母親失格。〈連載小説③〉

〈連載小説③〉
夕食の片付けが終わり、智子はノートに書いた文字を見返していた。
自己肯定感か……。
言葉は知っていた。
けれど、深く考えたことはなかった。正直に言ってしまえば、そんな余裕はなかった。
ただ目の前にいる子どもとの格闘で毎日が過ぎていった。
どうすれば、やる気を出すの?
どうやって関わればいいの?
どうしたらいいのか?
どうやればいいのか?
ずっと子育ての答えを探していた気がする。
魔法の方法がどこかにあるハズだと思い、本を読む。雑誌を手に取る。
良さそうなことは取り組んでみるが、結局続かない。
忙しさを理由にして、大切なことをなおざりにしていた。
私は、拓海のことを評価ばかりしていた。
「すくすく育ってくれたらそれでいい」と思っていたのに、いつの間にか誰かと比べるのが当たり前になっていた。
出来ていない部分を探し、常にイライラしていた。
勉強や目に見える部分だけを見ていた。
ちびまる子ちゃんの友蔵みたいに、ありのままの彼を見ることは出来ていなかった。
なによりも、自分自身、自己肯定感が低いんだなと、中田の話を聞いて思った。
自分自身、ずっと自分を受け容れることが出来ていなかった。
だから、ダラダラしている拓海を見るとイライラしたのだと思う。
まるで自分を見ているように、無意識の中で思ったのだろう。
私、母親失格だな……。
智子は、ダイニングテーブルでうつむき、流れる涙を止めることはできなかった。
-母親失格-
なんだか行きたくなかった。
自分自身がイヤになっていた。
中田に会うことで、これ以上「母親失格の烙印」を押されるのかと思うと、足取りは重かった。
この日は、パートが休みの日。
もういっそ喫茶スワンへ行くことをやめてしまおうか、とも思った。
でも、子どもじゃないのだし、自分のためにわざわざ時間を取ってくれている中田に申し訳が立たない。
気が進まないまま、車のエンジンをかけて、スワンへと向かう。
赤い目をなんとか隠そうと、コンタクトではなく、メガネをかけてきた。
「こんにちは」
いつものように、優しい顔で中田は迎えてくれる。
「中田さん……」
今にも泣きそうな顔で、智子は中田を見つめる。
突っ立ったまま智子は、話し出した。
「私、母親失格だと思うのです」
「おや? いったいどうされましたか? まぁ、まずはおかけください」
促されるまま、智子は向かいの席に座る。
「昨日、なにかありましたか? 話してみてください」
智子が黙っていると、マスターがコーヒーを煎れて持って来てくれた。
テーブルに置くと、ニコっと顔をしわくちゃにして微笑みかけて、去って行く。
少し気が落ち着いた智子は、たっぶり砂糖を入れたコーヒーをすすった。
息を吐き、中田へ言った。
「自己肯定感の話を聞いて、じっくり考えてみました。それで、思ったのです。私はずっと子どもを評価していました。比較ばかりしていた。自己肯定感を下げることばかりしていたのです」
中田は、なにも言わず、ただ黙ってうなずいている。
「なによりも、私、気がついたんです。自分が自己肯定感低いなって。自分に自信が持てなくて、ずっと悩んでいた。そのイライラを子どもたちにぶつけていただけなんです。子どもたちはなにも悪くないのです。悪いのは、私。私、母親失格です……」
こらえることができなかった。いつの間にか、涙は頬をつたい、止めどなく流れる。気がつけば嗚咽に変わり、智子は肩を震わして泣いた。
子どもたちに謝りたかった。
「ひどい母親でごめんなさい」と言いたかった。
私は、母親失格だ。
子どもを育てる資格なんてない。
自分が情けなく、子どもに申し訳なく、後悔の気持ちがあふれだし、涙を止めることはできなかった。
中田は、なにも言わなかった。
智子が泣いているあいだ、優しい顔で、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
嗚咽が収まったとき、そっとハンカチを中田は差し出した。
涙を拭きながら、「ごめんなさい……」と智子は、たどたどしくいった。
中田は、優しいまなざしを向けて、「いえ、大丈夫ですよ。感情は、出したほうがいいのです。だから、思う存分吐き出してください」
