オリンピックニュースを見て、僕はクラウドファンディングを決断した。

8月22日よりクラウドファンディングに挑戦する。
しかし、出来ればやりたくなかった。
準備に追われていた8月初旬、1つの嬉しいニュースが入ってきた。
ソフトボールが東京五輪の正式種目に復活したという。

僕は、北京オリンピックで金メダルを取った女子ソフトボールチームの物語を考えながら、滋賀へ来た日のことを思い出していた。

 

 

2011年 冬。僕は、滋賀県草津市へ来た。

人生で数回しか来たことがないこの場所を活動拠点にすることを決めて、単身で乗り込んだ。
大阪出身で大学は京都へ通っていた僕にとっては、同じ関西でも滋賀県はあまりにも未知の場所だった。

法人化したものの、仕事は全くない。
毎週土曜日に小学生向けの教室をする以外、なにもすることがない状態。

友達も知り合いも誰もいない。仕事もない。
部屋の電気もつけず、ボーッとしていることも多くあった。

「自分になにが出来るのか?」
「なにをすればいいのか?」

NPO法人を立ち上げたものの、右も左もわからかった。

友人の結婚式もお金がなくて断るくらいの生活だったけれど、それでも、1度もこの活動を辞めようと思ったことはなかった。

 

高校生のとき。
プロ野球選手を目指し、僕は大阪の強豪校へと入学した。
しかし、スゴイ選手に圧倒され、自信をなくして数ヶ月で退部。
その後、学校へ行かなくなった。

人生でやりたいことがなくなり、失意のどん底。
自信も持てず、ただただ苦しかった。

当時のことは、ほとんど覚えていない。
自信が持てず、やりたいことも見つからない。
「自分なんて。。。」と、思う日々。

自信が持てないことで、なにも行動できず、やりたいことも見つからなかった。

そんな経験をしたからこそ、「自分と同じようにしんどい思いをして欲しくない」と、今の団体を立ち上げた。

「なぜ、やるのか?」という理由は明確だったので、決して活動を辞めることはなかった。

 

2年ほどのどん底生活を過ごしながら活動を続けていく中で、滋賀でも次第に知り合いができ、仕事も少しずつだけれど増えていった。

2015年には、草津市との協働事業をおこない、イナズマロックフェスにも出展。
勢いそのままに、僕たちは『子どもの自信白書』を発行することにした。

 

 

2012年3月。滋賀へ来てまもなくのとき。
1人の男性が大津へ講演に来ていた。
雑誌『NPOマネジメント』の編集長で、IIHOE代表の川北秀人さんだ。

彼は、NPOの役割や意義について、切々と述べた。
その中で印象的だったのが、「薄くてもいいから白書を出そう」という言葉。

NPOとして、社会を変えるためには白書を出すことが大切だと川北さんは言う。

 

「当事者の置かれている状況を発信するのが白書であり自分たちの活動を伝えるのではない 自分たちの活動に協力してくれる人を増やすのではなく、誰の代弁なのかを考える。自分たちの活動を分かってほしいから白書出すのではなく、活動を必要とする人たちが置かれている状況をその人たちに変わって発言するために白書を出す。誰がどんなことで困っているのか、今のままでいくとどうなるのか?数値化し、声を拾うことで、声なき声を社会へ伝えることが出来る」


NPO法人 NEWVERYが発行している『中退白書』では、まずはじめに“2ちゃんねる”にいる人たちに声をかけ、100人以上に会って2時間インタビューをしたという。
そうすることで、彼らがどんなことで困っているのか、どうしてそのような状態になっているのかがわかる。

この話を聞き、「いつか自分たちも白書をつくって、社会を変えていきたい」と強く思ったのと同時に、まだなにも出来ていない自分のもどかしさに歯ぎしりしたのを今も覚えている。

 
それから3年。やっと白書をつくれるようになった。

助成金をいただいての作成だから、予算も限られている。
なにより、はじめてのことだから、全てが手探り。

ページタイトルで悩み、写真の選定で悩み、ページ構成で悩む。
進め方もわからないまま、試行錯誤。

監修の先生を見つけるため、テーマに合った教授へひたすら連絡。
取材やインタビュー、コラムの作成、監修とたくさんの人たちが「協力するよ」と快く手伝ってくれた。

そうして、2015年の秋に『子どもの自信白書』は完成した。

 

 

