子どもに必要なのは塾でもゲームでもなくドラえもんの空き地であるワケ

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今の子どもたちは、大変だ。
勉強だけしていれば良い時代は、終わった。

良い大学へ入り、良い企業へ就職して、幸せな家庭を築く。
テンプレートのようにあったこの生き方は、通用しなくなってきた。

勉強だけ出来てもいいわけじゃない

文科省も学習指導要領の中で「生きる力を育む」という。
でも、正直よくわからないって人が多いと思う。


生きる力ってなんだ?


今、子どもたちに必要とされている力、身につけるべきこととは、いったいなんだろう?

のび太くんは、家に帰ってくるなり、ランドセルを放り投げ空き地へ向かう。
土管の上では、ジャイアンやスネオがすでにいて、「遅いぞ!のび太」 なんて声をかける。
今の子どもたちには、気軽に遊びに行ける場所はない。

公園は減り、子どもたちのメインの遊びはゲーム。
ゲームをしながら会話をして、相手の顔を見ないこともある。

ゲームが楽しいのは、わかる。
でも、本当にそれでいいのだろうか?

ゲームと勉強。

この2つをしていれば、社会へ出て行けるのだろうか?
のび太くんのときにもゲームはあった。
けれど、「そんなんよりも、みんなで遊ぼうぜ!」と言って、野球や他の遊びに興じる。

同級生だけでなく、年下の子なども加わって一緒に遊ぶ。

遊びは、とってもクリエイティブ(創造的)だ。

ゲームは、用意されている。
けれど、空き地にはなにも用意されていない。

自分たちで持ち寄り、遊びをはじめる。
なにをするかを話し合い、どういう風にしたら良いかを相談する。

このような関わりを通して、子どもは誰かと関わること、コミュニケーションを学んでいく。
思いやりや感動する心を身につけていく。

 

社会が子どもたちに求める力とは?

 

今、残念ながらドラえもんの空き地のような場所はほとんど消えかけている。

イオンへ遊びに行き、どこかで一緒にゲームをする。

外で走り回るなんてことも減ってしまい、子どもの体力低下なんてのも叫ばれるようになった。
(最近、少し上がってきているけれど)

昔の社会なら、それでも問題はなかったかも知れない。
でも、今はそうもいかない。

これから育ち、社会へ出て行く子どもたちへ期待されることが変わってきているからだ。

パナソニックやファーストリテイリング(ユニクロ)は、新卒採用の8割を外国人で採用している。

グローバル化により、世界中の優秀な人材がどんどん日本の企業へ入っていく。
そして、単純作業や簡単な作業は、人件費が安い近隣の国が取って変わる。

つまり、今の子どもたちは、世界の優秀な人たちと戦えるための力が必要になるのだ。

「勉強だけが出来ても仕方がない」と言う理由は、社会では「正解を見つける力」が必要とされていないから。

仕事や社会では、正解なんてものは存在しない。
数学のような方程式もなければ、社会のように暗記だけをすることはない。

勉強が出来ても意味がないわけではない。

そうではなくて、「勉強が出来る」と同じぐらいに大切な要素があるのだ。
それが、地頭の良さであり、行動する力である。

自分で仮説を立て、行動をして、改善していく。

どれだけ精度の高い仮説を立て、どれだけ早く行動にうつせるか?
そして、どれだけ改善していけるのか。

そういった力が必要とされている。

ただ、学校の勉強だけが出来ても、社会では通用しないのだ。
そんな力は、求められていないのだから。

だからこそ、文科省『生きる力』と言って、総合的な力をつけさせようとして、指導要領を変えているのだ。

 

どうすれば、生きる力は育める?

 

けれど、ここでまた疑問にぶつかる。

生きる力、地頭の良さをどのようにして鍛えればいいのだろうか?

そのヒントがドラえもんに出てくる空き地にある。

用意されていないところで、自分で答えを考える。
正解のない問題を仲間と一緒に解く。
いろんな世代の人(友達)と関わる。

昔は誰もが出来ていたことかも知れない。
けれど、今は全てが用意されている。

ゲームは、プログラムが決められており、キッザニアもどんなことをするのか内容は決まっている。

すべて子どもたちがお客さんになっている。

ドラえもんの空き地には、なにもない。

自分たちで作り出すしかなかった。
ルールを考え、なにするかをみんなで話し合って決める。

ある意味、子どもたちにはとても不幸な環境。
社会へ出るまで、自ら考える必要性がない。

にも関わらず、社会へ出ると自分で考えることを要求される。

学校も対応しようとしているものの、あくまでも教育機関で勉強を教える場所。
そこまで手が回らないのが現状だろう。

だとすれば、どこか他の場所で子どもたちがクリエイティブ(創造的)になれるところが必要になる。
ドラえもんの空き地がない今、どこかサービスを探すしかない。

おもしろそうなイベントは、たくさんある。
子どもの好奇心を刺激するもの、愉しそうと思えるもの。

でも、僕としてはどこか物足りなくなってしまう。

やっぱり、用意され過ぎているのだ。

大切なのは、不親切さや未完成。
穴があれば入りたくなるように、スキマがあれば人は埋めようとする。
余白をつくっておくのがとても重要だと僕は考えている。

子どもたちがクリエイティブになれる場は大切だと思い、自分たちが取り組む活動でも力を入れてきた。

教室(TRY部)で子ども達に、「なぁなぁ、これどうやったらいい?」と聞かれても、「知らん。自分で考えて」とそっけなく返す。
答えは教えず、ヒントだけを出す。
考え方は教えても、正解や最適解は決して言わない。
子どもにとっては、なんて不親切な大人なんだろう。

でも、そうやって対応していくと、子どもは「どうせ聞いても教えてくれへんし、自分で考えるわ!」と言うようになる。
自分で考えるのがクセになる。

そうやって子どもたちと関わって活動している僕が、思わず嫉妬してしまう活動があるのでご紹介しよう。

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正直、この取り組みを知ったときは「やられたっ!」とさえ思った。

自分がやりたいなぁと思っていることが全て盛り込まれている。
僕が子どもだったら、もう絶対行きたい。

オモシロイに決まっている。
大人になった今でも参加したいくらいに好奇心をかき立てられる。

(もうここからは、片思いの男が好きな女性についてつらつらと語るような感じになってしまので、割愛するけれど)

アインシュタインは、『60分間で、これから出す問題についての解決策を見つけなければお前の命は無いと言われたら、どうするか?』と聞かれたとき、『55分間は、適切な質問をするために使う』と答えたそうだ。

それくらい、“問い”(質問)は大切。

考えることになれていない子どもたちは、適切な問い(質問)がないと、うまく考えることが出来ない。
ワクワクして取り組むようにならない。

そのためにも、こういった場のデザイン(作り方)はとても重要になる。

運営している山田さんが、たった1つの問いをたてるために何十時間もかけていたのを僕は見たことがある。
それくらい、緻密に作っている。

きっとこの活動は、すぐに大人気になって、手の届かないような存在になるんだろうなと思うとちょっぴり悔しい思いもあるけれど、滋賀から遠くない京都で活動がおこなわれているのは嬉しい。

僕が子どもなら必ず行く。
僕が親なら、必ず連れていく。

さて、あなたは?

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田中 洋輔

田中 洋輔

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒 中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。 しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。 野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。 浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。 友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。 フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。 京都新聞にして子育てコラムを連載中。 詳しいプロフィールはコチラから