子どもが成長して会いに来た話。

小学生向けのイベントが終わったとき、誰かが入ってきた。

「あれ?」

よく見ると小学生のときに教室へ来ていた生徒。
すっかり背も伸び、声変わりまでしている。

いくつになったと聞くと、「中3になりました」と。

「今日は、久しぶりに会いたくなったので来ました」なんて泣かせることを言う。

目標はパイロットで、毎月のように操縦訓練などで福島県まで通っているのだそう。

なんてスクスク育っているんだ。

考えてみると、最近こういった卒業した生徒の成長を見る機会が多い。

「ちょっとご相談があるのです」と、これも小学生のときから見ている子から連絡をもらう。

どうしたのと聞くと、「大学の推薦状をぜひ田中さんに書いていただきたいのです」と言うではないか。

そうかそうか、もう大学受験なのか。早いなぁと、おっさん見たいなことを僕は言う。(いや、おっさんなんだけど)

政治について学びたいから、大学へ進学するそう。

彼は、高校3年生になり、すっかり成長してお兄さんになっていた。僕たちがやっている中学生の教室に、今度はボランティアとして参加し、子どもたちの良い兄貴分になった。

その教室に来ていた違う中学生。やんちゃで学校の先生と揉め、学校へ行けなくなっていた。そんな彼も気がつけば高校3年生になった。「いやぁ、田中さんや得津さんがやっているようなことを自分もやりたいから、ガンバって勉強して教育学ぶねん」と言って、あれだけ嫌いだった勉強をガンバっている。

勉強が嫌いで、勉強する時間もずっとガンダムの話をしていた子は、高校生になった。中学生がテスト勉強しているとき、OBとしてやってきた。「テスト終わってん」と。そして、おもむろに答案を見せてきた。見ると、93点。まったく勉強が出来なかった子が高校に入って、激変した。中学生に交じって、黙々と自分の勉強をしていた。なんていうことだろう。環境が変わると、こんなに人って変わるのかとあらためて思った。

中学生のときに不登校だった子は、大学へ進学して一人暮らしを始めた。教室へ来たとき、「やりたいことがないんです……」と言っていた不登校の中学生は、高校へ進学し、文化祭のリーダーになり、全校生徒をまとめていた。そして、大学進学も決まった。

手塩にかけて育てた子たちが、少しずつ花開き、成長していっている。

「僕たちの成果だ」なんておこがましいことは言わない。

でも、嬉しいなと思うのが、たまに顔を出してきてくれること。相談しに来てくれること。「ちょっと会いたくなったんです」ってなんてステキな言葉なんだろう。

教育の仕事をしていて一番嬉しい瞬間は、成長した子どもの姿を見ること。

こういう場面をたくさん見ているから、今しんどそうにしている子を見ても、「きっと大丈夫だ」と思える。しんどそうにしていればしているほど、「数年後、どんな顔してやってきてくれるだろう」と思うと、ウキウキする。

これから、どんどん生徒の成長を見る機会が増えていくと思うと、ヨダレが出てくる。
いやぁ、楽しみ。

(この写真に映っている子たちも気がつけば大学生になっている)

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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