この落ち着きは一体どこから来るのだろうと智子は内心思いながらも、中田の言葉に救われる思いだった。
泣き止むのを待ってから、中田は、なんでもないかのように言った。
「大丈夫ですよ」
「えっ?」
「母親失格だなんてこと、ありません」
「いやっ、でも……」
言おうとする智子の言葉を遮るように、中田は言った。
「こんなにお子さんのことを思っている人が、母親失格だなんてことはありません。もし智子さんが失格になるのであれば、世の中の90%以上の親御さんは、資格を失っていますよっ」
軽い冗談を話すように、中田は笑顔で言った。
「それにね……」
中田は、イスを引くと、智子のほうをじっと見た。
「智子さんの自己肯定感が低いから、どうしたって言うのです?」
「自信がない母親だなんてダメだと思うのです……」
「僕は、そうは思いません」
普段、どんなことでも受け容れるように聞いてくれる中田がここまでキッパリと言う態度に、智子は少し戸惑った。
「僕は、別に自己肯定感が低いことは問題だとは思っていませんよ」
「えっ?」
「自己肯定感は、あくまでも感情です。主観なのです。嬉しいことがあれば高くなるし、辛いことがあれば、低くなります」
「でも、低いとダメなんじゃないですか?」
「確かに低いことで、意欲を持てないし、大変なこともあります。低い状態は、好ましいことではありません。でもね、人間なんで浮き沈みすることはあります。僕が問題だと思っていることは、自己肯定感がずっと低いままでいることです」
「低いままでいる?」
「はい。ずっと自己肯定感が低いと、どうなるでしょうか?」
「う〜ん、自分がイヤになったり、ずっと意欲が持てなかったりでしょうか?」
「そうですね。その状態が続くのが問題なのです。だから、智子さんが自己肯定感が低い時期があったところでなんの問題もないのです。もしまだご自分が低いなぁと思うのであれば、これから高めていけばいいのですよ」
「そっかぁ……。でも……」
「はい」
「私が自己肯定感が低いせいで、子どもには迷惑をかけました」
「どうでしょうか。それが事実かどうかは分かりませんが、子どもに迷惑をかけてなにが悪いのです?」
「え?」
「お子さんも智子さんの大切な家族ですよね。家族同士、支え合う関係であって、家政婦ではありませんよね?」
「そりゃぁ、まぁ、もちろん違います」
「大人だから、親だからって全てできるわけじゃありません。完璧な人なんていません。できなくて当たり前なんです。迷惑をかけた? いいじゃないですか。親子、持ちつ持たれつの関係なのですから」
「私は……悪くない……と?」
「だから、ずっと言っているじゃないですか。以前にも言いましたよね。ちゃんとガンバっている自分を認めてあげましょう、と」
「はい……。でも、やっぱり、自分がダメな気がしてしまって……」
「智子さん、出来ない部分をご自身で認めること、受け容れることは素晴らしいです。ですが、反省をするのはやめてください」
「えっ。どうしてでしょうか? 反省しないと、また失敗してしまいます……」
「反省すると、どんな気持ちになりますか?」
「そうですね……。落ち込みます。自分がイヤになってしまいます」
「反省は、基本的にネガティブな感情しか与えてくれません。真面目な人ほど反省をします。でもね、反省してはいけないのです」
「じゃあ、失敗しても気にするな、と?」
「そうではありません。失敗すれば、修正すればいいのです。反省せず、間違った部分だけを見つけ、”次はこうしよう”と改善する。なにがダメだったと悪かったところを何度も何度も思い出すのは、ただ落ち込むだけです」
「反省をせずに、修正をする……」
「そうです。とにかく、自分を責めることは一切やめてください」
「そっかぁ……」
智子は遠くを見つめ、ふぅと、息を吐いた。
「難しいな……。中田さん、ありがとうございます。優しいお言葉、すごく嬉しいです。でも……」
暗い表情をしながら、智子は言った。
「やっぱり、考えてしまうのです。もっと、出来たのではないか、と。いったい、なにをしてたのだろうって。私の自己肯定感が低いばかりに、子どもたちをずっと責めてしまっていた。苦しめていた。評価や比較ばかりしていました。中田さんに自己肯定感のお話しを聞いてから、ずっと後悔が心の中にあるのです」
