乗り越えるべきことを乗り越えさせること

 

こんにちわ、スタッフの得津です。
今回はいつも以上に私見です(笑)

 

 

仕事柄、教育関係の方とお話することが多くて、
よく聞くのが「子どもたちを褒めてあげたい」。 

 

という言葉です。

 

こうおっしゃる方の中に、
「勉強ができなくて自信の無い子に、こんな良い所があると気づいてほしい」
と思われてる方も多々います。

 

分かるんです。今の事業を始める前には僕も同じことを思っていました。テストや通知表で表れない良さに光を当ててあげたいと。だから、この気持ちすごくよく分かるんですが、最近疑問を持つようになってきました。

 

 

結局、それって自己満足なんじゃね?

この「勉強以外の良いとこを褒めて自信をつけさせる」って、言い換えてみたら「こういうところが出来てるんだから、勉強できなくてもいいじゃん」という風にもとられるんじゃないかと。これ、すごい傲慢だなーって思うんです。だって、言われる側としては「勉強できない」のがイヤなのであって、他の良い所はどうでもいい。「勉強」が言われる側の関心なんですよね。それを、「この部分が出来てるからOK」みたいにしちゃうと、言ってる側としては気持ちいいけど、言われた側は本当に喜ぶんだろうか・・・

 

 

手段としてはありなのか?

「勉強以外の良いとこを褒めて自信をつけさせた」(とした上で)、本来向かうべきことに向かうならOKだとは思います。結局は、当人が乗り越えるべきことを乗り越える力を身につけるのが一番です。勉強ができなくてイヤなんだったら、出来るようにサポートする。それが一番いいんじゃないかなー。

 

 

褒め日記
褒める達人
褒め言葉のシャワー

 

などなど、別に教育じゃなくてもいろんな分野で、いろんな形で「褒めることの良さ」が浸透していますが、それって本当に「良い」のか批判的に考えてみることが大事だと思います。上で述べたように、相手の気持ちを置き去りにしていないか、相手に自分の基準を押し付けていないか、そういうことを問うていく態度もきっと必要です。

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この記事を書いた人

D.Live副理事/元小学校教員
自分に自信が持てない、自分を好きになれない、そんな人が自分を好きになり前向きにチャレンジできる社会を創るためにD.Liveを立ち上げた。
自尊感情に関心が高く、D.Live内では主に自尊感情に関する事業を担当。

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