学校へ行けていないキミには、2つの選択肢がある。さて、どちらを選ぶ?

学校へいけなくなると、自分なんてダメだと思うようになる。
普通になりたいと思うこともあるだろう。
自信を失い、自分を責める。
みんなが当たり前にできていることが自分にはできない。
そう思うと落ち込んでしまう。

僕は、学校へ行けない君に伝えたい。

がんばれと。

勘違いしないで欲しい。頑張って学校に行けとは言わない。
学校は行けたらいいかもしれないけれど、行けなくても別にいい。

今の時代、ネットで勉強することも難しくない。学校に行かなくても何とかなる。
もちろん、学校に行ったほうがいろんな機会が持てるからいいんだろうけど、無理する必要は無い。

じゃあ、何を頑張ればいいのだろうか。

君には二つの選択肢がある。

自分自身を諦めて、これからも生きていくのか。

それとも、自分の好きなように、楽しく生きていくのか。

今の時点では、気持ちが落ち込んでいて、しんどいことも多いので、自信も持てないだろう。
何かをやろうと言う前向きな気持ちすら持てないかもしれない。

無理をする必要ないし、無理矢理頑張る必要もない。

けれど、決して自分の未来を諦めて欲しくは無い。

いつだって人生はやり直しがきくし、君の年齢ならまだ何も始まってすらいない。

自分の可能性を自分で決めつけるには早すぎるし、諦めるのはあまりにももったいない。

人間にはできることもあればできないこともある。

できないことばかりを見て、嘆いていても仕方がない。

ライト兄弟は「飛べたらいいのに……」と鳥を羨ましがったのではなく、自分たち自身で飛ぼうと決めた。

誰にでも可能性はあり、どこからでも自分を変えることができる。

できないのは今であって、未来の自分ではない。

有名な誰かだって、元は何者でもない人から始まっている。

イチロー選手は生まれた瞬間からメジャーリーガーではない。
小さい頃は野球選手を目指すただの野球少年だ。

勉強ができない。友達を作れない。コミニケーションがへたくそだ。

それは、今の君であって、未来もずっとそのままでいる確証はない。

ほとんどの事は、努力すれば変えることができる。

数学オリンピックで優勝することは難しいかもしれないけれど、数学で平均点を取るのであればきっと誰でもできるだろう。

要は、覚悟の問題。

自分を信じ、とにかく今できることに取り組む。

勉強に自信が持てないのであれば、まずは1分から始める。教科書わかるところから読んでも良い。
いきなり難しいことをする必要はないし、劇的な成長を求めることもない。

ただ、昨日の自分に勝つことを目指し、日々励んでいく。

1日中努力する必要もない。
毎日10時間ゲームをしているのであれば、別にそれでも良いだろう。
無理にゲームの時間を削る必要はなく、空いてる時間に勉強をすればいい。
歯を磨いているときに、ペラペラと教科書を眺めるだけでも良い。

がんばるのは、別に勉強じゃなくてもいい。

苦手なこと。できるようになりたいこと。コンプレックスを感じること。
変われば自分自身が違う自分になれるものを選び、それを伸ばしていく。

勉強でも良い。運動でも良い。新しい友達を作ることでも良い。プログラミングでもいいし、eスポーツでも良いだろう。

とにかく、何か頑張りたいことを1つ見つけよう。

「やりたいことがない」なんてことを言っている間に、目の前にあることに取り組もう。

勉強しなきゃと思いながら、現実逃避をしてゲームをしていると、何も楽しくない。

たとえ10分でも勉強してからゲームをすると、その日はなんて清々しいんだと思うくらい達成感が持てる。

僕は別に、君に無理をしろとは言っていない。

アスリートのようにストイックに、全てを投げ捨て、がむしゃらに努力しようなんて言うつもりはさらさらない。

君はもうきっと気づいていることだろう。

逃げるのが一番しんどい。

僕はプロ野球選手を目指し、大阪で1番強い高校に入った。
でも、周りの人たちの凄さに圧倒され、逃げるように辞めた。

そこからずっと後悔している。その後悔は今でも持っている。

僕は野球をやめてから、10年近く毎日のように部活の練習をしている夢を見た。

起きた瞬間に夢であったことに気がつき、「あの頃に戻れたら……」と思った。

今でもあの時に戻りたいと思う。

後悔はいつだって後から押し寄せてくる。

振り返ってみると、挑戦した失敗に悔いを感じることはない。

でも、やらなかったこと、逃げた事は、ずっと覚えている。

「あのとき、こうしていれば……」

この後悔は、一生消えることがない。

僕は自分自身の汚点を抱えながらこれからもずっと生きていかなければならない。

学校へ行けていない事は、決して汚点にはならない。
学校に行っていないのは、君がチャレンジしていないこととは違う。
逃げている事でもない。

ただ、環境に馴染めなかっただけだ。

けれど、学校に行けてない自分を受けいれず、ずっと誰かのせいにしている。ずっと自分を責めている。何もしない。

それは、厳しい言い方をすると逃げだと僕は思う。

一歩踏み出すのはしんどいだろう。
失敗したらどうしようと恐怖で足がすくむこともある。
嫌いなことに取り組むのは大変だ。

でも、何もしないと、君はずっと自分の嫌いな自分のままでいることになる。

果たしてそれでいいのだろうか?

僕が引きこもりから脱出した時、思っていた事は、「こんな自分はうんざりだ」だった。

前向きな気持ちがあったわけでもない。
頑張ろうと思ったわけでもない。

ただ、ほとほと自分にあきれ果てたのだ。

ずっと家にいて、ゲームをして、朝も起きず学校にも行かない。
そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。

誰よりも自分のことが嫌いだった。

だから動いた。

モチベーションなんかいらない。
崇高な目標もいらない。
自分に向いていることや将来のことなんて考えなくても良い。

ただ、少しでも自分自身が好きになれる自分になることをしてみたらどうだろうか。

一歩踏み出して見えた世界は、とても美しかった。

少しずつだけど自分のことが好きになっていた。

バイトでめちゃくちゃ怒られたこともあるし、ほとんど寝ずに働いたこともある。
とても苦しかったけれど、逃げて、自己嫌悪のまま毎日眠りにつくよりはよっぽどマシだった。

君は、君で、君の人生を選べる。

A : 自分自身を嫌い、憎しみ、誰かを責めながら生きるのか。

それとも

B : 自分の足で自分の人生を生きながら楽しく過ごしていくのか。

さぁ、キミはどっちをえらぶ?

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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