僕はずっと1つの大きな勘違いをしていた。

子どもが自分の未来に希望を持てないのは、親や先生が問題だと思っていた。
親や先生の関わりかたが悪いから、子どもは自信を持てないんだと思っていた。

だから、大人を変えていけば、子どもの未来も変えられる。

立ち上げたときは、本気でそう考えていた。

しかし、活動を通じて、その考えは間違いであることに気がつく。

親も先生も、子どものことを想い、必死になって関わっている。
わかりやすい“悪者”なんてものは、存在しない。

先生は、どんどん疲弊していた。
保護者は、1人で孤独に子育てをしていた。

子育てに関わっている人たち、みんなもがきながら、真剣に子どもの未来を考えている。
敵なんかではなく、同じ志を持った仲間なんだと気が付いた。

大好きな伊坂幸太郎の本を読んでいたとき、「ああ、そういうことだな」と腑に落ちた。

 

俺たちの生きている社会は、誰それのせいだと名指しできるような、分りやすい構造にはなっていない。さまざまな欲望と損得勘定、人間の関係が絡み合って、動き合っているんだ。
誰かのせいにすれば、楽だけれど、そう簡単ではない。だからといって、難しいともいえない。自分の行動を決めて、最善を尽くすことだけをあきらめずにやっていけばいい。
『モダンタイムス』伊坂幸太郎


『子どもの自信白書』を発行してから、保護者の相談を受けることが増えた。

けれど、活動をすればするほど、無力感でいっぱいになっていった。

届けなくてはいけない人たちが、この社会にはたくさんいる。
子どもの幸せを心から願いながらも苦しんでいる人がいる。

活動が広がっていくと、今まで見えていなかった人たちが見えるようになってくる。
出来れば1人1人の話をじっくりと聞き、「大丈夫!」と言ってハグをしたい気持ちでいっぱいだ。

でも、自分たちが出来ることには限りがある。
だからこそ、『子どもの自信白書』を発行した。
子育てをしている人たちへの想いは、ここへ詰め込んだ。
「1人でガンバらなくても大丈夫」という気持ちを冊子にまとめた。
1人1人にハグすることは無理でも、冊子として届けていくことは出来る。

僕たちが、保護者や子どもたちの誰にも言えない気持ちや言葉、声なき声を社会へと発信していく。

 

 

2008年の北京オリンピックで女子ソフトボールチームは見事に金メダルを獲得した。
彼女たちを突き動かしていたものは、“誰かのため”だった。

オリンピックが始まる前、選手は今までお世話になった人たちへ会いに行き、感謝を伝えたという。

人は誰かのためなら強くなれる。

本当は、やりたくなかったクラウドファンディングへ挑戦することに決めたのも、困っている人たちの顔が浮かんだからだ。

正直、白書の配布戦略は甘く、内容もまだまだ。団体としても、ひよっこだ。

こんな状態でクラウドファンディングに挑戦して、「たくさんの人たちの期待に応えられるのだろうか?」と不安だった。

しかし、その心配以上に、「まだ見ぬ、子育てで困り、悩んでいる人に白書を届けたい」という想いのほうが強かったから、意を決して「挑戦する」という決断に至った。

 

マンションがどんどん建ち、住民がどんどん増えている滋賀県。
草津市は、ずっと住んでいる地元の人がいる一方で、新しく引っ越してきた子育て世代も多い。

「知り合いも誰もいないところへ来て、1人で子育てする孤独は想像を絶する」と、草津のママが話してくれた。

縁もゆかりもない土地だけれども、地域の希薄化で苦しんでいる人を救いたいと思って、敢えて滋賀県へ来た。

 

僕は、滋賀へ来てずっと走り続けてきた。
でも、1人じゃなかった。

会うたびに「がんばってるかー?」と声をかけてくれる人、「いつもブログ読んでいるよ」と嬉しい言葉をくれる人。

たくさんの人たちに支えられてきた。

「どうして辞めなかったのですか?」と良く聞かれるけど、それは届けたい人がいたからだ。

子育てしんどいなぁと思っているママ。
思春期の子どもとの関わりで戸惑うパパ。
しんどい気持ちを誰にも話せない子どもたち。

そして、なにより、不登校だった僕自身へ届けたい。
あのときの自分に「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい。
もっとたくさんの人たちへ活動を届けるため。
もっと白書の内容を良いものにするため。

お金のためだけじゃない。

まだ見ぬ、届けるべき人へ届けるために、僕たちはクラウドファンディングに挑戦する。

 

 

8月22日(月)11:00よりスタート。
『全国の子育てで悩んでいる人へ届け!『子どもの自信白書』を作りたい』

 

 

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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