なぜ、子どもは勉強のやる気がないのか? 〈連載小説④〉

〈連載④〉学習意欲について
「今日は、勉強の意欲について学んでいきましょう」
「お願いします」
「智子さん、どうして子どもは、勉強のやる気が持てないと思いますか?」
「どうして勉強をしないといけないのか、理由が分からないからでしょうか?」
「他には、なにかありますか?」
「あとは、分からないからだと思います。分かったら楽しいけれど、分からないとイヤになってしまいます」
「ありがとうございます。まさに、その通りですね。勉強の意欲を高めるには、まずは、どうして子どもが勉強の意欲を持てないのか、やる気が出ないのかについて考えていきましょう」
これがわかれば毎日毎日イライラすることがなくなるかもしれない。智子は、期待に胸を膨くらませながら中田の次の言葉を待った。
「智子さんがおっしゃったように、子どもは急に勉強が嫌いになるわけではありません。少しずつ少しずつ、だんだん勉強が嫌いになっていきます」
「そうですよね。拓海も低学年のときは、今のように勉強を嫌がることはありませんでした」
「これには、学習性無力感が関係しております」
「がくしゅうせいむりょくかん?」
「ちょっとだけ難しい話になるのですが、やる気がない状態っていうのは、学習していった結果なのです」
「学習していった結果……ですか?」
「簡単に言うと、いろんなことを経験した結果、やる気がなくなっていくということです。拓海くんは、以前は勉強のやる気があったのですよね?」
「あったと言えるかは分かりませんが、イヤイヤながらも宿題は、ちゃんとやっていました。今みたいに、ほとんど勉強しないってことはなかったのです」
「中学生にもなると、だんだん勉強が難しくなっていきます。すると、分からないところが増え、イヤになってしまう」
「根気がないんだと思うのです。分からなくても、先生や友達に聞けばいいのに、なにもしない。分からないからと言って、すぐに諦めるのです」
「それも、学習性無力感が影響しています」
「そうなのですか?」
「はじめのうちは、誰でも勉強をガンバろうと思っているのです。一生懸命にやる。でも、分からない。もう一度ガンバろうと思ってやる。でも、また分からない。そして、ガンバっているのに、全然結果がでない。そうなると、どうなりますか?」
「やる気をなくす、ですか?」
「そうなりますよね。出来ないって経験を積み重ねたことで、拓海くんは勉強するのがイヤになってしまったのです。どうせ、また勉強やってもうまくいかない、ということを学習したのです」
「それが学習性無力感というもの?」
「はい、そうです。よくたとえで使われるのは、サーカスのゾウのたとえです」
「サーカスのゾウ?」
「子象のときに、細い鎖を繋いでおきます。子象は、チカラがないので、暴れても鎖は切れません。ゾウが大きくなっても、鎖は同じまま、細いままなのです。体も大きくなり、本気でやれば、きっと鎖は切れるでしょう。でも、やらないのです」
「子どものときにできなかったから?」
「その通りです。できないことを学習してしまったので、もうはじめから諦めているのです」
「ああ、それは全く拓海と同じです。私は、ガンバったらできるのに、やってみるうちから諦めてどうするのよと思っていました。でも、そうじゃないのですね。あの子も同じように学習性無力感の状態になっていたのか……」
「だから、ハッキリ言って、怒ったり励ましたりしても、あまり意味がないのです。もう、初めから諦めてしまっているので」
「では、打つ手はないのでしょうか?」
「そんなことはありませんよ。ちゃんと、できることはあります」
「教えてください!」
「まずは、安心して学べる環境を作りましょう」
「安心して学べる環境ですか?」
「そうです。たとえば、勉強しているときに、分からなくなってイヤになってしまう。勉強で怒られることがある。そんな不安定な状態では、なかなか勉強をすることができません」
「勉強しなさいっ! と、怒ることも良くないでしょうか?」
「強制的になにかをさせられるのは、外発的動機付けと言います。怒られるから勉強する。怒られないために勉強する。なにかもらえるから勉強する。こういったものは、基本的にイヤイヤするので、あまり成果はあがりません」