「良いじゃないですか」
「へっ?」
あまりに想定外の返事が返ってきたので、思わず智子は変な声を出してしまった。
「良いじゃないですか。それで」
「いや……。良くありませんよ。今でも後悔しているのですから」
「こんなことを言っては元も子もないですが、後悔するのはもう仕方ありません。ああしておけばよかったなんて、人生にはたくさんあります。僕が”良かった”と言ったのは、智子さんが気がつくことができたからですよ」
「え?」
「智子さんは自己肯定感の大切さに気がつき、今までお子さんを比較や評価ばかりしてしまっていたと分かった。これが大切なのです」
「分かったのだから、良い……と?」
「はい。気づくのと気づかないのでは、大きな差があります。智子さんは、気がつくことが出来たのです。決して遅いことはありません。これから出来るようになっていけばいいのです」
「そう……でしょうか? 私にできますか……?」
「大丈夫です。今までも懸命に子どもと向き合ってきた智子さんなら、きっとできます」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると心強いです」
先ほどまで、どんよりと曇っていた智子の顔が見る見ると輝いていく。
「反省せずに、修正していけばいいのですよね。出来ていないところはたくさんありますが、一つ一つできるようにガンバってみます」
「はい、楽しみながら、やっていきましょう」
-自分のことを分かってくれると思えるか?-
「あらためて、今日は子育てのプリンシプルについてお話しをさせていただきますね」
「お願いします」
「子どもが、自分のことを分かってくれると思えるか? について話しをしていきましょう」
いつものごとく、智子はノートを開き、ペンを持っている。
「早速ですが、智子さんにお伺いします」
「はい」
「拓海くんは、智子さんが”自分のことを分かってくれている”と思っているでしょうか?」
「いえ……、思っていないでしょう……」
「どうして、そのように思いますか?」
「いつもガミガミうるさく言っているからです」
「智子さんは、拓海くんのことを分かっていると思っていますか?」
「以前は、分かっていると思っていました。思春期になる前くらいまでは。でも、今はさっぱりです。彼がなにを考えているのか、全く分かりません」
「思春期になると、なかなか母親には心を開いてくれませんよね」
「そうなのです。最近は、ただ私が一方的に怒鳴っているような感じです」
「分かりました。ありがとうございます。では、現状では、拓海くんは、智子さんが”自分のことを分かってくれていない”と、思っている」
「はい。そうです」
「プリンシプルは、チェックリストしても使うことができます。常にこの問いかけを自分自身ですることによって、子育てが順調にいっているかの確認ができます」
「チェックリストして使えるっと」
智子は、ノートにメモをする。
「”子どもが、自分のことを分かってくれると思えるか?” という質問に対して、現状ては智子さんは、Noという答えですね」
「はい。悲しいですけど」
「では、これをYesになるようにしていきましょう」
「そんなことができるのですか?」
「Yesになるかどうかは子ども次第なところもあります。しかし、Yesに近づけることはできます」
「教えてくださいっ!」
「はい。では、順番にいきましょう。どうすれば、拓海くんが”分かってくれる”と思うでしょうか?」
「う〜ん、分かりません……。小さい子なら、話しを聞いてあげるって方法が使えると思うのですが、いかんせん、聞いてもなしのつぶてで、なにも言ってくれないので……」
「他には、なにか方法、思いつきますか?」
「どうでしょうか? 怒らないとか?」
「ほうほう」
「いやぁ、ちょっと分からないです」
「分かりました。では、復習から入りましょう」
「はい」
「分かってくれるというのは、まるちゃんで出てくる友蔵のような感じです」
「温かく受け容れ、包み込んでくれるような存在」
「はい。そうです。ただし、友蔵を目指す必要はありません。祖父と母親では子どもとの距離も違います」
「うん。絶対、友蔵にはなれないですもん」
