大人TRY部の少年と仕事のやりがい

「次も来たいって言っているんですけど、大丈夫ですか?」
男の子のお母さんが、イベントが終わったあとに話しかけてくれた。

僕は、じっと喜びをかみしめながら、「お待ちしています!」と笑顔で答えた。

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目次


達成感ってなんだ!?

自分は、なにか大きな欠陥があるのではないか。

ここ数年、少し不安に感じていた。
人にはあって、自分にはないもの。

“達成感”
僕はなにかを達成して「嬉しい」と思ったことがほとんどない。
達成すれば、「当然だ」と思い、失敗すれば「努力が足りない」と思う。

テレビ出演やメディアへの露出、イナズマロックフェス出演。
大きな仕事の決定。

嬉しい気持ちは、当然のようにある。

でも、「やったーー!」と思うような、“達成感”といわれるものを僕は感じたことがない。

だから、「良かったね!」と声をかけられても、内心では「はぁ。そうですね。」とまるで他人事のように思っていた。

なんとなくの違和感が晴れたのは、思いもよらないときだった。

8月下旬からクラウドファンディングをおこなうため、チームを作ることになった。
集まっていただいたのは、D.Liveスタッフだけでなく、他の団体で活躍している方々。

僕は正直、心の底では「申し訳ないな」という気持ちがあった。

なにも還元できるものはない。
要は、タダ働きに近い。
にも関わらず、チームのメンバーとして一緒に活動してくれるという。

有り難い気持ちもあるけれど、恐縮する気持ちはぬぐえないでいた。

初めての顔合わせの日。
会議が終わって、1人のかたがなにげなく言った。

「今日、楽しかった〜」

その瞬間、「ああ、これだ!」と自分の中でピンっときた。
なにか忘れていた大事なものを見つけたような、そんな感覚に陥った。

仕事のやりがい

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NPOの仕事をする前、僕は飲食で働いていた。
大変だったけど、本当に楽しかった。

就職を考えていたとき、大切にしたいことがあった。

「出会う人に笑顔を届けたい。悲しんでいる人を笑顔に。笑っている人がずっと笑っていられるように」
だからこそ、サービス業で人と触れあう仕事をしていた。

就職活動中や働き始めていたときに僕はそう思っていた。
いつのまにか、そんな風に思っていたことを忘れてしまっていた。

「楽しかった」と会議のあとで言ってもらい、僕は言いようのない満足感と恍惚感に浸っていた。

僕が大事にしている価値観の1つは、『貢献』だった。
自己実現でも達成感でもなく、『貢献』

だからこそ、今の仕事をしているんだ。

参加してもらって有り難くも恐縮していた僕の気持ちは、「楽しかった」という言葉を聞けて、「少しは貢献できたかな」と思えて嬉しかった。

毎月おこなっている大人向けのTRY部。
この日は、夏休み特別企画で「親子TRY部」だった。
(詳しい内容は、こちらのブログで

みんなでチームを組んで、外へ出て写真を撮るというアクティビティ。

しかし、1人の男の子(小4)は「部屋に残る」と言う。

はじめ来たときも、少し馴染めていない様子で気になっていた。

「そっか。いいよ」
男の子に声をかけ、お母さんには「僕が面倒見ますよ」と言って、活動へ参加してもらうために外に行ってもらった。

僕は、スタッフの1人と軽く打ち合わせ。
変装して、見つけたらポイントを獲得出来るというゲームだったので、どんな服装にするか話していた。

「せっかくだし!」と思いつき、男の子に「変装してみない?」と聞くと、結構ノリノリに。

帽子をかぶり、メガネをかけて「ここ、こっそり座っとく〜」なんて言いながら隠れる。

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すごく楽しそうに参加してくれ、イベント終わりには片づけも手伝ってくれ、冗舌になっていた。

帰り際、お母さんが「次も来たいって言っているんですけど、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

– お母さんのコメントを少しご紹介 –

現地の駐車場に着くまでは、元気が良く、機嫌も良かったのに、なぜか、会場に入ってから、ご機嫌ななめ。
帰ろうかと気持ちが揺らいでいたけれど、皆さんに、あたたかく見守っていただき、私は離れて、ゲームに参加することにして、子どもは、部屋に残して、田中さんにお任せすることに・・・
そして、ゲームがスタートし、みんなで、外に飛び出し、ミッションをクリアしていく中で、ウォーリーを探せ!のミッションの写真・・・
すると!そこには、もう1人のウォーリーになった息子の姿が…(笑)
良かった〜!どんなきっかけで、どうなったのかわからないけれど、機嫌が治っている様子。ゲームの終了時間になって、部屋に戻ると、笑顔で話すように変わっていて、ひと安心。まさしく!ななめの関係で、手助けしてもらった結果だと感じました。


僕は、男の子に特別なことはしていない。

彼に「絶対イベントに参加して欲しい」とも思わなかったし、「部屋に残ったらあかん」とも言わなかった。
ただ、ただ「はじめての場に来て、緊張しているんだろうなぁ」と感じていた。

でも、1つだけ強く思っていたこと。
それは、「楽しかった!」と思って笑顔で帰って欲しい。

ただそれだけだった。

だからこそ、その子が楽しめるのはなにかなと考えたときに、「一緒になって変装する」だった。

僕が出来ることなんてたかだか限られている。
特別な能力があるなんて思わないし、素晴らしい指導力があるわけでもない。

でも、目の前にいる子はなんとかして笑顔にしたい。
「楽しかった」「来てよかった」と思って欲しい。

そのための努力や苦労はいとわない。

僕がやりたいのは、『貢献』だ。
喜んで帰ってくれたらそれでいい。
来週、また彼に会うのが楽しみだ。

 

あとがき

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「そういえば。。。」

僕は、本棚に立ててある1冊のノートを取り出した。
そこには、汚い字で書かれた100ページ以上のルーズリーフが挟まっている。

就職活動のときに何回も何回も書き直した自己分析ノート。

“自分の満足度”というところには、こんなことが書いていた。

1人でも多くの人が喜んでくれたら、それでいい。
(人の役に立ったと思えるから)
自分なんかハッキリ言ってどうでもいい。
いつも満足できないのは、自分の周りの人全員を幸せに出来ていないから。


「ああ、変わってないな」と、ひとりごちて仕舞っていた棚へノートをなおした。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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