10年前の今頃、引きこもって毎日死にたい思いが消えなかった話

このブログで何度も何度も書いているが、僕はせっかく入学した高校を2ヶ月で辞めている。

ここで2ヶ月、と書くのは実はかなり語弊があって、実際には入学式から約1週間後にはもう学校に行かなくなり、そのまま長期欠席した末に2ヶ月で退学届けを出した、という流れだった。せっかく買った通学定期は結局2,3往復くらいしかしないまま有効期限が切れた。

あれからちょうど10年が経つ。ということは、10年前の今頃、僕は毎日死にたいという感情を消せないまま、家から一歩も出ず鬱々とした日々を過ごしていたことになる。入学式から1週間で何があったか、どうして高校に行かなくなったのか、については文末に示した記事を読んでいただくことにして、今日はそのあたりのことを書いておきたい。

最初は「裏切られた」気持ちでいっぱいだった

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僕の高校退学の原因は(もちろん自分自身にもあるが)「教師の異常なまでの上からの圧力に耐えきれなかった」ことが大きかった。入学前の学校見学で不登校の僕をあれだけ諸手を挙げて歓迎していた教師は、入学すると途端に生徒に威張り散らす教師に変貌していた。いや、歓迎していた姿は仮面をかぶっている状態だったのだろう。

10年経って、あのころ教師はそこまでして生徒を押さえつけないと何をされるか分からない、歯向かわれそうで怖い、と言ったある種の不安に苛まれてたんだろうなあ、と想像することができる。だけど、その不安感からの行動の被害をもろに被った生徒も恐らくいただろう。というか、僕はもろに被った。

初日の授業はよく覚えている。数学教師が記憶力の話をしているときに思いっきりチョークを折ったこと、体育教師が体操着のズボンの貸し借りは変な病気が移るので辞めろと言ったこと、小論文の教師が成績優秀者がホテルに就職してすぐに辞めたのに、逆に成績悪い生徒がスーパーに就職して成功した話をしたこと・・・。

自分でも、なんでこんなにあの日のことを覚えてるのだろうと振り返ってみて驚く。体操着から制服に着替えたら、後ろの席の柔道部の男子に「おい山本、ネクタイの後ろ出てんぞ」と指摘されたことまで何故か覚えている。

もうすでに学校には不信感でいっぱいだった。でも悪いなりになんとか居場所にしようと思って授業初日は登校した。しかし、さっきの体育教師があくびをしている生徒に「オレに『授業を受けさせてください』と言え」と授業中説教しているのを見て、いくら学年主任とはいえその偉そうな態度はなんだ、やっぱりこの場所は無理だと悟った。

誤解を恐れずに言うならば、僕はあの学校、あの先生に裏切られたのだと思った。同時に、15年そこそこしか生きていない人間にとって「大人に裏切られる」というのはこれほどまでにも辛いことなのかと思った。緊張の糸がぷつん、と途切れた翌日、とうとう僕はベッドから起き上がることができなくなった。

こうして僕は引きこもった

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地獄だった。あれほど好きだった深夜番組も観なかった。趣味にも手を出さなくなった。

食欲がない。夕飯のにおいでたびたび気持ち悪くなった。もちろん、食事を作る家族、料理される食材にまったく罪はない。今思ってもそのときの食材の生産者にまで申し訳ない気持ちでいっぱいになる。家族が慌てて買ってきたスポーツドリンクを口にするのがやっと。みるみるゲッソリとした体型になった。

毎晩、気が付けば空が白みだしていた。眠れない。やっぱりキチンと学校に行くべきではないか、でも学校に行ったら行ったであの教師の圧力から逃れられることはまず不可能だ。一晩で何度、同じことを繰り返し繰り返し思い、繰り返し繰り返し自分を責めたか、もうよくわからない。

大人を信じることが怖かった。僕は一人っ子、しかも親戚を見渡しても一番年下で、年が近い親戚でも5歳は離れていた。つまり学校以外ではほぼ大人に囲まれて育ってきた身として、「大人を信じるのが怖い」というのは相当な死活問題だった。途端にどこも居場所じゃないような気がして、死にたい気持ちを毎日抱えるようになった。

なんで自分は学校に行けないんだろう、こうして「普通」のレールから脱線していくのかな。あのときの自分は何もわからなくて不安にまみれていた。出口の見えないトンネルで壁にぶつかりまくって傷だらけのような、そんな感覚が永遠に続くような日々だった。

あれから10年が経って

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いまだに、このときの気持ちと向き合うことは、とても怖い。

でも、今この瞬間、まったく同じことに思い悩んでいる人がいるかもしれない。新たな生活に順応できなくて苦しんでいる人もいるかもしれない。もしかしたら僕の小さな体験談で、誰かが救われ、1mmでも晴れやかな気持ちになるかもしれない。そんな気持ちでこの文章を今書いている。

ひきこもり生活は結局、退学する決心がついて通信制高校に転学してようやく終わりを告げた。梅雨入りが発表されて何日も経ったころのことだった。実はそのあたりにもやっぱり退学すべきか否かという葛藤があったのだが、これについても下記の別記事に譲りたい。

10年経ってこの過去の経験をこういった場でお話すると、この経験があってよかったのかな、とも思う。最近はどういう因果か、「実は私も高校中退したんですよ」とお互い共通点でしばし盛り上がることもある。高校を退学する、もしくは不登校になる、ということは今ではごくごく普通のことなのだ。

「みんなが通っている道」が「自分に適した道」とは限らない。自分には、自分に適した道がある。他人に邪魔されることなく、自分の人生をしっかり生きてほしい、と思う。

僕の中学~高校にかけての体験談を記した他記事はこちらからどうぞ

不登校だった僕の高校受験体験談―高校選び失敗編 その1

不登校だった僕の高校受験体験談―通信制高校編 その1

不登校だったぼくが、今この瞬間を生きるまで(前編)

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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