組体操にやる気だった先生の思い出

最近、運動会シーズンも手伝ってか、僕のTwitterで「組体操の危険性」がたびたび話題になる。
例えば「人間ピラミッド」で、下で支える子どもたちが耐え切れずに崩れ落ち、そこから生命にかかわる大怪我に繋がるケースが多発している、と言う。そして毎年のように骨折や後遺症の残るケガをする生徒がいるのにもかかわらず、学校側は何食わぬ顔で人間ピラミッドを作ろうとする。
僕の小学校の頃をふと思い出した。
組体操をやったのはたった1度、だけど。
僕が通った小学校の運動会は、毎年5・6年生が「四季」というどういうネーミングなのかもわからない組体操を披露するのが恒例だった。ところが、僕が5年のときだけ何故か組体操ではなく創作ダンスを披露した。あの年だけ何故組体操じゃなかったのかは、今となってはさっぱり覚えていない。
しかし、6年生になると有無を言わされず組体操をすることになった。その頃の組体操のイメージと言えば、終わると男女問わず全員白い体操服がドロドロに汚れている、ということと、人間が何段も積み重なってるときにみんな辛そうにしていた、ということ。
あんなことせんとあかんのか、と非常に憂鬱になったのを覚えている。
かくして2学期の幕開けとともに組体操の準備が始まった。「人間ピラミッド」は中途半端に体格が良かったせいか、最下段で歯を食いしばることになってしまった。当然とんでもない負荷がかかる。地面についた手のひらと膝がものすごく痛い。なんやねんこれ、何が楽しいねん。
あのとき、何度も上段なら重くないからそっちがいいと思ったけど、今考えたら崩れ落ちたときに危険なのは上段の方である。思い返して手に汗をかいてきた。
忘れられない、タワーのときに延々と説教を始めた先生のこと
そして、ピラミッドよりもさらに危険な「人間タワー」も当然プログラムに組み込まれていた。ただし、これはさすがに補助する教師の人数もあってか、全員参加のピラミッドと違い一部の子どもたちのみの参加という、ある程度の配慮がなされていた。
僕はタワーのメンバーからは外れ、数人の男子とタワーの周りで扇形を作る役割になった。この役割も、今思い返すと一体何の意味があったのかがいまいちよくわからないし、当時も「あまりもの」の烙印を押されたのだ、という気持ちでいた。
そしてここで鮮明に残っている記憶がひとつある。
運動場を広く使い、タワーの流れを確認していたときのこと。突然、担当の先生がタワーをやるメンバーに声を荒げて怒り出した。タワーから少し離れたグラウンドの外周で扇形をつくるために待機していた僕たちは、何が起こっているのかさっぱりわからない。
ただひとつわかったのは、僕と同じクラスの女子が泣いているということ。どうも彼女が何かをやらかして怒られているらしいのだが、如何せんその説教の時間が長すぎる。10分、20分、まだ説教が止まらない。一緒に扇形をつくる男子はもう小石を投げて遊ぶのにも飽きている。
やがて集合がかけられて間もなく授業終了時刻であることに気が付いた。結局、この日はこの事件のせいで全然練習ができなかった。
「オレは本当に最低な教師だと思う!」
この先生は自分の学年の担任ではないが、いわゆる「熱い」先生で、それもあってかクラスの雰囲気もとても良さそうだった。一度先生のクラスからニッポン!ニッポン!と言う声が聞こえてきて、何事かと思ったら教室のテレビでワールドカップの中継を流していたこともあった。
その先生が集合をかけるなり、いきなり僕らの前で頭を下げだした。
「みんな!本当にすまなかった!申し訳ない!」
全員、唖然。そんなのお構いなしとまくしたてるように経緯を説明する先生。
「折角の時間をこんなんにしてしまって・・・オレは本当に最低な教師だと思う!申し訳ない!」
「向こうにいる○○さん(泣いてた女子)、○○さんについてくれてる△△さんも本当に申し訳ない!」
運動場の水道の裏でまだ復帰するのに時間がかかりそうな2人に先生はまた頭を下げた。それと同時に授業終了を告げるチャイムが鳴り、解散が告げられる。
結局、あの日あのときあの先生はなんであの女子を数十分も泣かせるくらい叱りつけたのかまったく覚えていない。覚えていないということは明らかに冷静さを欠いたあの状態で、ちゃんと納得いく説明してくれたかどうかも定かではない、ということである。
ただ、ひたすら頭を下げる先生と「最低な教師」と言うフレーズだけ、鮮明に覚えている。
あの秋、間違いなく組体操にやる気だったのは・・・
僕は先生側だったと思う。
なんとかして完璧な人間タワーを見せたい。でも、ある児童がそれにあたって気に食わない行動を見せたから、何十分も延々と説教した。時間が削られるのを承知で、他の先生も止めることは無かった。ここに「教師のやる気」と「児童のやる気」に大きな温度差があるのは、まぎれもない事実だと思う。
結局、この事件以降、僕自身ももともとさほどなかった組体操への情熱はますます冷め、本番がどうだったか、そもそも周囲で扇形をつくる地味な役割だったので人間タワーが成功したかどうかも、なにひとつとして覚えていない。たぶん、他の生徒もある程度の温度差があっただろう。
教師側の熱意があらぬ方向にいってしまい、冒頭にも書いたように無茶な人間タワーやピラミッドによる事故が後を絶たないという。そこまでして子どもたちを危険な目に遭わせてまで感動を呼ぶのは、僕は違うと思う。そういうとき、得てして子どもたちは乗り気ではない。
僕らのときは大きな事故は幸いにも起こらなかった。だけど、教師側が組体操に情熱をかけていたけど、児童側はさほどやる気にはなっていなかった、ということは起こっていた。これが一歩間違えれば、救急車が続々やってくる事態になっていたのは、明白だ。
学校現場において、たった一瞬の感動を目指して人生を台無しにしてしまうのは、あってはならないこと。どうか、先生方はその熱意が果たして正しいのか、児童生徒を危険に晒していないのか、何度でも何度でも考えてほしい。間違った方向を目指したって、誰も感動なんかしない。
「組体操」を作るのは、教師だけではない。教師と生徒の共同作業なのだから。