「では、智子さんができることはなにかを考えてみましょう」
「私にできること、あるでしょうか?」
「ちゃんとありますよ」
「だと良いのですが……」
「まず初めに、智子さんはもう今までの智子さんとは根本的に違っています」
「違っている?」
「そうです。もう完全に違っている」
「どうしてでしょうか?」
「それは、自己肯定感のことを理解しているからです」
「と、言うと?」
「今まで、智子さんはお子さんについて、どんなところを見ていましたか?」
「そうですねぇ。学力とか意欲とかですかね……」
「でも、自己肯定感を知ったことで、それ以外の部分に関しても意識するようになったと思います」
「あっ、確かに。この子の自己肯定感は、どうなんだろう? って思って見ています」
「今までだったら、なにも意識せず、誰かと比べることをしていたと思います。でも、これからは、比較することは少なくなるのではないでしょうか?」
「はい。自己肯定感を下げるようなことは、したくないって思います」
「そう。智子さんは、自己肯定感という指標を手に入れたのです。子どもを判断するときの指標はいくつかあります。学力や運動神経、明るさ、元気さなど。でも、それだけを見ていると、自己肯定感が低い子を見逃してしまいます」
「優秀なのに心が折れてしまう子がいるように」
「だから、自己肯定感を理解した智子さんは、これまでともう決定的に違うのですよ」
「おお。なんだかそう言われると、そんな気になってきました」
「実は、”自分が自分であって大丈夫と思えるか?”というのも、子育てのプリンシプルの一つです」
「あっ、もうすでにプリンシプルを私は教わっていたのですね」
「自己肯定感についても、ただ大事だと思うのと、どうして大事なのか、どういうものなのか原理を分かっていないと意味がないのです。智子さんは、ちゃんと理解ができているので、一つマスターしていることになります」
「おお! 知らぬ間に!」
「だからこそ、もう既に、今の智子さんは、これまでとは決定的に違うのですよ」
「そうだったんですね」
「原理さえ分かれば、あとは方法の話だけです」
「それをぜひ教えてください」
「では、友蔵で考えてみましょう。彼ができていることってなんでしょう?」
「う〜ん、評価しないこと。勉強のことは、とやかく言わない。怒らない。温かく包み込む、とかでしょうか? う〜ん、見事に全部できていないです」
「大丈夫。今からできるようになれば良いのです」
「あっ、反省したらダメなんでしたね。えっと、修正していきます」
「その調子です。この中で、出来そうなことはありますか?」
「う〜ん、怒らないとかは難しいなぁと思います。やっぱり勉強していない姿を見ると、イライラしてしまうと思います」
「そうですね。では、他はどうでしょうか?」
「評価しないってのが、ちょっと分からないです。テストで悪い点数とってきても、褒めたらいいのでしょうか?」
「とても良い質問です。よく自己肯定感の話をすると、”甘やかすこととは違うのでしょうか?”と聞かれます」
「私も思いました。評価しない、受け容れるってことは、どんなことがあってもそれを認めてあげることなのかなって」
「では、そのあたりの部分を説明しましょう」
「お願いします」
「自分を受け容れるときの話で、肯定も否定もしないって言いましたよね?」
「はい。ただありのままを受け容れる、と」
「評価しないというのも同じです。テストでお子さんが悪い点数をとってきたら、受け容れてあげたらいいのです」
「えっと、褒めることではないのですよね?」
「褒めるってのは肯定になるので違いますね。ただ、ありのままを受け容れるのです」
「う〜ん、どうしたらいいのでしょうか?」
「そっかぁ、テスト60点だったのかぁ、と聞いてあげるのです」
「でも、それでは、勉強ガンバらなくなってしまうのではないでしょうか?」
「大丈夫です。受け容れるっていうのは、優しく聞いてあげる。感情をちゃんと受け止めてあげるということです」
「拓海は、悪い点数を取っても”テストなんてどうでもいいいし”と言っています。その気持ちも受け容れる、と?」
「そうです。”あなたはそんなふうに思っているんだねぇと、ただ温かく聞いてあげるのです。そうすることで、自己肯定感は高まっていきます」
