自信を持てない大学生が起業できたある有名芸術家のことばとは?

渋谷マークシティから僕は窓の外、渋谷のまちを見下ろしていた。
  

東京へ来ると、僕はもう決まってこの場所を訪れる。

弱ったとき、泣きたくなったとき、心が折れそうになったとき。
どんなときでも、壊れそうな心を支えてくれた。
  
  

もう10年近く前のことになる。
大学2回生の冬。

マスコミ志望だった僕は、東京のテレビ制作会社でインターンとして働いていた。
インターンというと聞こえは良いけれど、まぁ、いわゆる、ADというやつだ。

漠然と、なんとなく、ああ、マスコミに行きたいなぁと思っていた。
実態もわからず、まずは、知るために、経験するために京都から東京へ出て来た。

仕事内容うんぬんよりも、将来が見えない、ただ漠然とした不安。
就活まで残された時間は、1年を切っていた。  
  

マスコミ塾に通い、少しずつ準備はしていたものの、やっぱり常に不安だった。

インターンでは、毎日毎日、朝から晩まで働いた。
テレビ局に泊まり込むことも少なくなかった。

下宿がある京都を離れ、蒲田にある友人宅に泊まる日々。
ほとんど友達もいない東京の土地というのも手伝い、不安や寂しさが頭をもたげていた。
  
  

ふとしたとき。
たしか、深夜0時になるかならないか、そんなときだった。

渋谷駅の東口にある書店。

1,000坪以上の大型書店が増えている中、60坪と小ぶりなその本屋さんは、深夜まで営業をしており、ちょくちょく足を運ぶことがあった。
  
  
いつものようにふらっと訪れたその日。

なにを探すでもなし、なんとなく陳列されている本を見ていたとき、その本と出会った。
有名な芸術家である彼のことは、もちろん名前は知っていたのだけれど、そこまで詳しくはなかった。

本のタイトルにも惹かれ、パラパラとページをめくる。
その本は、いわゆる名言集で、彼の言葉が1ページに1つ書かれているものだった。
自己啓発本に辟易していた僕は、「ああ、よくある感じの本だなぁ」くらいにしか思わなかった。

書かれている言葉を読むまでは。。。
  
  
  

「運命なのかも知れない」

立ち読みで数ページを読んで思った。
今、自分がほんとうに知りたいことが、そこには書いてあった。

僕はどうしても、自信が持てなかった。
自分への自信がなかったのだ。

ちょうど、時代は“ヒルズ族”という言葉が流行り、ベンチャー企業が一世を風靡していた。

周りにも、ベンチャー企業で働いたり、ホリエモンのかばん持ちをしているような有名大学の学生がたくさんいた。
  

僕は、京都のしがない大学。
彼らは、東大や早稲田、慶應という名だたる学校。

正直、コンプレックスがあった。
なんとなく、東京の大学生はすごいという、そんな引け目を感じていた。
  

彼らは、やりたいことがあって、自分がやるべきことをまっすぐにやっている。
そんな自信満々に見える彼らとは違って、将来のやりたいこともわかっていなくて、ただ漠然とインターンをしている自分。

自信なんてものは、もう、全然なくって、いろんな人と比べる度に落ち込む毎日だった。
  
  
  

そんなときに、その本と出会った。

“自信”について書かれたページがあり、おもむろにめくってみる。

すると、今までに全く見たことがないようなアドバイスが書かれていた。

たいていの本は、こうだ。

「自信を持ちなさい!」
「ガンバって努力して、自信をつけていくのです」

いやいやいや!
持ちたくて持てるなら苦労なんかしないし、ガンバろうと思っているけど、なにを、どう努力したらいいんのかわからないんだよ。ばかやろー。

なーんて、江戸っ子でもないのに、毒づいてみたりするだけだった。
  

しかし、その本は違った。
「自信なんて持たなくていい」と、書いていたのだ。

そして、その後に驚愕の言葉が続く。
「ぼくは自分のことを自信があるとは思っていない」と。

なんかのテレビで見たことある彼は、独特で、異彩を放っていた。
自分というものが確立していて、自分は自分だという、もう、圧倒的な存在感。

僕から見ると、“自信の塊”みたいな人だった。

そんな、「自信の権化」のような人だと、勝手に思っていた彼が、自分は自信がないというのだ。

まるで、後ろから思いっきり頭をガーンと殴られたような衝撃があった。
  
  

飲み込むのには少し時間がかかった。
読んでいた本を置き、しばらく天井を見つめていた。

時間にしたらきっと数分だろう。
でも、僕にはその時間は、とても、とても、長く感じた。

  
今までずっと自信がないといけないと思っていた。
自信がない自分はダメで、自信を持っているように思える周りの人たちが羨ましかった。

“自信を持たないといけない”という呪縛にとらわれていた。

学歴やルックス、性格、仕事のスキル。

なにかと人と比較しては落ち込み、自信を失っていった。

どうすれば、自信が持てるようになるんだろう?
どうしたら、みんなのように自信を持った人になれるのだろうか?

