「ありのまま」という言葉の甘い罠 その1

どうも、こんにちわ。スタッフの得津です。
昨年流行った「アナ雪」ですが、また続編あるみたいですね。ちょっと楽しみです。
その「アナ雪」での主題歌「Let it go」で使われまくった
「ありの〜ままの〜♪」というフレーズ。
自尊感情低下を解決するためには、もちろんありのままの自分を認める態度が必要なわけですが、
これって、そんなに甘い話ではない。
唄で飾ってみて、そこら辺のえぐみを覆い隠して「ありのまま」を「ありのままに見ていない」まま推奨されているんじゃないかという感覚をずっと持っていました。
それをバッサリと言い切ったのがこのブログ
「自分を認める」とは、自分の精神解体ショーをして、腐臭ただよう臓腑をのぞきこむことだ
これ、すごい良い!歯切れがすごく良い!
簡単にかいつまんでいうと、ありのままを認めるという事は今までフタをしてきた「汚い自分」を改めて見つめる事だ。それはすごくしんどい。だって、「汚い部分」はやはり「汚い」のであるから。
それを自己啓発やら目を背けてみたりしても、一時しのぎにしかならず、「汚い自分」が増えていくだけだと。
時間かかっても、きちんとそれと向き合っていこうと。
多少違うかも知れませんが、大筋こういう話です。
ちょっと、引用します。
次に、「自分が見ないようにしてきた汚い感情ってこんななんだ」と知り、思う存分ボーゼンとしましょう。「こんなのわたしじゃない」とか「怖いから逃げる」とかいう白痴モードに入滅したくなる自分ぐっとこらえて、汚い感情と嫉妬と身勝手さとずるさをひとつずつ解体し、指差し確認し、ラベル貼りして「こういう真っ黒いものがあるんだ」と諦めましょう。
汚いものがあるのが人間です。うちら臓器ないと生きていけませんからね。うんこすることを否定してたら生きてけないということを諦めましょう。アイドルじゃないんだから、フローラルうんことか愛されベビーピンクうんこなんて出るわけないです。汚物イズ汚物!でもそれがないと人間じゃない。闇があるから光があるって事実を拒否することをやめましょう。
「汚い自分」とのつき合い方
私が考えるのは、汚い部分やみっともない部分を意識にあげて奉る態度が必要だと思っています。
汚い自分を神棚にあげちゃうんです。そして、毎日拝みましょう
「今日も出てこないでね」って。
これはフタをして、見ないフリすることと違います。
意識にのぼさせることで、常に汚い部分やみっともない部分がでないように見張っておくということです。
汚い部分を正視して、それをきちんと受容することが一番です。
ですが、かなり「おえっ!」ってなることもあるので、
まずはその「汚い部分」に居場所を与えましょう。しかも神棚っていう良い場所。
そして、毎日拝むんです。これを「鎮める」というんだと思います。
地元の神様に対しても、こうして鎮める人がいました。
心の中でもこれをしようという話です。
まずは、フタをし続けてた汚い自分を少しずつドアあけてみるところから始めましょう。
「ありのまま」を認めるとは、唄うたうことでもなければ、自己啓発に行く事でもない。
自分のフタしたものに気づく事です。