「嫌われる勇気」の哲人に学ぶアドバイス術

最近、ネットを開けば有名人が人生相談に乗ってくれる、なんていう企画をしているホームページやTwitterがあります。また、Yahoo!知恵袋のように、一般人の疑問や悩みに一般人が相談に乗ったり回答してくれる、というサービスもあります。
そこで僕が気になるのは、たまにめちゃくちゃな上から目線で答える人が(一般人有名人問わず)いるということ。
ものすごく真っ当な回答だったり、この人いいこと言うなーと感じても、たとえば語尾が高圧的だったり、なにか強要するような文面で回答しているのを見ると、僕はなんだか惜しいなあ、と思ってしまいます。
「嫌われる勇気」の哲人は、青年をどう諭したか
最近「幸せになる勇気」という続編がでたことで再びブームに火がついている、アドラー心理学の名著「嫌われる勇気」。この「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の2冊は、人生に迷いが生じている「青年」とアドラー心理学を研究し尽くしている「哲人」が、哲人の書斎でひたすら語り合う、という内容で構成されています。
で、この哲人、青年にアドラー心理学を説く際も、常に柔和な態度で接しているという大きな特徴があります。教えを説いてもなお青年がそんなものは納得できない!と怒りをあらわにしても、何か間違ったことを言っても、なおも哲人は敬語のまま柔和に青年に説き続けます。そして青年は自分の大きな間違いに気付く訳です。
青年にアドラー心理学を説くそのひとつひとつの丁寧な言葉は、トゲのある上から目線の言葉よりも何倍もすっと、読み手である自分の中に入ってきます。つまり哲人は青年と同じ目線に立ち、「青年のひとりの友人」としてアドラー心理学を説いているわけです(時折「それは逃げているだけです」と断罪してる部分もありますが・・・)。
「同じ目線」でアドバイスするTRY部
よくこの場でも書いていますが、TRY部ではまず生徒と同じ目線に立つことを意識しています。
TRY部には、基本的に生徒同士はもちろん生徒とスタッフの間にも明確な上下関係と言うものがほぼありません。お互いにフラットな目線で対話の中から「こういうのどう?」とアドバイスを送ることもあります。そこから生徒が気付きを得たり、またスタッフ側が思わぬ収穫を得たりすることもあります。
誰しも、上から目線でアドバイスを送られると思わず「何この人?」といぶかしく思うものです。それは大人だけではなく子どもも同じ。お母さんに何が分かるの、先生は私のこと何もわかってない!というモヤモヤを抱える子どもは、今本当に多いです。そんな子どもは、上から目線のアドバイスや叱咤を容易に受け入れてはくれません。
だからこそ、アイ・メッセージも駆使しながら、上から目線にならずに常に対等な目線で生徒と接し、できなかったこと、失敗したことは責めない。「今週、イチロー(スタッフ)が言ってたことやってみるわ」と目標や計画にスタッフのアドバイスを組み入れる生徒の姿には、実はこんな裏があるのです。
「嫌われる勇気」では、哲人は興奮する青年を落ち着かせるために熱いコーヒーを入れたり、常に青年の立場に立って説明をするなど、とにかく興奮する青年に乗じてまくしたてるように論破しようとはしません。この冷静さが、相談を引き受ける側にとっては何よりも大切で必要なことなのは確かだと、僕は思います。