D.Liveはなにがしたいのか?桜井和寿を目指してNPO を立ち上げたワケ

ああ、自分は桜井和寿さんみたいになりたいんだ….  

自分が目指す方向性がわかった瞬間だった。
大学4回生になろうとしている頃、僕は就職活動で悩んでいた。
総合商社へ行きたいと思って始めた就活。

大学へ入り、マスコミ志望だったものの、「なんか違う」と思っていた。
次に考えたのが商社だった。

海外には貧困で苦しんでいる人たちがたくさんいる。
その人たちに手を差し伸べることができる仕事が、商社だと思っていた。

しかし、就活をはじめて、商社志望の同級生と会っていくなかで、自分の中での違和感が大きくなっていった。

彼らは、商社を志望している人たちは、みんな海外での経験が多くあった。

帰国子女はもちろん、1人でアジアを歩いた人や自分で貿易をしている人、海外支援に関わっていた人などなど。

それに引き替え、僕は海外での経験、海外でおこなう活動なんてしたことがなかった。
海外にさほど興味はなく、にも関わらず、外国の人たち、困っている世界の人たちを助けたいなんて思っていた。

NGOのマンスリー会員になり、寄付活動はしていたものの、現地に赴いたことはなかった。

考えて、ふと、思った。
自分は、そこまで、本当に海外の人たちへの支援がしたいわけじゃないのかもしれない、と。

きっと本当にやりたいのであれば、海外へ行っているし、もっと行動にうつしているハズだ。
でも、やらなかった。

僕の就職活動は、振り出しに戻った。

なにがやりたいのか?
どんな仕事をしたいのか?

自問自答する日々。
自己分析をするために書いた紙は、300枚を越えていた。

いろんな企業の説明会へ行くたび、迷っていた。

これがやりたいことなのか?
ほんとうにこれなのか?
そんなときだった。

いつものように、企業の説明会へ行こうと思って部屋でスーツに着替えていた。
なにげなしにつけていたYoutube。

そこに映っていたのは、Mr.Childrenの桜井和寿さんだった。
Liveの模様を映していたその動画を見たとき、僕は答えを見つけた。
*ああ、自分は桜井和寿さんみたいになりたいんだ。
自分でも気がつかなかったけれど、声に出して言っていた。

でも、すぐに、ん?待てよ、と思う。
僕は歌手になりたいんだろうか?
LIVEをしたいのだろうか?
なんだかしっくりこない。

なんなんだ。

どうして、僕はこの動画を見て、これがしたい!と、強く思ったのだろう。
明確な答えが見つからぬまま、僕は家を後にした。  

帰ってきてから、もう1度同じ動画を見る。

ああ、そういうことか。
曲が始まる前、桜井さんはLIVE会場に来ている人たちに話をしていた。
僕はそれを聞いて、とても勇気をもらった、励まされた。

そう、そうなんだ。

これがしたいんだ。

僕は誰かの背中を押すような、励ませるような、そんな仕事がしたかった。  

そう思って、僕は教育NPOを立ち上げた。
ただ、まだまだ、具体的にどんなことがしたいのかは漠然としていた。  

団体を立ち上げたとき、僕はまだ大学生で、もう、ただ、熱量しかなくって、「夢を持つことが大事なんですー」なーんて、少し恥ずかしいような、どストレートのラブソングを歌うアーティストのようなことを言っていた。

でも、そんな浮かれ足の僕たちは、スグに課題へと直面することになる。  

初めてのイベントを終えたあとに参加した、合宿形式のビジネスコンペ。

そこでメンター(アドバイスをくれる人)に、「キミたち、なにしたいん?」と、単刀直入に聞かれた。  

「子どもたちが夢を持つことが大事だと思うんですっ!」

「ふーん、でもさ、夢ってなんなん?なんで夢持たないとあかんの?別に夢なんてなくてもいいんちゃうん?」

「いや、やりたいことがないと、しんどいし、ツライです」

「ほんまに?それってさ、キミたちが思っているだけちゃうん?え?誰なん?そうやって困っている子ってどこにおるん?何人知ってるん?名前は?」
ボクシングだったら、KO負け。
もう、ボコボコだった。
部屋へ帰り、メンバーで話し合う。  

自分たちは、いったいなにがしたいんだろう?

