「皆勤賞」を手放して「休むこと」を覚えよう

日本には、どこか「休まない」ことを美徳とする文化があります。
1年間、1日も休まずに出席した生徒は「皆勤賞」として表彰されるのがいい例でしょう。この皆勤賞というシステム自体は、僕は別に賛成も反対もしません。実際、日常生活でもふとした会話の中で「皆勤賞」ということばをよく使ってしまいます。
ですが、「皆勤賞」には裏があるんじゃないかな、とも思うのです。
「つかれ」で休む生徒
小学校のとき、保健委員をやっていました。委員の重要な仕事のひとつにその日の各クラスの欠席者を集計して先生に渡すことがあったのですが、あるクラスに「つかれ」を理由によく欠席している生徒がいました。
ある日、その集計の中でやはり「つかれ」を理由に欠席しているのを見つけた保健委員が、あきれるようにこう言いました。
こいつさぁ、疲れてるぐらいなら学校来いよなー。
今にして思えば、この生徒は不登校だったのかもしれません。誰かとうまく行っていなかったのか、学校という環境が苦手だったのか。その生徒や担任教諭の名前をさっぱり思い出せない今はもう探る余地がありませんが、学校がしんどかったことは間違いないでしょう。
当時の僕は、学校という場に違和感を抱きながらもまだがんばって通っていた時期。「つかれ」で学校を休むことっていけないことなんだな、と保健委員があきれる横で感じたのが、どうにも忘れられません。
皆勤を手放すことで、「休む」ことを覚えられる
「今日、学校休んだ」とある日話したTRY部の生徒。
よくよく聞いてみると、週末泊まりがけで用事をこなすので月曜日は疲れて学校どころじゃないと踏んだ生徒は、金曜日の時点であらかじめ担任の先生に「こういう理由で月曜日は学校を休みます」と宣言したとか。実際、昼までゆっくり寝られたことを話す顔はなんだかうれしそう。
僕は話に耳を傾けながら、うまいこと考えたなあと思いました。
この生徒の行動は、ちょっと遠出や旅行した翌日に1日休む社会人と大差ありません。社会人の場合、これは「有給休暇」と言って権利が保障されている訳ですが、小中学生の場合同じことをやると「怠け」とか「サボり」とか思われてしまうでしょう。
これが、冒頭に書いた「休まない」ことを美徳とする文化でもあります。
しかし僕は「休まない」ことを美徳とする文化はある意味危険だと感じています。
理由は、「休む」ことを覚えられないから。
人間の処理能力には限度があります。学校の授業では「昼休み」「中間休み」のように小休止を入れますが、1日まるまる休むことは体調不良や冠婚葬祭など、何か特別なことがない限り許されないような風潮が流れています。その風潮を守ることで「皆勤賞」という称号を得られるわけです。
でもこれって、ものすごいことかもしれませんが、「休日以外に1日まるまる休んでもいい」ということがヨシとならない訳です。今社会問題と化している「自殺」や「うつ病」も、元をたどれば子どものころからのこういう風潮が源流として流れているのではないでしょうか。
ちょっと疲れを感じたのなら、学校あるけど1日ゆっくり休んでみよっか。
暗い顔をして登校してるな、と気が付いたとき、こんな提案をしてあげるのがお子さんを救う第一歩につながります。もしかしたら先述した「つかれ」で学校を休む生徒も家庭でよくそんな話をしていたかもしれません。そしてそれがまた、「不登校」を解決する足掛かりになりうることも十分あります。
「休む」ことの大切さを、大人は子どもたちにもっともっと教えるべき時代なのかもしれません。