〈小説連載①〉イライラしてしまう思春期の子どもへの関わり方
-どうして、この子は私の言うことを聞かないのだろう-
もう、なにも言わないでおこう……。
うん。私が言いすぎるからダメなんだ。
智子は、自分に言い聞かすように言った。
「お前は、過保護なんだよ」と旦那からも言われる。
葵(あおい)のときは、思春期もそんなに困らなかった。
よくケンカもしたし、言い合いになったことなんてたくさんある。
けれど、今ほど悩むことはなかった。
葵は高校1年生になり、テスト前に限るけど、勉強も自分でやる。
でも、拓海(たくみ)は違う。
もう、体中からエネルギーが全部なくなかったかのように思える。
中学一年生になる彼は、意欲がなく、毎日ダラダラと過ごしている。
朝は、自分から起きない。何度も起こして、やっと起きてくる。
友達が迎えに来てくれても、ダラダラしていて、玄関で待たせている。
学校から帰ってきてからも、服は部屋に脱ぎっぱなし。
ベットでずっとスマホをいじっている。テスト前になっても、勉強する気配はない。
「自主性に任せよう」と思うものの、ダラダラしている姿を見ていると、イライラしてしまい、口を出してしまう。
「そろそろテストじゃないの?」「勉強進んでいる?」と、優しく注意するものの、一向に聞く気配もない。
しまいには、大声で怒鳴ってしまう。
拓海は、「分かったよ」と、ああまた始まったとばかりに受け流し、自分の部屋へ行ってしまう。
これが思春期、反抗期なのか?
智子は、心の底からうんざりしていた。
なにもせず、ダラダラしている姿を見るだけで、イライラが募っていく。
「もう、ほんと疲れた……」
ママ友である恵から連絡が来たのは、拓海のことで悩んでいるそんな時期だった。
「ごめん、実はさ、ちょっとこけて、手首を折ってしまったの」
「大丈夫?」
「うん、まぁ不便だけど、大丈夫。ただね……」
– 喫茶スワン-
喫茶スワンは、商店街の通り沿いにあった。
よく通る道で、お店があることは知っていたものの、入ったことはなかった。
まだ人もまばらな朝の時間帯。重たいドアをあけ、店内へ入る。
「智子さんだね?」
奥から、60代くらいの白髪のマスターが来て声をかけてくれた。
「恵さんから聞いていますよ」と言って、店内へと招き入れてくれた。
「お願いなんだけど、私の代わりにパート行ってくれないかな? 2ヶ月だけでいいんだ。お願い!」と、恵に頼まれ、智子は喫茶スワンで少しの間だけ働くことになった。
家にいてもストレスがたまるだけ。パートに出ることで、少しは気分転換にもなるかもしれないと思い、「いいよ。ちょっとの間だけなら」ということで、恵の頼みを受け入れた。
2週間がたち、マスターが優しく声をかけてくれた。
「仕事は慣れましたか?」
「はい。だいたいのことも覚えられたし、だいぶ慣れてきました」
「そっか。それは、よかった。ただ、それにしては今日は表情が暗いですが、どうかしましたか?」
さすが、ずっと接客業をしている人だ。
小さな変化も見逃さない。
智子は、「あっ、ばれました?」とバツの悪そうな顔をして、「実は……」と言って切り出した。
「朝、息子とケンカしまして」
「確か、中学一年生の?」
「はい、拓海って言います。朝、少し私が寝坊してしまって。それでバタバタしながら、朝食の準備をして、彼を起こしたんです。私も、ここに来るための用意があるので、準備していたら、いつまでたっても拓海がとろとろしているんです。思わず、早くしなさいって、怒鳴ってしまいました。それで、ちょっと疲れてしまって……」
マスターは、優しく微笑み、「ちょっと一服しましょう」と言って、コーヒーをいれてくれた。
口の中に苦い味がひろがり、その奥に微かな酸味を感じた。
マスターの入れ方がうまいのか、豆が良いのか、今までのどんなコーヒーよりも美味しく感じた。
「美味しいです」
「良かったです。子育て、大変ですよね。たまには、ちょっと息抜きも必要ですよ。コーヒーを飲む時間を5分だけでも取ると良いみたいですよ」
「そうなんですか。もう毎日がバタバタで、なかなか心の余裕が持てなくて……。毎日、イライラしています」
「智子さんは、中田さんとお話しをしたことはありますか?」