「自己肯定感は高まるかも知れませんが、いつまでも勉強しないのは困ります……」
「では、僕の教室へ聞いている生徒の例をご紹介しましょう。勉強が大嫌いな中学生がいました。テストの点数も50点もないくらいです。テストのことを聞くと、イヤそうに点数を答えました。さて、そのとき智子さんなら、なんて答えますか?」
「えっと……。肯定もしない、否定もしない。ただ受け容れるですよね……。えっと、”こんな点数だったのかぁ”ですかね? なんか変な感じ……かな」
「大丈夫です。受け容れようという感じが出ています。そのとき、僕は”そうなんやぁ。この点数どう思うの?”と、聞きました。すると、彼はこんなことを言ったのです」
面白いことがあったと言うような顔をして、中田は話しを続けた。
「”いやぁ、イマイチやわ。全然できなかった。まぁ、でも初めの部分はガンバったところもある。そこ、ちゃんと勉強したところやったし良かった。でも、点数としては全然あかんかったなぁ”と、一人で振り返りをし出したのです。
そして、”次は、もうちょっとガンバろうと思うわ”と言いました」
「えっ? 自分から?」
「そうなのです。自分で良かったところ、ダメだったところを振り返り、次への抱負を語ったのです。もし、これが一方的に”こんな点数じゃダメでしょ。次は、どうするのっ!”と言えばどうでしょうか?」
「いつもそうしていました……」
「きっと、ふてくされて、そそくさと自分の部屋へ行くことだと思います」
「う〜ん、でも、拓海に聞いたところで、こんなふうに振り返るとは思えないです……」
「はじめは難しいかも知れませんね。でも、大切なことは、テストの点数に関して、お子さん本人がどう感じているかなのです。テスト結果についてどう思っていて、これからどうしたいと思っているのか。それを聞いてあげることが必要なのです」
「きっと、別にテストなんてどうでもいいやって思っていると思うのですよねぇ」
「ここで、もう一つ、子育てのプリンシプルをお伝えしましょう」
「あっ、はい」
智子は、ペンを持つ。
「答えは子どもの中にある」
言われたとおり、ノートに書く。
「答えは子どもの中にある、ですか……」
「そうです。答えは、子どもの中にしかありません。だからこそ、こちらで勝手に判断することなく、子どもに一つ一つ確認をしましょう。とことん聞くのです」
「ああ、私は、こう言うだろうと思って、勝手に判断していました」
「思春期になると、受け答えもちゃんとしてくれないので、どうしても会話するのをサボりたくなると思います。でも、やっぱり聞かないと分からないのです。さっきの生徒に関しても、50点より低い点数が良いのか悪いのか分からないのです。こちらに判断基準がない以上、子どもに答えを仰ぐしか仕方ないのです」
「そっか。つまり、彼にとってはとてもガンバった50点なら、それはそれでオッケーということですよね」
「そういうことです。でも、本人がとてもガンバったと思って満足していた点数にも関わらず、大人が、そんな点数ではダメだと言えば、子どもはどう感じるでしょうか?」
「分かってくれないと思う」
「そのとおりです。だからこそ、子どもに聞かないとダメなのです。その子のことをちゃんと分かってあげるためにも」
「そういうことかぁ。どんなことでも、子どもに聞けばいいのですね。どう思う? どう感じている?と」
「そうです。あとは、”あなたはそのように感じているのだね”と受け容れてあげることができれば、子どもは、ちゃんと聞いてくれる。分かってくれると思えます」
「私は、いつの間にか聞く努力を怠って、勝手に決めつけていたのですねぇ」
「大人は自分が正しいと思っています。子どもはなにも分かっていないので、こちらがちゃんと教えないとダメだ。しつけてあげないとダメだと思っています。でも、その必要はないのです。だって、勉強しないといけないなんて、思春期にもなる子どもはみんな分かっているのですから」
「ほんとうに分かっているのでしょうか? 分かっているのであれば、もっと勉強をガンバって欲しいのですが……」
「では、次回は勉強の意欲について話しますね」
「お願いします。切実です……」
(つづく)