「憧れの人」を目の当たりにしたときの承認欲求の話

先日、ひょんなことで、「水曜どうでしょう」のディレクターとしてお馴染みの藤村さんにお会いする機会がありました。

10年来の「水曜どうでしょう」の大ファンであるぼくは、『憧れの「藤やん」が目の前にいる』ということだけで一気に舞い上がってしまい、「ヤマモトくん、ちょっと落ち着いたほうがいいよ」と同席していた方からたびたび叱られてしまいました。

あとから思い返すと、確かにやたらと私知ってますアピールをしていたような・・・。流石にかなり反省しました。

「憧れの存在」が目の前にいても、冷静さを保てないものか。

こんなふうに、憧れの存在を目の当たりにすると、人間はどうしても舞い上がってしまうようです。

先日「アメトーーク」で広島カープ芸人をやっていたので観ていたら、チュートリアルの徳井さんが今年カープに復帰した黒田投手と2,3言葉を交わしただけで、とてもテレビカメラが回っているとは思えないほど興奮していました。

また、半年前に終了したラジオ番組「ナインティナインのオールナイトニッポン」では、終了を発表した翌週の放送後に岡村さんが乗車したタクシーの運転手さんが熱心なリスナーだったそうで、自宅までの道中質問攻めだったと嬉しそうに回想していました。どちらも、ぼくでいう藤村さんを目の当たりにしたときと同じような心理状態でしょう。

「憧れの人が目の前にいる」というシチュエーションだと、人間ってこうも承認欲求を大放出してしまうんですね。目の前にいる憧れの存在に少しでも認めてもらいたい、お話したい、という思いは包み隠しておくべきだな、ということを実感しました。承認欲求があれ以上暴走していたら、もっとたいへんなことになっていたはず。。

自分のあこがれの存在や有名人が目の前にいたときに、如何に冷静さ、つまり承認欲求を抑えられるか。藤村さんとの出会いから、またひとつ自分に足りていないものがわかった、そんなひとときでした。

藤村さん、その節はたいへん失礼いたしました。。。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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