「中田さん……?」
「いつも、14時くらいになるとお越しになる、ヒゲをはやした若い男性です」
「ああ、いつもいらっしゃるかたですよね。お客さんで私より年下の人は珍しいので、少し気になっていたんですよね」
「中田さん、教育のお仕事をされていて、かつて、恵さんもいろいろ相談にのってもらっていたそうですよ」
「そうなんですか。私もいろいろ聞いて欲しいな……」
「そう思って、中田さんに伺っておきました。明日なら時間あるそうなので、ここの仕事が終わってからお時間よろしいですか?」
「え? ありがとうございます。ぜひっ!」
-子育てのしんどさから解放される方法-
「あらためまして、中田です」
奥のテーブルへ行くと、中田さんが立って挨拶をしてくれた。
「緒方です。今日はありがとうございます」
「いえいえ。どうぞどうぞ。あっ、僕の店でもないのになんか変ですが」
笑いながら、中田さんは席に座るのを促してくれた。
20代だろうか? かなり若そうだなと思っていたけれど、年齢は分からない。
「33歳なんですよ」
「え?」
「いやぁ、大学生に間違われることも多くて。高校生にタメ口使われることもあるんです」
中田さんは、そう言って苦笑する。
「今日は、ほんとありがとうございます。私のために、お時間とっていただいて」
「いえいえ、僕のライフワークみたいなものなので、気になさらず。早速ですが、智子さんのお話しを伺ってもよろしいでしょうか? 僕がどんなことをしているかは、おいおいしていきましょう」
智子は、拓海がいかに自分を困らせているかを語った。
どんな方法を使っても、一向にらちがあかないこと。イライラしてしまうこと。
どうしたらいいか、解決策が見えないことなど、今まで抱えていた全てを吐き出した。
「すみません。なんかべらべらしゃべっちゃって……」
イライラが募っていたこともあって、智子は自分でも驚くくらいにしゃべってしまっていた。
「かまいませんよ。お悩みのこと、全て出したほうがラクになりますし、どんなことでも言ってください」
中田は、智子が言うことを否定もせず、ほとんどなにも言わず、ただ黙って聞いてくれていた。
「なんだか少しスッキリしました。ありがとうございます。中田さんは、普段から、こういった悩み相談とかされていらっしゃるんですか?」
「そうですね。普段は、メール相談なんかが多いですね。お会いしてっていうのは、あまりしていないです」
「そうなんですか。なんだか、私のためにありがとうございます」
「いえいえ。僕も思春期の保護者さんがどんなことでお困りなのか常に把握しておきたいですし。それに、マスターのお願いなんで、断れませんよ」
そう言うと、中田は、智子に少しはにかんで見せた。
「では、早速ですが、はじめていきましょう」
「はい。お願いします」
「これは、レッスンだと思ってください」
「レッスン?」
「はい、そうです。たとえば、料理人になるには、資格が必要ですよね。包丁の使い方や食材に関する知識がないと、資格をもらえない。でも、”子育ての資格”ってのはありません。皆さん、資格を取得せず、子育てをしている」
「子育てをする資格が私にはないってことですか?」
「そうではありません。免許がないのに運転しているのと同じです。でも、免許がそもそも世の中にないのです。だから、みんな見よう見まねで運転をしている。それが子育てなんですよ」
「確かに。どうやったらうまくいくかとか分からず、必死に子育てをしていました」
「そうなのです。思春期に入るまでは、なんとかそれでもいけるのです。いや、ずっとなんとかいける人もいます。でも、ぶつけながら走っているので、車はボコボコになってしまっていますが……」
「私も同じです。もうエンストしそうですよ……」
「だからこそ、まずはルールをしっかり学ぶところからスタートしましょう。いわば、子育てのレッスンです」
今まで悩みながら子育てをしてきた智子にとって、学ぶのは本であり、友人や知人のアドバイスだった。
役に立つものもあれば、全く役に立たないものもあった。
講演へ行って、いろんな方法を聞いたこともあるけれど、ほとんどが続かなかった。
中田が話す内容は、果たして効果があるのだろうか?