メンターの人が言うように確かに夢なんかなくてもいいかも知れない。
僕たちは、もっと、こう、なんか、子どもの可能性を拡げたかった。
自信を持てていない子をなんとかしたかった。

暗かった窓の外は、気がつけば明るくなっていた。

眠たくて、どうしたいかもわからなくて、頭が朦朧(もうろう)としていたけど、話し合っていくなかで、次第に輪郭が見えてきた。
敗者復活できる社会にしたい!
誰かが発した言葉が、着火剤となり、次第に僕たちの熱量は高まっていった。

そうだ。
敗者復活ができる社会にしたいんだ。

今の世の中は、失敗が許されない社会。

なにかやりたいことがあっても、「失敗したらどうする?」という圧力がいろんなところからかかってくる。

親や先生、周りの大人、同級生。

周りの声などもろともせずに挑戦しても、うまくいかなければ、笑われる、嘲(あざけ)られる、罵られる。

成功したら良いけれど、うまくいかないと、二度と挑戦できない社会。

うまくいっている子は、自信がもてて、どんどんチャレンジしていける。

でも、自信がなかったり、挫折を経験した子は、もう二度となにかをやろうとしなくなってしまう。
可能性があると思っている子どもたちが、社会からの無言の圧力によって潰されている。

そんな現状に僕たちは我慢が出来なかった。
失敗しても、挫折しても、また立ち上がることができる。
何度でも挑戦できる社会にしたいと思った。
方向性が見えてくると、だんだんと道は拓けてきた。
どうして、自信を持てていないんだろう?  

たどり着いた1つの答えが、“自尊感情”という切り口だった。
自尊感情が高い子は、何度でも挑戦できるけど、自尊感情が低い子は、少しの失敗ですぐに諦める。

自尊感情を高めることができたら、僕たちが目指す社会に近づく。
どんな子でも、自分のやりたいこと、なりたい自分に向かって取り組むことができる。  

子どもの可能性を、無限の可能性を引き出したい、夢が大事なんですと、話していた青二才の僕たちも、気がつけば活動は8年を迎えようとしている。  

画面に映った桜井さんは、言葉をえらびながら、メッセージを届けていた。  

*会社の中とか学校の中とか、ちっちゃい工夫の積み重ねが、きっと回りまわって、僕らに届いているかもしれないし、この地球に影響を及ぼしているかもしれない。
*誰かの笑顔をつくっているかもしれない。  

みんな懸命に生きている。

だけど、どうしようもなくて、どうしたらいいかもわからないことがたくさんある。

不安で、やるせなくって、悔しくて。
自己嫌悪に陥り、ただ自分を責める。

ああ、なんで、自分はこんなにダメなんだろう。

涙が溢れる夜もある。
みんな懸命に生きている。
僕たちは、そんな人たちに寄り添い、大丈夫だよって、一緒にガンバっていこうって、声をかけたい。
活動をしている中で、子どもだけではなくって、先生や子育てをしている保護者の人たち
も苦しんでいて、自信が持てなくって、心を痛めていると、わかった。

だから、僕たちは、子どもだけでなく、子どもに関わっている人たちにも活動を届けている。  

子どものとき、僕はずっと孤独だった。
1人で生きてきた。
大人にも、友達にも頼らず、全ての選択をたった1人でおこなってきた。
結果、耐えられなくなって、つぶれた。  

1人は、弱い。
圧倒的に、弱い。

どんな強そうに思える人でも、1人ではそんなに強くない。

心は簡単に折れる。
でも、たくさんの味方がいればガンバれる、耐えられる。
明日もガンバろうって思える。

僕たちは、そんな、子どもや子どもと関わる人たち全ての味方になりたい。

学校へ行けなくて泣いている子がいれば、泣かなくても大丈夫だといい、
子育てに自信がなくて苦しんでいるお母さんがいれば、そっと寄り添って声をかける。  

しんどそうにしている先生がいたら話を聞き、自信を持てない子どもがいたら、その子が満足するまでじっと話を聞き続ける。

そんな人に、僕たちはなりたい。
意味のないことなんて1つもなくて、誰にも無限の可能性がある。

でも、今の社会では、比べられる、比較される、揶揄される。
失敗すると、笑われる。

1人、そしてまた1人と、挑戦を諦め、ただ、できなかった自分を責める毎日をおくる。

自尊感情なんて、ただのツールに過ぎなくって、僕たちが1番やりたいのは、自分に自信が持てなくて、ほんとうにやりたいこと、なりたい自分がいるにもかかわらず、できない、諦めてしまう。

そんな人たちへのサポートがしたい。  

僕たちは、誰かの人生の、モノクロの毎日に、彩りを加えたい。 
 

なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
『彩り』Mr.Children  

   

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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