不登校の子には、10円寿司が『大トロ』に化けるくらいの可能性がある。

江戸時代のこと。

マグロは、下魚(げざかな)と言われ、「下級な魚」「不味い魚」だと言われていた。

醤油や冷凍技術の発達によって、次第にマグロは庶民に愛されるようになっていく。

しかし、トロだけは違った。トロは人気がなく、ほとんどが捨てられていた。
だから、とても安くで食べることができた。
10円寿司の屋台でトロを食べていたのは、お金がない人や大学生くらい。

「猫またぎ」と言われ、猫ですら食べないと言われていたほど。
今では“高級”と言われる大トロは、1960年代まで「人気がない」「売れない」食べ物だった。

僕は、不登校でいる子をこの大トロに重ねてしまう。
似ているな、と思うのだ。

猫ですら見向きもしなかった食べ物が、今ではみんなが「美味しい」と言って食べている。

学校へ行けない子は、世間から「ダメな子」だというレッテルを貼られることがある。
学校へ行けない子は、「社会に出るのも苦労するぞ」と脅されることもある。

しかし、本当にそうだろうか?

世間には、不登校だった人たちが多く活躍している。

エジソンは、「君の頭は腐っている」と言われ、学校を退学させられた。
学校へ行かず、独学で学んでいった。

アインシュタインも学校嫌いだった。

HKTの指原莉乃、星野源、マツコデラックス。
芸能人にも、不登校だった人は、数多く存在している。
 

学校へ行けないというのは、本人の問題ではなく、本人の可能性に気がついていない周りの問題ではないかと、僕は思う。

冷凍技術が発達したとはいえ、大トロの味は江戸時代から変わってはいないだろう。

でも、「不味い」と言われていた食べ物が、今では「美味しい」に変わっている。

時が経ち、トロの美味しさ、可能性に気がついたのだ。
安く食べられていた魚が、今では高級だともてはやされている。

変わった子だったエジソンは、すごい人になった。
「学校に来ないで」と同級生に言われた少女は、上京して、国民的アイドルになった。

キミは、「この人たちは、特別だ」と思うかも知れない。
でも、僕は決してそうは思わない。
 

学校へ行けない子というのは、先生からしたら、「理解出来ない子」なのだろう。

ほとんどの先生は、学校は楽しく通っていた。勉強も得意な人が多いだろう。

だから、わからないんだ。不登校の子が。

「どうして、学校へ行けないの?」と思ってしまう。
 

大学の先輩で、少し変わっている人がいた。
彼女は、幼稚園のとき、先生にこう言われたという。

「私には、あなたが理解できません」と。

そのことを親に伝えると、お父さんは喜んで言ったそうだ。
「よかったやん」と。

なにが良いのか理解できない彼女は、理由を聞き返した。

「だってやで、先生に理解できひんってことは、少なくともお前は先生よりもスゴイ人ってことやで。
理解でけへんくらいの可能性があるってことや。だから、喜んだらええんや」

僕は、このエピソードが大好きだ。
 

僕自身も、小学生のときに、先生に同じことを言われた。
けれど、この話を聞いて、自信になった。
「先生に理解出来ないくらいスゴイ人なんだ」と。
 

キミも同じだ。

「学校へ行けないことが理解できない」と、先生が言うのであれば、キミはきっと先生の理解を超えているスゴイ存在だということだ。

江戸時代の人々は、トロの美味しさが理解できなかった。
トロの可能性に気づくことができなかった。

でも、環境が変わり、僕たちはトロの美味しさに気がつくことができた。
やっと追いついたと言ってもいいかもしれない。

学校へ行けないというのは、多くの人から見たら変わっていると思われる。

学校へ行くことが当たり前の中で、異端児扱いされることもあるかもしれない。

しかし、そう見られることをむしろ喜ぶべきじゃないだろうか?

多くの一般的なモブキャラに比べて、キミは輝く存在だ。

なんの疑問も持たず、意味もわからない宿題に取り組む。
ただ、決められたレールの上を生きていく。
 

世間という波に流されながら生きている子どもよりも、「学校に行きたくない」という自己主張ができるキミのほうが、よっぽど可能性があると僕は思う。

聞き分けの良い子のほうが先生に好かれるだろう。
黙々と宿題をする子は、「えらいぞ」と褒められる。

でも、だからなんだって言うのだ?
 

「宿題なんて意味ないし」と思うのなら、それでいいじゃないか。
「学校へ行きたくない」と思うなら、それでいいじゃないか。

世間とか常識とか、誰にどう思われるとか、そんなくそったれなものに心を乱される必要はない。

間違いなく、キミには可能性がある。
 

エジソンを担任していた先生は、その可能性に気がつくことができなかった。

キミの周りにいる大人たちは、もしかしたら誰もキミの可能性や才能に気がついていないかもしれない。

いや、キミ自身すら、気がついていないかもしれない。

けれど、信じて欲しい。

大きな大きな可能性がキミには眠っている。
 

江戸時代の人が今、タイムスリップしてきたら驚くだろう。
「え? トロ食べるの?」と。
 

キミも同じだ。
何年か後、周りの人たちは驚くだろう。
「え? あの子が?」と。

キミは、余りある可能性を持っている。

どうして、トロが食べられるようになったか。
それは、日本人の味覚が変わったから。

食生活が洋風化し、脂身を食べられるようになって、好まれるようになったのだ。
 

トロが変わったんじゃない。
食べる側が変わったから。 

キミは、今の自分を変える必要なんてない。
そのままのキミでいい。

キミも、トロのように、美味しさが、良さがわかってもらえるときがきっとくる。 
 
 

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    この記事を書いた人

    1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

    中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
    しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
    野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
    浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
    友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
    フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
    京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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