「かわいい子には旅をさせろ」という理由〈草津の小学生、無料招待!〉

旅は、学習塾であると、僕は強く思う。
小学4年生の夏、僕は日本から遠く離れた土地、オーストリア・ウィーンにいた。
「なんとか来られた……」
親から離れ、仲間と共に僕はこのヨーロッパの地へやってきた。
はじめての海外。
1週間も家族から離れるのも、始めての経験だった。
その2ヶ月前のこと。
「ウィーンに連れていくか、微妙ですね」
先生が厳しい顔をして、僕のほうを見ていた。
バイオリンを始めて1年ほど。
まだまだ、ろくに弾けなかった僕は、オーケストラに入れるかどうかの当落線上だった。
オーケストラ(オケ)に入れば、夏にあるヨーロッパ遠征への切符が手に入る。
音楽の都、ウィーン。
すり切れるほど毎日聞いたモーツァルトの生地だ。
行きたくないわけがない。
親もついて来ないし、海外旅行なんて行ったことがない。
もちろん、英語も話せない。
でも、僕は好奇心を抑えきれなかった。
『美しく青きドナウ』とは、どんなところなんだろう?
モーツァルトの生家は?
ヨーロッパの景色は?
気持ちは、すでにヨーロッパにあった。
ならば、することは1つだ。
練習しかない。
まだ可能性は残っている。
「やるか……」
今までは、レッスンの前日くらいにしか練習をしていなかった。それほど、バイオリンが好きだったわけでもない。
でも、今は違う。
ヨーロッパ行きのチケットが手に入るんだ。
学校から帰ってくると、ランドセルを部屋に投げて、譜面台を立てる。
バイオリンを取り出し、課題曲をガムシャラになって弾く。
後にも先にも、このときほど必死になってバイオリンの練習をすることはなかった。
それくらいに弾き続けた。
なんとか選抜メンバーに入ることは出来たけれど、戦いはここからだった。
あくまでもメンバー入りしただけに過ぎない。遠征で、ちゃんと演奏をするためにも、海を渡る前日までみっちりとレッスンをした。
夏休みが明けて学校へ行ったとき、クラスの友達全員の名前を忘れてしまっていたくらい、その夏はバイオリンとオケにのめり込んでいた。
そして迎えた、遠征。
長期間、親元を離れることは初めてだ。オケのメンバーのほとんどは大人で、小学生は僕を入れて2人だけだった。
でも、僕は寂しさや孤独よりも、ワクワクする気持ちのほうが強かった。
生まれて初めての海外。
しかも、ヨーロッパ。
落ち着けという言葉が無意味なほど、僕の心は高鳴っていた。
ヨーロッパの街並みは、息を呑むくらいに美しかった。
ドナウ川を見て、モーツァルトの生地であるザルツブルクも行った。
本場の地で、少人数だけが入れる劇場でオケの演奏を見ることも出来た。
20年以上経った今でも、あのときの光景がありありと思い浮かんでくる。
外国人と会話する。
家族と離れ、異国の地で夜を過ごす。
なにもかもが初めての体験だった。
生まれて初めてのホームシックにもかかった。
あのときほど、「日本の米が食べたい」と思ったこともない。
僕は、家族と離れ、1週間もヨーロッパに滞在をした。
なんとか無事、演奏会も終えることができた。
あの経験は、僕にとってとても大きかったと今でも思っている。
間違いなく、大人への階段を踏み出す機会になった。
一回りも二回りも大きくなって帰ってきた。
「ガンバれば目標を達成することができる」と思ったし、英語なんて話せなくてもジェスチャーだけで、なんとか通じることもわかった。
親から離れても寂しさは乗り越えられるし、やっぱり日本のご飯はおいしい。
大阪の南河内という狭い場所にいた僕の世界は、海外へ行ったことで、大きく広がった。
学習塾では、勉強を学ぶ。知識が身につく。
でも、あくまでも用意されたものでしかない。
旅は、全く想定していないことがたくさん起きる。
飛行機の到着が遅れることなんてざらだし、海外の電車に“時刻表”なんて概念はない。
夜のまちを小学生の友達と歩くのはドキドキした。
小学校のときに覚えた理科の方程式なんて忘れてしまったけど、旅先で食べたものや話した会話、行った場所なんて、今でも覚えている。
まさに、プライスレスな経験だった。
学習塾以上に旅は学ぶことがたくさんある。
勉強は、テストの点数が手に入る。
旅は、人生の経験値が手に入る。
座学の勉強も大事だけれど、それ以上に旅はたくさんのことを教えてくれる。学べる。
“可愛い子には、旅をさせろ!”とは、よく言ったものだ。
僕は、中学生の生徒にひとり旅へ出させたことがある。
帰ってきたとき、今までみたことがないくらい凜々しい表情をしていた。
旅は、たった2日でも、子どもを成長させる。
劇的に。
小学生のとき、僕自身がどれだけ成長したかはわからない。
けれど、ヨーロッパから帰ってきたあと、なにか大きな成長をしたような気分にはなっていた。
8月、草津の小学生を連れて、福島県伊達市へ行く。
1週間。ほとんど親元を離れる。
子どもたちは、どんな変化をするのだろうか?
きっと、大きな経験値を得て、帰ってくるだろう。
20年後、30年後でも、伊達市へ行った思い出は、いつまでも子どもたちの心に生きているだろう。
僕がヨーロッパでの思い出を大切にしまっているように。
旅が終わったとき、子どもたちはどんな顔になっているだろう?
今から楽しみだ。