「義務」「勉強」「将来」から考える、教員の僕が思う「学校に行かなくても大丈夫な生き方」

もうすぐ夏休みが終わります。僕が子どものころは決まって9月1日が始業式だったのですが、最近の学校は8月も終わっていないのに始業式をするようです。

そんな「夏休みの終わり」は、誰にだって寂しいものだと思いますが、中にはこの夏休みの終わりが寂しいどころじゃない、ひどく憂鬱な人もいると思います。学校なんてなくなってしまえばいいのに、夏休みが永遠に続けばいいのに、と、心の底から強く願う人もいるでしょう。

もう、ここ数年この時期になればよく言われる話になってきましたが、「18歳以下の自殺者数」が一番増えるのがちょうど今のこの時期なのです。理由は簡単です。「学校に行きたくない」子どもたちが、誰にもそんなことを言えず、どうしてもどうしても学校から逃げたいがために、死を選んでしまうのです。

こんな悲しいことがあってもいいのでしょうか。

僕は、そんな思いをするのなら、学校に行かなくても良いと思います。たとえ僕の立場が学校の教員であったとしても、その思いは変わりません。正直なことを言えば、学校に行かなくても生きていけます。今日はそのことを、「義務」「勉強」「将来」のポイント3つに絞ってお話したいと思います。

「義務」のこと

そもそも学校には「行かなければならない」のでしょうか。

いや、そんなことはありません。

「義務教育」という言葉がありますが、これは「子どもが学校へ通わなければならない」という義務を意味しているものではありません。実はこの点、ともすると教育に携わっているはずの学校の先生ですら誤解していることがあります。

「義務教育」の正しい意味は、大人が子どもをきちんと教育させる「義務」があるということ。たとえば子どもが学校に行きたい!と思っているにも関わらず、親がそれを阻害して無理やり家で働かせていたりした場合は義務教育違反と言えます。

しかし、子ども自ら学校へ行く意思がない場合は、義務教育違反ではありません。子どもからすれば学校に通うのは「権利」だからです。同じように、子どもが学校に行かないことで親が義務教育違反として叱られることもありません。

つまり、もしも学校に行きたくないのならば、堂々と学校を休んでも良いのです。

つい最近、不登校の児童生徒への対応をこれまで長年「学校復帰」だけ目標にしていた文部科学省が大きく方針を見直し、学校復帰だけにこだわらない対応を打ち出しました。僕は正直、遅すぎるくらいだと思ったのですが、それでも不登校支援がこの先大きく変化することは間違いありません。

「勉強」のこと

学校に行かないことで不安になるのが、きっと勉強のことだと思います。

まず、学校に行かなくても、高校進学は最悪どうにでもなります。ランクの高い高校を目指すなら話は別ですが、とりあえず高卒資格をとっておきたい、という場合に関しては、通信制高校や定時制高校など不登校で授業を受けていなくても進学できる高校が数多あります。

最低限の高卒資格を取得できる通信制高校でも、その先の大学進学を見越してのクラスや調理師など資格取得を目指すコース、さらにはダンスや音楽活動、イラストなどをみっちり勉強できるコースがあり、将来やりたいことがハッキリしている人にオススメです。

授業に関しても、苦手な生徒が多い数学や英語では中学校の内容からはじめる基礎クラスを設けている学校もあり、かなりきめ細やかな学習サポートを受けることができます。僕も通信制高校出身ですが、数学に関してはしつこいくらいに数学科の先生を質問攻めにして単位を取得しました。

しかし、だからといって、勉強に対する不安は消えないことでしょう。前述した通信制高校でも入試で学力テストを実施しますし、自分が勉強できるか否かに関してはテストや通知表という形で嫌でも思い知らされます。とくに「定期テスト」という壁にぶち当たる不登校の中学生は、とても多いはずです。

