から。
時間は、10:00から13:00。

なにをするのも自由だけれど、出来るだけゲームはしないように言っている。

ここは、ラボ(研究所)のイメージ。
自分がやりたいこと、極めたいことへ取り組むところ。

家だと、どうしてもダラダラしてしまう。
切迫感がないので、「また、今度やろう」と後回しにしがち。

でも、ここに来たら、みんなが真面目に取り組んでいるので、良い刺激になる。

初日、早速おもしろいことが起こった。

朝にみんなが集まると、チェックインをおこなう。
「最近うれしかったこと」などを話す時間。

そこで話していると、子ども二人が魚をさばくのに興味があることが判明。

自由時間になると、二人で仲良く、魚をさばき方の動画を見ていた。

そして、せっかくなので「一緒に料理もしよう」となり、買い物へ。

「どんな魚がいいかな?」
「おっきいタイ、さばきたいなぁ」

初対面の二人は、楽しそうにスーパーへ向かう。

さばいていない魚がほとんどなかったものの、イカを購入し、みんなで調理。

「こうやったほうがいいねんで」
「うわっ! 醤油入れすぎたっ」

わいわいやりながら、ご飯を作る。

僕は、学校へ行っていないときに一番しんどかったことは、“やることがなにもない”ことだった。

ただ、1人で苦しんでいて、一緒に笑ってくれる人もいないし、なにかを一緒にできる人もいなかった。

でも、ここは違う。
笑い合い、やりたいことをお互いに話すことができる。
やりたいことにチャレンジすることもできる。

同世代の仲間がいる場所で、たとえやりたいことが全くなくても、良い刺激を受ける。

「自分も魚、さばいてみようかな」
「小説書くの楽しそうかも」と思える。

自分に近い人が出来ていることは、「自分にも出来る!」と思える。その姿を見ているだけで、自信に繋がるのだ。

不登校は、決して無駄な時間なんかじゃない。
自分と向き合い、将来についてじっくり考えられる大切な時間だ。

毎日学校へ行って、慌ただしくしていたら、気づかなかったこと、見えなかったことが見えてくる。

大学生のように、授業にも行かずダラダラ過ごすこともできるし、どんどんなにかにチャレンジすることも出来る。

本人次第で、「不登校になって良かった」と思えるような人生にとってとても貴重な時間にすることもできるんだ。
 

子どもは、なににだってなれるし、なんだってできる。

僕たちは、そんな不登校の子たちが、試行錯誤できる場所を作りたいと思って、昼の居場所(昼TRY部)をスタートさせた。

やりたいことがある子には、夢中になれる環境を。
やりたいことがない子には、見つけるためのアドバイスや向いてそうなものを伝える。

まるで、“人生の観光案内所”のように、その子に合ったこと、夢中になれそうなことをスタッフはアドバイスする。

全くやる気がなかった子が、突然、ハマる瞬間がある。
熱中するものに出会うときがある。

目の色が変わり、全ての雑音をシャットダウンするような集中力を見せるときがある。

彼らが、小説や数検に出会ったときのように。

僕は、その瞬間に立ち会っていたい。
何度でもみたいんだ。

子どもがハマるのに出会った瞬間、聞こえるハズのない音が聞こえる。

「カチッ」と、スイッチが入る音が。

僕は何度でもこの音を聞きたい。

これからも。
何度でも。
 

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田中 洋輔

田中 洋輔

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒 中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。 しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。 野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。 浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。 友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。 フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。 京都新聞にして子育てコラムを連載中。 詳しいプロフィールはコチラから