【TRY部 代表奮闘記】 Vol.0 立ち上げる前の想い

「無事、放映が終わりました」

NHKのディレクターさんから朝に電話があった。
おはよう関西で5分ほど、教室の様子がテレビで放映された直後のことだった。

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TRY部を初めて1年半が過ぎた。
試行錯誤は今でも続いている。

 

目次

ずっと子どもに抱いていたもどかしさ

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立ち上げたときと変わったものもあれば、変わらないものもある。

D.Liveは、日本の子どもが自尊感情が低い状態であり続けるこの社会を変えたいと思って活動をしている。

子どもの自尊感情と勉強の成績には相関がある。
勉強ができない子は、なかなか自分に自信を持てない。
このことに関して、僕はなんとかしたいなと思った。

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学校は、勉強と運動しか物差しがない。
この2つに秀でていない子は、おちゃらけものとしてクラスの中で地位を築くか、モブとしてただのクラスにいる一人として過ごすしかない。

僕は、彼らに対してものすごくもどかしさを感じていた。
学校で子どもと接していると、その気持ちは強くなる。

「僕、勉強できひんからパティシエとかなられへん」
「部活おもんない。どうせレギュラーになんかなられへんし」

あきらめの言葉、自分を卑下する言動ばかりが目についてしまう。

「いや、もっといいところあるやんっっっっ」と、そんな彼らを見ていて僕は思っていた。

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子どもには、無限の可能性がある。
なんにだってなれるし、どんなことも出来る。

にも関わらず、勉強が出来ない、運動が苦手。
たったそんなことだけで人生の選択肢を狭めてしまうのはあまりにももったいない。

僕は、高校生のときに自分の人生を一度閉じた。自らの手で。

その後悔は今でも変わらなくて、それは一生悔いることになるだろうと思っている。
だからこそ、子どもたちには諦めて欲しくない。

「キミは、なににだってなれるんだよ」

そっと後ろから背中を押す、そばで寄り添う、まさしくナナメの関係のような人になりたかった。

お世話になっているメンター(先生みたいな人)に、「田中くんが思う教室をやってごらん!塾とは違う、キミが思うものを」という言葉をいただき、教室を開くことを検討し始めた。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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