あなたの子どもが不登校になったのは、誰の責任でもない

子どもが学校へ行かなくなったとき、しばしば家庭でこんなことが起こります。

「お前の教育が悪いせいだ」とお母さんに向かって怒る、お父さん。
「私がよくなかったんだわ」と責任を一身に背負い続ける、お母さん。

保護者目線で書かれた不登校の体験談には、時として夫婦で大喧嘩したり、夫どころか姑にも我が子の不登校を詰られるなど、読んでいる身でさえ涙が出てしまいそうな心苦しくなるものがあります。中にはそのまま離婚、というケースを耳にしたことさえあります。

こんな話を聞くたびに、僕はひとつ誤解しているようにしか思えないのです。

はっきり言って、あなたが関わる子どもが不登校になったのは、あなたの関わり方、接し方が原因ではありません。

いや、それどころか、その子どもが不登校になったことは、誰の責任でもありません。

単純に、その子どもにとって「学校が苦痛である」、たったそれだけのことなのです。

・・・とは言っても、「あのとき、ああいうことを言ってしまったから」とか、「あのときなんでこうしてあげられなかったのだろう」などと、不登校の原因と直接結びつかないものの日々の子どもとの関わり方や声掛けについて後悔する方もおられると思います。僕もこういう後悔はしょっちゅうしています。

ですが、そんなものは考えこんでも仕方がありません。

アドラー心理学の名著『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』に、こんな一節があります。

カウンセリングで時々使う「三角柱」。ひとつの面には「悪いあの人」、もうひとつの面には「かわいそうなわたし」と書かれています。三角柱なので面はさらにもうひとつありますが、3ついっぺんに面を見ることはできません。つまり、この時点ではもうひとつの面が隠されている状態です。

ではその「もうひとつの面」には、なんと書かれているのか。

冷淡さゆえに聞き流すのではありません。そこに語り合うべきことが存在しないから、聞き流すのです。たしかに「悪いあの人」の話を聞き、「かわいそうなわたし」の話を聞き、わたしが「それはつらかったね」とか「あなたはなにも悪くないよ」と同調すれば、ひとときの癒やしは得られるでしょう。カウンセリングを受けてよかった、この人に相談してよかった、という満足感もあるかもしれません。
でも、それで明日からの毎日がどう変わるのか?また傷ついたら癒やしを求めたくなるのではないか?けっきょくそれは「依存」ではないのか?……だからこそアドラー心理学では、「これからどうするか」を語り合うのです。

引用:岸見一郎・古賀史健(2016)『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』ダイヤモンド社 P73

これからどうするか」。

そうなのです。

「お前の教育が悪いせいだ」と怒るのは、「悪いあの人」。

「私がよくなかったんだわ」と落ち込むのは、「かわいそうなわたし」。

そんなことを言ったって、落ち込んだって、目の前の「我が子が不登校」という事実は、どうにもならないのです。

カウンセリングを受ける相談者の話を聞いていると、どうしても話の中身が「悪いあの人」か「かわいそうなわたし」のどちらかに集約されてしまうことが多いそうです。しかし、どれだけ「悪いあの人」を責めても、「かわいそうなわたし」をアピールしても、その問題の解決にはまったくつながりません。

なぜなら、どうあがいても、「悪いあの人」も「かわいそうなわたし」も過去の出来事だから。

当たり前ですが、「過去」はもう1mmを変えることができません。たとえば前の夜に食べたものが悪くて翌朝に腹痛を起こしたとしても、前の夜に戻って違うものを食べるという選択肢はないはずです。いくら食べたことを後悔したところで、その腹痛がどうにかなるわけではありません。

これは、不登校でもいっしょです。

どんなに「お前の教育が悪いせいだ」と怒っても、たしかにその教育が悪かったのかもしれませんが、それを今更どうこうすることなんてできません。「あのときあんなこと言わなきゃよかった」と思っても、その発した言葉を取り消すことも叶いません。これらはすべて「過去」の話です。

そうじゃなくて、大事なのは「これからどうするか」ということなのです。

翌朝にやってきた腹痛をどうにかするには、たとえばトイレにこもったり、正露丸などのなにか薬を飲んだりするように、その状況に対して今できること、やれることを考えなければならないのです。

「お前の教育が悪いせいだ」というなら、これからどうすればその「教育」が良くなるのでしょうか。

「私の接し方が良くなかった」と思うなら、何を心がければその「接し方」が改善できるでしょうか。

そこに気づかない限り、不登校の子どもたちはずっとずっと大人に振り回され、苦しみ続けます。ばつの悪いことに、不登校の子どもたちは両親の顔をよく見ています。なにか暗い顔をしていたり、大声で喧嘩をしていると、両親がもめたり険悪な雰囲気になった責任を一身に背負い込みます。

ただ、自分が学校に行きたくない、学校の雰囲気が苦手、たったそれだけのことなのに、なんでお父さんとお母さんはこんなにも怒鳴り合いをするのだろう。不登校の子どもたちは、そんなことを思いながら毎日両親の家庭での様子を観察しているかもしれません。

改めて書きます。「不登校」は、誰の責任でもないのです。

いままで書いてきたことは、「学校の先生」にも一部当てはまります。

もちろん、たまに報道されるようなパワハラやモラハラを持ち出し、振りかざさなくても良い権力で子どもを傷つけて不登校になった場合は論外です。ですが、ほんの些細なこと、それこそ僕のように教室の雰囲気や集団行動が苦手で不登校になった子どもたちも大勢います。

そんなときに、「私の関わり方がよくなかったんだ」と、責任を負う必要はないと思います。

先生もまた、「これからこの子との関わりをどうするか」ということを考えるべきです。

家庭訪問を増やすのか、そのときなにかいっしょに取り組めるような課題を準備するのか。交換日記はどうだろう。そんなことを考えることが、「これからどうするか」の第一歩です。

「悪いあの人」を責め続けても、「かわいそうなわたし」がいつまでも責任を背負い込んでも、目の前の不登校という状況に何も変わりはありません。スパッと切り替えて、「これからどうするか」を真剣に考えていきましょう。もちろんひとりで考えず、弊団体をはじめいろんな人たちを頼ってくださいね。

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    この記事を書いた人

    子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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