どうして数ある「○○診断」に私たちは手を出し続けるのか

 

こんにちは、スタッフの得津です。
今週のスタッフコラム担当になりましたので、
行ってきたイベントレポートなどではなく、
ここ最近気になっていた「○○診断」について自分の考えを書いてみます。

 

 

多くない?「○○診断」

Facebookのタイムラインで流れてくるような「○○診断」の類い。
あれ、多くないですか。種類も量も。
正直ちょっと辟易しています。

 

昔は「動物占い」とか流行ってて、関連書籍もたくさん書店に並んでましたね。
友だちと本を見ながら、あれやこれやと話してたのを思い出します。
今はSNSと連携してるから、誰か一人がやった結果がタイムラインに流れたら、
2、3日は他の誰かがやった結果が流れてきます。
しかも手を替え品を替えいろんな種類の「○○診断」みたいなものが流れてくるから、
毎月必ず何か新しいものをタイムラインで見ることになります。

 

 

どうして「○○診断」をやり続けるんだろう

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別に良いんですよ。個人が「○○診断」やるのは。
「あー、こんな結果だったんだなー」って、ぼんやり見る程度ですし。

でも不思議なのは、なぜこれらの類いが無くならず、今なおいろんな人がやり続けるのかということです。
自分だって、もちろんこういうのやったことあります。移動中の暇つぶしだったりふとした時に。
でも、だいたい結果一緒なんですよね。
「あなたは〜〜〜〜な人です。◎◎な場面に強く、▲▲がたまに傷です。」
みたいな感じのフレーズで、内容もどっかで聞いたなーって感じ。
今までの結果と全然ちがう結果が出た「○○診断」に出会ったことがないので、
もう今となってはSNSのタイムラインに流れてきても
「どうせ一緒やろ…」と冷めた目で見てしまいます。

 

 

意味を求めて

でも、こうやっていろんな形で「○○診断」が続くということは、
何かしらの理由があるからだと思うのです。
僕が考えたのは「○○診断」に自分はいてもいいんだという感覚を求めているから、この手の診断は尽きることなく、みんなやってみるんじゃ無いでしょうか。

「○○診断」は、だいたいイイコト言ってくれます。
日常では言われないようなイイコトを、ちょっとこそばゆいような言い方で言ってくれます。だから診断結果を見たあとは「自分って、なかなかええやつやん」って感じで、ちょっとだけいい気分になっています。

 

このいい気分になる感じって、誰かに褒められたときと似ています。

 

ここがミソなんでしょう。
イイコト言ってくれる予感と、実際に言ってくれることの安心感、
そしてイイコトの中身を自分に内在化することによって生まれる自己肯定感。
これらの感覚が、私たちを「○○診断」の虜にするのだと思います。

 

白書の取材で、意味が欠落してる現代の子どもについて梅花女子大学の福井先生と意見交換しましたが、こういうところにも自分は存在しても良いんだという意味を求める無意識の心の働きをみることが出来るのではないでしょうか。

 

 

 

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この記事を書いた人

D.Live副理事/元小学校教員
自分に自信が持てない、自分を好きになれない、そんな人が自分を好きになり前向きにチャレンジできる社会を創るためにD.Liveを立ち上げた。
自尊感情に関心が高く、D.Live内では主に自尊感情に関する事業を担当。

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