「大地震の予言」から考える、後悔のない生き方

先日、「2015年4月12日に東海地震が発生する」という予言が話題となりました。

事の発端は茨城県の海岸にイルカが160頭も座礁したこと。東日本大震災の1週間前に同じことが起こっていたこともあり、一気に注目の的になりました。しかし、茨城あたりではこの季節の変わり目に海水温の差や地形の関係で、たびたびイルカが座礁してしまうことがあるらしく、今回もすぐに地震とは何ら関係ないことも指摘されました。

結局皆さんご存知の通り、4月12日に大地震が発生することはありませんでした。

「予測不可能なもの」に慄く、ということの裏に隠れているもの

さて、このイルカの件と予言によって、TwitterやFacebookではたちまち地震を不安がる人たちが続出しました。自分のTwitterやFacebookでも念のため懐中電灯を枕元に、とか、そもそも防災グッズがないので慌てて買ってきた、という人もいました。防災対策をきちんとすることはたいへん重要なことです。

不安がることが悪いことだとは思いません。しかし、このような科学的に何の根拠もないものに対して恐怖心を抱いたり、不安がるというのは、実は「毎日を必死に生きていない」ということが隠れているのではないでしょうか。

毎日を後悔なく生きていたり、目先のことにきちんと集中して取り組めているのならば、こんな予言などなにひとつ気にすることなく生活できているはずです。もし今このときに大地震が来たら激しく後悔するかもしれない、と思う人は、もっと目先のことにしっかり取り組まないと更なる後悔が待っているかもしれません。

どうしても不安になったら、なにをすべきか

ぼくはこのようなよく分からない情報に関しては、(たまにあっさり騙されますが)基本的には疑ってかかるようにしています。そのうえで自分の納得いくまで調べることを心掛けています。今回の場合だと、ほんとにイルカが座礁=地震が来るの?というところから、イルカが座礁する仕組みまできちんと確認するようにしています。

このように不安になったら、本当にその情報は正しいのか?出所は曖昧ではないか?ということを調べるのは有効な手段だと思います。その上で気持ちを落ち着かせて、目先のことに取り組んだり、やるべきことをこなしていくのが大切ではないでしょうか。

極端な話、人間は常に死と隣り合わせです。これを書いている間にも大地震が来るかもしれない、このあと外に出て車に轢かれるかもしれない、暴漢に襲われるかもしれない、道端で急病を起こすかも・・・生きるというのは多大なリスクがつきまとうことでもあります。

いつ死んでも後悔のないように毎日必死に目先のことに取り組めば、いつしかどういう理屈で言っているかもわからない地球滅亡や大地震の予言も、やがては気にならなくなるでしょう。自分もこんな生き方を身に着けていきたいものです。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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