不登校の保護者は、羅針盤を失った航海士かもしれない

今からずっと昔のこと。
まだ、飛行機も新幹線もなかったときのこと。

世界へ移動する手段は、船だった。
荒れ狂う海の中、人々は目当ての島へ向かって船を漕いだ。

GPSは、もちろんない。

人々は、たった一つのものだけを見て、舵を切った。

それが、羅針盤だ。

羅針盤を見て、どこへ向かうのか、今、どこへ向かっているのかがわかった。

水平線が続く中、不安だった乗組員の唯一の手がかりは、羅針盤が示す方角のみだっただろう。

さて、時は移って現代へ。

今、不登校の子どもが増えている。
中学生だとクラスに1人いるほど。

しかし、まだまだ理解は進んでいない。

学校へ行くのは当たり前だし、学校へ行っていないと「どうして?」と、なってしまう。

保護者の人もほとんどは、学校へ行っていた人たちだろう。

だから、我が子が学校へ行けなくなると、慌てるし、混乱する。

「まさか、うちの子が?」
「なぜ、学校へ行けないのだろう……?」

わからないながら、なんとか行かせようとするものの、腹痛や頭痛をうったえ、休みがちになる。

学校やスクールカウンセラーのかたにも相談してながら、様子を見る。

しかし、学校へ行けるようにはならないし、どう接していいのかもわからない。

学校の先生も、不登校を経験した人などほとんどいない。

だから、学校へ行けていない子に対して、「学校は楽しいから、ガンバって来ようよ!」と、子どもにとってトンチンカンなことを言ってしまう。

でも、それは先生が悪いわけではない。

先生には、不登校はわからないのだ。
だって、自分は楽しく学校へ行っていたから。

どうして、学校へ行けないのか。
どんなことがしんどいのか。

知識で分かったとしても、完璧に理解し、共感することは難しい。

それは、保護者も同じ。

どうしたって、わからない。

いじめられているわけでもない。
たまに学校へ行ったら、楽しそうにしている。

でも、行けない。

なんで?
どうして?
どうすれば、いいの?

1人、頭を抱えて悩む。

いつになったら学校へ行けるようになるのだろうか?

先は見えず、将来が不安になってくる。

この感覚は、まさに海で遭難しているような感じだろう。

今、どこへ向いているかもわからない。
いつになったら島へ着くのかもわからない。

果たして、進んでいるのか?
それとも、戻っているのか?

それすらもわからない。

ただ、ゆらゆらと海の上を漂っている感じだ。

手をとり、先導してあげたいけれど、どこへ向かったらいいのかわからない。

島が見えたら、その方角へ向けて舵をきればいい。

しかし、それができない。

不登校の保護者とは、まるで羅針盤を失った航海士のようだ。

先生もスクールカウンセラーも、羅針盤のように方角を示してくれることはない。

優しく話しを聞いてくれるものの、それだけでは、進むことができない。

保護者にとって、なにがいいんだろう?
なにか羅針盤は、ないのだろうか?

そんなことを思っていたとき。
ふと思いついたことがあった。

不登校親の会へいくつか参加したものの、みんなしんどそうに帰るところ、楽しそうに帰るところがあった。

どこも来ている人たちは、不登校の保護者だ。

内容は、それほど変わらない。

経験者が語ったり、保護者のかたがこれまでを話す。
そして、みんなでその話題をもとにして会話をする。

やっていることは違うのに、帰るときの顔が違うのだ。

どうして、あそこに来ている人は、ウキウキして帰っているのだろう?

僕はこの疑問を明石で10年以上、親の会をしているかたに聞いてみた。

すると、まさに合点のいく答えが返ってきた。

「来ているかたは、みんな今、目の前のことしか見えていないんですよね。
私が大切にしているのは、少し視点をずらしてあげること。
子どもの将来、それこそ5年後とか10年後とかを一緒に考えるようにしています。
そうすると、今の目の前にあることも、それほど大変じゃないようにも思えるし、いろんな選択肢があるなって思うんですよね」

不登校の保護者は、毎日が闘いだ。
言うなれば、日々、目の前の海と格闘をしている。

波が来ないか、船の故障はないか、近くに大きな岩はないか。

今、目に見えていることばかりを見てしまっている。
いや、目の前しか見る余裕がないのだ。

しかし、その視点を少しずらすことが必要なのだ。

そのためには、「あそこには、こんな島があるよ」「あっちのほうへ行けばこんなことがあるよ」と、羅針盤のように方角を示してくれる存在が必要なのだ。

羅針盤がないと、見えているものしか見えない。
まだ見えぬ島へ向かって舵を切ることができない。

僕が行ってしんどそうに帰って行く人たちの親の会は、羅針盤になる存在が誰もいなかった。

みんなで「しんどいね」「大変だね」「苦しいね」と話しをしていた。

苦しい思いを共有することで気持ちがラクになることもあるだろう。

しかし、それでは結局のところ、先にある島を見ることができない。
羅針盤を手に入れることができないのだ。

楽しそうに帰っていった人たちのところでは、乗り越えた人たちがいた。
未来を語ってくれる人がいた。

「大変だけど、今ではすっかりうちの子は元気だよ」と言ってもらえれば、そこへ向かってガンバろうと思う。

その言葉、その先輩方々が指針になる。

「そうだ! 不登校の保護者にとっての羅針盤をつくなきゃっ!」と思い、先月から不登校のお話し会をはじめた。

わざわざ愛知県から来るかたもいた。

先週、2回目を実施した。

初めて参加された方の感想では、「思ったよりもずっと明るく、楽しかったです」というコメントをもらった。

みんなでフリートークをしているとき、各テーブルでは笑い声がおこっていた。

不登校のお話し会だと、ついつい不幸自慢になってしまうこともある。
みんながハンカチを持ち、いかに辛いかを話してしまう。

でも、僕たちがやりたいのは、保護者にとっての羅針盤を届けること。
「大丈夫。この先に、未来がある」と思ってもらうこと。

だから、楽しくなるし、参加者の方々は前向きな気持ちで帰る。

今までどこへ向かっていいのか分からなかったものが、遠く先のほうに島があることがわかって安心する。

僕たちは、これからも島が見えず、必死で航海している方々に羅針盤を届けていきたい。

決して、後悔しない時間を過ごすために。

 

【今後のイベント案内】

9/23(土)滋賀県大津市自分の素直な気持ちが話せる 「第3回 不登校のおはなし会in滋賀」  

9/24(日)in滋賀県大津【限定5名】隠れた名著『不登校 母親にできること』に学ぶ子どもとの関わりかた 

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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