自信がない。
自信がない。
ジシンガナイ。ジシンガナイ。ジシンガナイ。ジシンガナイ。

まるで悪魔の呪文のように、ブツブツと1人でつぶやいていた。
  
  
  
ああ、そうか。
本の表紙に目を戻し、僕は理解した。

彼は、“自信を持たないといけない”という呪縛から逃れることが大事だと言いたいんだ。

「自信なんかもたなくていい」という言葉は、僕にとっては魔法の言葉だった。

白雪姫にかけられた呪いを解くように、僕の心にかかっていた“自信の呪い”は、この本によって解き放たれた。
  
  

東京にいるとき、なにか不安に思ったりすれば、僕は必ずその書店を訪れた。
誰にも買われることなく、同じ場所においてある例の本を見つけ、パラパラとめくる。

開けたページに答えが書いてあるような気がして、渋谷へ行き、何度もそんなことを繰り返していた。
  

どうしてその本を買わなかったのだろう、と、今も不思議に思う。

パワーが強すぎて、手に入れると、まるでダークサイドに引き込まれるような、そんな不安があったのかもしれない。

のちに暗黒面に引き込まれ、ダースベーダとなってしまうアナキン=スカイウォーカーを見て、その不安定さを危惧したヨーダのように。

だから、僕はその本を読むときは、決まって渋谷にあるその書店で立ち読みをしていた。
  
  
  

冬休み、春休みとインターンを終え、京都へ帰るとき。
ついに、僕はその本を購入した。

次に東京へ来るのはいつになるかわからない。

別に京都で買うこともできたけれど、僕はその渋谷にある、出会わせてくれたお店、山下書店で買いたかった。

ショーケースに置いてある、ずっと欲しいなと眺めていたトランペットを手に入れた少年のように、僕の心は軽かった。
  
  
  

インターンシップが終わった。

もうすぐ3回生をむかえ、あっという間に就活がはじまる頃。
残された時間は少なかった。

京都へ帰ってから、僕はむさぼるように、例の本を読んだ。

何度も何度も読んで、1つのことを決意した。
  
  

どんな仕事につきたいかわからない。
自分になにができるかもわからない。

でも、“自信がない”なんて言い訳をするのはやめよう、と。

“自信がない”なんてのは結局のところ言い訳に過ぎなくって、女性にモテないのを“自分は顔が悪いから”と言い訳するようなものなのだろう。

顔が人よりもイケてなかったとしても、モテている人はたくさんいる。

結局のところ、“自信がない”ってのは自分への言い訳で、そんなものは必要ないんだ。

それが、「自信なんてもたなくていいい」という意味の答えだった。
  
  

自信なんてどうでもよくって、もう、ただ、自分がやってみたいことをやろう。
どうなるのか全くわからないけれど、本能のおもむくままに、ただ、自分がやりたいと思うことをやるんだ。
自信がないなんて思って臆病になんてならなくていい。

まるで自分に言い聞かせるように、僕はひとりごちた。
  
  
  

数ヶ月後。
京都、北野天満宮の近くにある商店街。
その一角にある店舗を借り、僕は仲間を集めてカフェを開いた。
  
  
  

そんな学生時代のことを思い出しながら、僕は渋谷のまちを見つめていた。
渋谷マークシティには、『明日への神話』という岡本太郎さんの大きな絵が飾られている。

これを見ると、あのときのことがいつも思い出される。

山下書店で偶然見つけた本は、# 『強く生きる言葉』という、太郎さんの本だった。

今では、僕は、NPO法人を立ち上げ、子育てをしている人たちに伝えている。
「自信なんて持たなくていいですよ」と。

大学生のときに悩んでいた自分を重ねるように。

すべては、あの、小さな、渋谷の本屋さんでの出会いからはじまったんだ。
この言葉に出会ったから、今の僕がある。

  
  

自信なんてことを目標にしなくていい。また、すべきじゃない。自信なんてことを考えるから、人の目が気になるんだ。ぼくは自信があるとは思っていない。自信なんてものはどうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。 岡本 太郎

ikiru

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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