「でも、それじゃあ勉強していなくても、怒ってはいけないと?」
「できれば。まぁ、イライラしてしまうこともあると思うので、怒ってしまうのも仕方ありません。でも、できれば怒ることは、やめたほうが結果的に勉強するようになりますよ」
「ほんとでしょうか? 放っておいても、いつまでたってもやらないと思います」
「智子さん、放っておきましょう、とは言っていませんよ」
「え? 違うのですか?」
「よく思春期の子は難しいし、なにを言っても聞かないと言われます」
「はい。もうなにを言っても、反応がないです」
「なかなか難しいですよね。でも、だからと言って放っておいても良いわけでもありません。先日、放っておいても自信が回復するっていう保証はないと言いましたよね?」
「あっ、はい。そうですね」
「放っておくって言うのは、親からしたら、ギブアップ宣言です」
「ああ、なんだか分かる気がします。白旗をあげている感じですよね」
「では、見守るではどうでしょうか?」
「すごく温かい感じがします」
「そうですよね。でも、放っておくも見守るも、ほとんどやっていることは同じなのです」
「ほんとですねっ!」
「では、なにが違うと思いますか?」
「なんだか見守るのほうが優しそうです」
「ほかには?」
「見守るのほうが、ちゃんと見ている感じがします」
「そうですね。見守るというのは、常に手を差し出している状態だと僕は思っています」
「手を差し出している?」
「困ったとき、相手が手を差し出してくれていたら掴まることができますよね」
「はい」
「でも、ポケットに手を突っ込んでいたらどうでしょうか?」
「助けてもらうことはできません」
「これが、”放っておく”と”見守る”の違いだと、僕は考えています。見守るっていうのは、ちゃんと見ている状態です」
「放っておくというのは、目を離している感じですね」
「はい。まぁ、アドバイスで”放っておきなさい”というのは、見守るという意味の場合も多いですけれどね」
「そっか。そういうこともあるのですね」
「ただ、勉強に関して言うと、ただ見守っているだけでも、なかなか勉強の意欲が高まることはありません」
「やっぱり……」
「だからと言って、ガミガミ言っていいわけではありませんよ?」
いたずらっ子のような顔をしながら中田は言う。
「はい……」
智子は、苦笑いし、身をすぼめた。
「安心して学べる環境と言うと分かりにくいので、違う言い方をしますね」
「お願いします」
「イヤにならないようにすることが大事です」
「イヤにならない?」
「勉強する前、しているとき、イヤになることありますよね? たとえば、分からないとか」
「怒られるとか?」
少しはにかみながら智子は言った。
「はい。ただでさえ出来ないと思っているし、自信を失っています。諦めているので、ちょっとでもイヤなことがあれば、やっぱり今回もダメだと思ってしまいます」
「学習性無力感が発動するといった感じでしょうか?」
「そうですね。だから、できるだけ発動しないようにする」
「イヤにならないようにする?」
「そうです」
「でも、どうすればイヤにならないように出来るのでしょうか?」
「たとえば、分かりやすい参考書を見つけてあげる。簡単なクイズを出して、”出来た”という経験を増やす。分かるところまで戻って学習する、などがあります」
「なんだかちょっと過保護な気がしてしまうのですが、良いのでしょうか?」
「過保護というのは、子どもが選択する機会を奪う。なにかする機会を奪うことです。勉強で言えば、代わりに問題を解いてあげるというのが、過保護になります」
「では、中田さんがおっしゃっているのは、過保護ではないと?」
「はい。皆さん勘違いをされているのですが、中学生になったら一人で勉強するようになる。自主的に行動して当たり前だと思っていませんか?」
「あっ、思っています。そろそろ中学生なんだし、私がなにか言わなくても、自分でやってよと思います」
「そこが勘違いです。自主性というのは、筋力です。鍛えないと身につきません。鍛えている子は、小学生でもできます。でも、鍛えていないと、高校生でもできないのです」
