目の前の子どもたちを心底大切にしよう、ただしそれにはまず「自分で自分のことを大切に」しよう

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昨年末、僕のFacebook上でこんな記事が次々とシェアされていました。

日本中全ての大人へお願いします | 生まれてきてくれてありがとう【感謝循環型社会】

この記事を要約すると、

  • 日本は世界的に見て人口の割合において子どもがもっとも少ない国だと自覚する必要がある
  • 社会を変えるためには、政治への関心ももちろんだがとにかく目の前の子どもたちを心底大切にしよう

といったところです。

正直な話、前者に関しては「子どもがもっとも少ない国」だという確かな情報源をきちんと示す必要があるのではないかと感じるのですが、それでもこのエントリーは広く共感を呼んでいて、Facebookでの反応数が5000を越えるほどにもなっています。

僕も読みながらふむふむ確かになあ、と思ってはいたのですが、同時に

これは、大きな『前提』がないと成り立たないのでは?

とも感じました。

このエントリーでは、「満員電車に子どもが乗ってたら配慮する」「ベビーカーのサポート」「子どもたちに温かい眼差し」など、子どもを大切にすることの例がいくつか挙げられています。大事です。すごく大事です。こうした行動が広まれば子どもたちが生き生きとする可能性は高くなります。

でもこれって、その配慮する側やサポートする側が「自分で自分のことを大切にできていない」と、やっぱり成り立たないのではないかと思うわけです。そしてもうひとつ、いくら常に「自分で自分のことを大切にできた」としても、1年のどこかで「大切にできない」期間が絶対あるはずなのです。

僕は子どもたちと関わるとき、「機嫌良く」というのを大きなモットーとしています。おもしろい話には笑い、いっしょにゲームするときは誰よりも楽しむ。こうすることで子どもたちが自分に話しかけやすい、親しみやすい雰囲気を作ることを、何よりも大切にしています。

しかし、そんな僕が「24時間365日機嫌良くいられるか」と言われれば、まったくの別問題です。

たとえば、昨年の夏の終わり、職場の冷房が27度設定なのにやけに寒いなあと思っていたら退勤途中に急激に体調が悪くなり、帰宅して体温を測ると高熱だったことがありました。

このとき帰りの電車ももうフラフラで、混んでる中奇跡的に空いていた優先座席に座らせてもらったほどの体調だったのですが、そんなときに「目の前の子どもを大切に!」と言われたら、正直無理だったと思います。それよりも自分のことで精一杯だ、という気持ちになっていたはずです。

体調面だけではありません。それこそなんか直前にイヤなことがあったとか、そういう気分的なもので機嫌を損ねる場合もあります。いわれなき叱責などで数日ほど大きく傷ついたときもありました。そんなときに「子どもを大切にできたか」と言われれば、できた自信はハッキリ言ってありません。

逆に自分ではなくて、目の前の人が明らかに疲れていたり体調が悪そうにしているにもかかわらず、それでも電車で子どもに席を譲ろうとしていたり「子どもを大切にしようとする」姿勢を見せていたら、僕は絶対「それよりも自分を大切にして!」と強く思うことでしょう。

繰り返しますが、冒頭で紹介したエントリーの「目の前の子どもたちを心底大切にしよう」というのには大賛成です。ただしそれには、「自分で自分のことを大切にできる」ことが大前提であって、しかし人間誰しも「24時間365日自分で自分のことを大切にできるはずがない」、というのが僕の意見です。

じゃあどうすればいいのか、という話になってくるのですが、僕は

  • 「『24時間365日』子どもたちを心底大切にしよう」と思わなくてもいい
  • そのかわり、自分なりの子どもへの接し方(関わり方)を考える
  • そして、自分で自分のことを大切にできないときに、子どもとどう接すればいいのかを知っておく

ことが大事なのではないかと考えます。とくに3つ目が非常に重要です。

冒頭のエントリーではえらく大きな文字で「子どもを心底大切にする」ことが書かれています。これも繰り返しですがこの視点はとても大事です。でもこれに引っ張られすぎて、「子どもを大切にできなかった」と完璧を求めて自己嫌悪してしまっては、この意見は本末転倒もいいところだと思います。

ここまで散々書いてきましたが、24時間365日ずっとずっと機嫌良く、目の前の子どもを大切にできる人たちであふれていたら、とっくにもう少子化なんて騒がれていないと思います。「大切にする」のは原則として、人間誰しも「大切にできないときもある」と割り切る勇気は必要です。

ただし、その勇気を持つには「自分の気分や体調が悪いときの子どもの接し方」をきちんと考えておかなければならない、という絶対的な条件が不可欠です。

その時々の気分、体調に合わせて、どれくらい大切にできるかを知っておく。たとえば疲れた状況で駅のホームにベビーカーのサポートを必要とするお母さんがいたなら、手伝えなくともそばにいる駅員さんに教えてあげることぐらいならできるかもしれない。

元気なときはこれくらいできるけど、疲れているのならばこの程度できればOK。そうやって自分を「知っておく」ことのほうが、ともすれば「目の前の子どもを心底大切にする」ことよりも大事な瞬間が絶対にあると思うのです。

僕自身も教育という分野で子どもたちを大切にすることを求められている身分です。少子化ということにも敏感でいる必要があります。少しでも子どもたちが生きやすくできるような環境づくりを、できることからやっていく2020年にしていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。