なにをしている人なのかも分からないので、智子は少し半信半疑だった。
智子の気持ちを見破ったのか、中田は「心配しなくて結構ですよ」と言った。
「僕が話すことは、ルールです。運転をするときは、アクセルを押してください。止まるときはブレーキを踏みます。そう言った、子育ての基礎です。どうやってやるかの方法は、智子さんご自身で実践してください。僕は、こうすればうまくいきますなんて魔法の方法は、残念ながら持っていません」
「そうなんですね。なんだか安心しました。本とか読んで、すぐできるとか書かれていても、全然出来なくて、そのたびに、落ち込んでいたのです。私、ダメだなって」
「智子さんは、子育ての自信ってありますか?」
「いや、もう全然です。拓海は、私の言うことを全く聞かないし、周りの親御さんたちと比べても、もうほんとダメです」
「そうですか。では、ご自身の子育て満足度を100点満点で表すと何点くらいでしょうか?」
「100点満点で、ですか……。う〜ん、かなり低いですね。出来ていないことばかりなので。15点くらいですかね?」
「ほうほう。ちなみに、その理由は?」
「口出し過ぎだと思うんですよね。もっと、堂々と構えて、頼りがいのある母親でいられたらって思うのですが、息子を見ていると、ついイライラして、怒鳴ってしまいます。しつけもちゃんと出来ていないし……。まぁ、最低限、朝起こしたり、ご飯作ったりはしているので、15点くらいかなって思います」
「分かりました。ありがとうございます。では、まずはその点数をあげていきましょう」
「はい。って、え?」
「15点をもっと高い点数にあげていきましょう。今、智子さんは子育てで全然満足できていない状態ですよね?」
「はい。まぁ、主に拓海が原因ですね」
「その本当の原因は、智子さん自身にあります」
「私自身に?」
「そうです。実は、智子さんが原因なのです」
「私が拓海を甘やかしているから。関わり方が間違ってるということでしょうか?」
「そうではありません。智子さんは、どうすれば子育ての満足度って高まると思いますか?」
「やっぱり、拓海が言うことを聞いてくれて、しっかり勉強してくれるようになったら、点数が上がると思います」
「では、そのためには、どうすればいいでしょうか?」
「それが分からないんですよね……。ガンバって見守ってみたりもしたのですが、なかなかうまくいかなくて……」
「実はね、順番が逆なんです」
「逆?」
「子どもが先ではなく、親が先なのです」
「と、言うと?」
「智子さんは、お子さんが変われば、満足度が高まるって言いましたよね?」
「はい。拓海が変わってくれたら、どれだけスッキリできるか……」
「でも、それってコントロールできないのです。たとえ親であっても、子どもを変えることはできません。できるのは、自分を変えることです」
「私のやり方を変えればいいのでしょうか?」
「方法の問題というより、考え方の問題ですね」
「考え方?」
「まず、大前提の話しをしましょう。一番大切なのは、自分自身です」
「どういうことでしょうか?」
「シャンパンタワーってご存じですか?」
「えっと……、あのホストクラブとかでやっている?」
「そうです。あのシャンパンタワーです。シャンパンタワーって、上のグラスに注いで、それが溢れて下のグラスにも溜まっていきます。上のグラスがいっぱいにならないと、下のグラスはいつまでたっても空のままです」
「はい」
智子は、中田さんがなにが言いたいのかが理解できず、なんとなく頷いた。
「上のグラスが、智子さんです。そして、下のグラスが拓海くんです。まずは、智子さん自身が自分のグラスをいっぱいに満たさない限り、拓海を温かく見てあげることはできません」
説明されて、智子にも理解ができた。
「智子さん、今、拓海くんのことを優しく見守ってあげること、できていますか?」
「いえ……」
苦々しい顔をしながら、智子は答えた。
「全然できていません。小さい頃は、優しく見守ってあげることができました。でも、口答えするようになってきて……。最近ではずっとダラダラしているので、見ているとイライラすることのほうが多いです」
「どうしてイライラするのか。その原因は、智子さんにあります。どうして私ばかり、こんなにしんどい思いをしなくちゃダメなんだろう? なんて思うこと、ありませんか?」
「あります。あります。主人も、”口を出さずに、見守るほうがいいんじゃないか? お前は口を出しすぎなんだよ。過保護だぞ”って言うのです。でも、主人は子育てなにもしていないんですよ? 全て私が見ている。なのに、そんなことを言ってくる。正直、すごく腹が立ちます。なにもしていないクセに言うなよって思います。まぁ、言うとケンカになるのでいいませんけど」
マスターが持ってきてくれた淹れ立てのコーヒーをひと口すすり、智子は続ける。