「じゃあ、うちの拓海は、筋力不足なのですね」
「そうです。学年が上がったら出来るようになるものではありません。少しずつ、鍛えていきながらやっていくのです」
「自主性という筋肉を鍛える必要があるのですね」
「智子さんは、過保護じゃないのかとおっしゃいましたが、重たいバーベルを持ち上げろと言っても、筋肉がないと、上げられません。だから、まずは軽いバーベルを渡してあげる。バーベルを少しもってあげる。といった補助がいるのです」
「できるようになるために、支援をしてあげるのですねっ!」
「そのために、できることはたくさんあります。”勉強しなさい”と言うのは、小学生に”100kgのバーベルを上げなさい”と言っているようなものです」
「あっ、それは無茶ですね」
「そうなのです。智子さん、勉強って自分からやってましたか?」
「いえ……、全然……」
「ですよね。皆さん、自分もできなかったことを、ついつい子どもにも言っちゃうのです」
「あぁ……」
「正直、勉強を手伝うのは面倒くさいです。やる気や意欲を高めるための関わり方は、時間がかかります。根気もいるでしょう」
「はい。できるかどうか不安です……」
「僕が強調したいことは、”できることをする”ってことです」
「できることをする?」
「はい。出来ないことは、しなくていいです。出来ることをしてください」
「は……はい」
「たとえば、子育て本を見て、やってみたけど続かなかったことはありませんか?」
「あります。あります。”こんなのできるかーっ”って思いました」
「それです。できないことは、しないでください。全く運動していない人が、毎日1時間走ることはできません。できることから始めるのです」
「あっ、私は、よく出来ないことをやろうとしていました」
「本や雑誌、テレビを見ていると出来る気がするのです。でも、それってテンションが上がってしまっているだけで、だいたいはできません」
「そうですよね……。もう、すごくあるあるです」
「なぜ、できないか分かりますか?」
「う〜ん、私の根気が足りないから……?」
「違います。そもそも根気が必要なものは、できません。いつかイヤになります。できない理由は、習慣になっていないからです」
「習慣になっていない?」
「毎日、子どもの勉強を見ることができるお母さんがいるのは、どうしてだと思いますか?」
「時間があるからですかね?」
「確かにそうかも知れません。でも、フルタイムで働いている人でも、勉強を見ている人もいます。なぜできるかと言うと、習慣になっているからです」
「習慣ですか?」
「はい。毎日やることが当たり前になっているので、できるのです。そのための時間を作ることができているのです。歯磨きや入浴って毎日しますよね? それと同じです」
「では、習慣にすることができれば、簡単にできると言うことでしょうか?」
「そうですね。でも、そもそも習慣にすることが難しいですよね?」
「はい。なかなか続かないのです……」
「だからこそ、できることから始めるのです。できることから始めて、少しずつ習慣にしていくのです。ジョギングをはじめるのであれば、まずは毎日ジョギングシューズを履くという目標からスタートするくらいに」
「でも、そんな小さな目標で本当にできるのでしょうか?」
「習慣を作るということは、今までとは違うことをするということです。夜型の人が急に朝型になるのが難しいように、習慣を作るのはすごく難しいです。だから、無理のないように少しずつ習慣を作っていくのです」
「できないことをいきなりやろうとしていたから、私はできなかったですね」
「やる気や根気ではなく、やろうとする目標が高すぎたのです」
「そっか。では、具体的に子どもの勉強意欲を高めるために、できることってどんなことでしょうか?」
「勉強の意欲を高める方法が大きく4つあります」
「おお! ぜひ教えてください」
「学習性無力感の話をしましたが、結局のところ、勉強に関して”やればできる”と思えないのが問題になります」
「はい。拓海も”出来る気がしない”と言います」
「その”やればできる”という気持ちを自己効力感と言います」
また難しい言葉が出てきたなと内心思いながら、智子はメモ帳に自己効力感と書き込んでいく。
(つづく)