「自分に嘘をつく」ということ

先日、とある元プロ野球選手が覚せい剤を使っていたとして逮捕される衝撃的なニュースがありました。
現役時代の彼のプレーする姿やホームランも生で観たことのあるひとりのプロ野球ファンとしてとてもショッキングでしたが、同時に最近の彼の行動にちょっと引っかかるところもありました。
恐らく、世間は彼に対して、恐らく強気だったりヒールと言うイメージがあったと思います。実際ある新聞には一般の女性の「ダーティーなイメージがあり印象が悪かった」などと言ったコメントが載っていました。確かに現役時代デッドボールを当てた投手に飛び蹴りするなど、やんちゃな暴れん坊だったように見えます。
しかしながらその反面、高校時代の監督などは「実は繊細な性格」「ダーティーなイメージはマスコミが作った」などと彼を評するコメントもあります。繊細、ならば先述のようなやんちゃな暴れん坊なイメージとはほぼ真逆と言うことになります。いったいどちらが彼の本当の姿なのでしょうか。
「弱さ」は、「強さ」で隠すことができる
彼は高校時代1年生ながら名門校で4番を張り、高校野球における甲子園最多本塁打記録ももつ選手でした。その後プロに進むと高卒1年目で31本ものホームランを打ち、その後も毎年20本以上のホームランをかっ飛ばし続けます。
彼は高校1年の頃から、常に注目される人生を歩んできています。その中で、豪快なイメージを持たれがちなホームランバッターと言う性格上、どこかで彼は自分を強く見せなきゃいけない、と無理をしていたのではないか、と推察しています。
以前にも少し書きましたが、少し強がってみたり人を見下そうとしたりすれば、傍から見れば「こいつに逆らってはいけない」と言うイメージがついたり恐怖の対象になったりします。ところがこれは「強い」のではなく、「自分が弱いのをひた隠しにしている」だけなので、別に強くなった訳ではありません。
これはあくまでも私見ですが、高校1年生から常勝軍団の中心でプレッシャーと戦った結果、本当は自分はものすごく繊細な人間なのに豪快に見せなきゃいけない、だから誰にも弱みなんて見せちゃいけないし相談もできない・・・と言う気持ちが、彼の中のどこかにあったんじゃないか、と感じます。
後年、彼は妻と離婚し愛する息子2人との別れを余儀なくされます。その頃から彼の生活はだんだん変な方向に歩みはじめ、逮捕直前に更新していたブログも息子と合えない寂しさを綴った、傍から見れば「彼らしくない」ものだったそうです(読みたかったのですがその前にブログが消えてしまいました)。
僕はこれが本当の彼の姿だったのではないか、と思います。
「自分に嘘をつく」ということ、「嘘つかなくていいよ」ということ
30年前、彼が高校生だった頃に、もしも自分に嘘をつかず、強く見せようとしない生き方を誰かが提案していたなら、ひょっとするとなんとかなっていたかもしれないと思うと、すごくやりきれない気持ちになります。実際、今のプロ野球選手のホームランバッターの中にも、気は優しい選手は何人もいます。
強く見せよう、見せよう、と子分を率いたり、気に入らないボールを投げたピッチャーを汚い言葉で恫喝したり、と自分に嘘をついた結果、妻や子どもまで自分の元を去っていき、孤独になっていったのでしょう。覚せい剤自体現役時代から服用していた、などという話もありますが、もしかしたらその頃から孤独だったかもしれません。
その結果、物事の善悪の判断も鈍り、「自分」と言う軸もぶれ、周囲に受け流されるかのように薬物に手を出した。これは、もちろん本人の問題でもありますし、覚せい剤に手を出すという行為は犯罪ですので許されるものではありません。しかもこういった薬物中毒からの更生の道は過酷なものでもあります。
しかし、こうなる前、もっといえば注目されだした高校の頃から、周囲の人間が救いの手を差し伸べることはできたのではないか、という気もします。
「自分に嘘をつく」ことは、いつか自分に大きなものとして返ってくること。そして、「自分に嘘をつかなくてもいいよ」と言える存在がどこかにいることが、本人を正しい方向へと救う道でもあるということ。
今回のこの事件から、そんなことを考えさせられたのでした。