でも、不登校の子どもたちが、テストで点数を稼げないのは当然なのです。

そもそもテストがなんのためにあるのか。成績をつけるためにある側面もありますが、学校の先生からすれば、「自分の授業がちゃんと伝わっているか」を見るためのものでもあるのです。

平均点数が低ければ、授業の何が良くなかったのか。話し方、板書、使った教材・・・すべてを見直して、よりよい授業づくりの参考にする。当然平均点数が高くてもその反省を怠ってはいけないのですが、そのために、テストを通して生徒の理解度を測るのです。

もちろん、日々抜かりなく自宅で勉強に励んで、テストで高得点を取る不登校の生徒もいると思います。それに今はYouTubeなどで動画授業をいつでもどこでも受けられる時代です。たとえ不登校でも学校で授業を受けるのと変わりなく勉強できるようになってきています。

学校や塾でなければ勉強できない、わけではありません。たとえば家で料理をつくるのも家庭科の勉強ですし、好きな本を読むのももちろん国語の勉強になります。家でもどこでも、なんなら机に向かうことなく勉強は、できます。

それに、学校の勉強「以外」の知識が役立つこともあります。電車が好きなら、たとえば誰かが遠出するときにはどんなルートがあるのかを教えてあげられます。お菓子づくりが好きならいろんなお菓子を作って人を喜ばせることもできるでしょう。

テストが受けられない、点数が低いからと言って、自分の能力が劣っているわけではないのです。

「将来」のこと

最後に、いま不登校で悩む人、夏休み明けの学校が憂鬱な人に、これだけは伝えたい。

僕は今、教員をしています。生徒の前に立って授業をしますし、テストや課題の採点もします。なにか生徒が思い悩んでいたらいっしょに考え、ときにはくだらない話で生徒と大笑いします。職員室に電話がかかってきたらすぐに応対しますし、事務作業を手伝うこともあります。

そんな僕も不登校でした。中学3年間の出席日数は全部足しても30日あるかないかくらいだと思います。

でも、僕は、学校の先生として今働いています。

たしかに学校の先生は高校を卒業してから10年来の目標ではありました。だけど、これを通して決して「がんばれば夢が叶う!」を言うつもりはありません。努力次第でどうにでもなる、と成功談をつらつら書くつもりもありません。

僕が言いたいのはこれです。

社会に出れば、不登校なんてどうでもいい」。

たとえ高校まで無遅刻無欠席、成績優秀だった人でも仕事ができなければ容赦なく叱られます。でも、中学までずっと不登校でも、ある分野でものすごい才能を発揮できれば、評価はぐんと上がります。社会とはそういうところなのです。

現に、びっくりするくらい今の職場でも不登校の経験は役立っていません。学校の生徒にも僕が不登校だったことをほとんど話していません。ネクタイを締めて学校にいる限りは、僕はひとりの「教員」です。授業ができなかったり、生徒対応を誤れば、来年には違う先生に取って代わられているかもしれません。

そこに不登校の経験なんて関係ないと思いながら、日々出勤しています。

よく考えてみれば別に着ている服に「私は不登校です」と書いているわけでもありません。電車で隣に座った人が実は不登校経験者、ということも珍しくないはずです。それくらい一歩外に出れば不登校でもそうじゃなくてもただのひとりの人間です。大人になれば、それが如実に実感できると思います。

ここまでの話も、いま不登校の子どもたちからすれば信用できる話ではないかもしれません。それでも社会は、あなたが不登校かそうじゃないかなんて、たいして気にしないのは事実です。

もしも、週明けの学校がしんどいなら。行きたくないなら。

休んでください。逃げてください。

逃げることは恥ずかしいことではありません。「自分の命を守るため」の、大事な能力です。

どうか、もし学校がしんどいなら、行きたくないのなら、「学校だけがすべてではない」ことだけは忘れないでいてください。

学校を休んでも、不登校でも、どうにかなります。

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    この記事を書いた人

    子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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