「起こしてって言うから拓海を起こそうとすると、”うるさい”と言われる。将来のことを思って、勉強のことを言っているのに、”だまれ”と言われる。正直、うんざりです。いや、ダメな親だなぁと思いますよ。でも、私もガンバってるぞって思うのです。試行錯誤しながら、子育てをやっている。たまに、イヤになるときがあるのです。いつまでガンバればいいのって……」
「智子さんなりに、すごくガンバられたのですよね」
「そうなんです。他のママと比べたら、確かにできないこととかたくさんあると思いますよ。でも、私も私なりになってきたと思っています。でも、拓海には伝わっていないんですよね。邪魔者のように扱われている今は、もう自分はなんなんだろうって思います」
「智子さん、そういうことなのです」
「え?」
訳が分からないという顔で、智子は中田の顔を見た。
「智子さんが子育てでイライラするのは、ガンバっていることが評価されないからです。旦那さんからも、違うんじゃないかと指摘される。子どもからは邪険にされる」
「はい。すごく辛いです……」
「それを変えるためには、まずはご自身で、自分を認めてあげてください。自分を一番大切にしてください。自分のコップが溢れるくらいに愛情を注ぐのです」
「今まで、子どもや家族のことばかりで、正直、自分のことはあまり考えたことがなかったです。でも、どうやって自分を大切にしたらいいのでしょうか?」
「まずは、ガンバっている自分をちゃんと認めてあげてください。うまくいっていないからダメ。他の人と比べてできていないからダメという条件をつけるのではなく、全てを受け容れるのです」
「どうしても、もっとガンバらないとダメだと思ってしまいます。今の自分じゃダメだって自分を責めてしまいます」
「自分で自分を責めるからしんどくなり、イライラしてしまうのです。まずは、受容することです。自分を受け容れる。”自分も結構ガンバっているよね” “子育て疲れるよねぇ”と、受け容れてあげる。自分を一番理解してくれるのは、自分自身しかいません。だからこそ、ちゃんと認めてあげなければいけません」
「私は、今まで、自分を褒めるところなんかないと思っていて……。だから、もっとガンバらなきゃ。このままじゃいけないと思っていました」
「褒める必要はないのです。褒めるってのは、結果が出ないとできませんよね。うまくいっていないのに褒めるのは、難しい。そうではなく、受け容れるのです。たとえば、イライラして怒鳴ってしまったとする。そのときには、”疲れていて、怒鳴ってしまったなぁ。疲れているし、そういうときもあるよねぇ”と、ただ受け容れるのです。肯定も否定もせず、ただありのまま受け容れるのです」
「私は、なにかするたびに否定していました。自分をずっと否定して生きてきていた気がします。褒められるようなところもなかったし……」
「”自分を褒めましょう”と言われても難しいですよね。良いところなんてないと思ってしまう。だから、受け容れるなのです。ただ、ありのままを受け容れてください」
「なんだか、そのように言ってもらえると、救われた気がします。私、ガンバってるよなと思っても、つい誰かと比べちゃって、まだまだと思っていました」
「比較ほど、自信を失わせるものはありません。だから、できるだけ誰かと比べるのは、やめてください。できた、ガンバった、前よりもできるようになってきた。それだけでいいのです。満足し、少しずつ自分のコップに水を注いでいきましょう」
続きはまた来週しましょうと言って、中田は帰って行った。
店を出て、夕食の買い物をする。
家までの帰り道、中田に言われたことを智子は思い出していた。
たしかに、今まで、自分をちゃんと認めてあげたことはなかったかも知れない。
常に自己否定をしていた。
特に子育てでは、顕著だった。
拓海の姿を見るたび、自分を責めていた。
こんなふうになったのは、自分の育てかたが間違っていたからだと思った。
もっと良い母親であれば、もっと自主的に行動する子に育っていたのではないかと思っていた。
でも、中田の話しを聞いて、そうじゃないんだと思えた。
私は、私なりにガンバって子育てをしてきた。
やり方に関しては、誇れるようなものはないけれど、日々悩みながら、私ながら必死になって取り組んできた。
子育ての雑誌もたくさん読んだ。本も見た。講演会にも参加した。
少しでも子どもたちのためと思って、習い事も探した。夜遅くの送り迎えもしていた。
思い返すと、案外子育てをガンバっている自分がいた。
「私、ガンバってるじゃん」
智子は、気がつけば、車の中でつぶやいていた。
「うん、ガンバってる」
今まで、子育てに自信が持てなかった。
自分が全て悪いと思っていた。
けれど、自分がやってきたことを認めてあげると、うまくいっていないのは、私が全て悪いわけじゃないと思えるようになった。
拓海にどうやって関わったらいいかはまだ分からないけれど、なんだか救われた気になった。
(つづく)