中学生のとき、30歳までに死にたいと思っていた

自分ではない誰かになりたかった。

何者でもない自分がイヤでイヤでたまらなかった。

思春期だったから?

それとも、性格?

とにかく、すごい人になりたかった。

凄い人がなにかすらわかっていなかったけれど、「今のままじゃダメだ」と常に思っていた。

中学生になり、学年が上がるにつれてその気持ちは大きくなっていった。

「まだまだ」
「こんなもんじゃない」

僕が持っていたのは危機感で、この気持ちは就職するまで消えなかった。

なぜか30歳くらいにはこの世を去ると思っていた。

坂本龍馬や吉田松陰に憧れていたからというのもあるだろう。

太く短く生きたいと願っていた。

今になって思うと、なにを焦っていたんだろうと思う。

たかだか中学生や高校生。

人生なんてこれからだし、なににだってなれる。

でも、当時はそんなふうに思えなくて、今がすべてだと思っていた。

なにをしても満足が出来ず、一番の敵は自分だった。

うまくいったら当たり前だと思い、少しでも失敗すると、自分を責めた。

もっと、もっと、もっと。

なにもしていない同級生を見ると、イライラした。

「なぜ、そんなに時間を無駄にするんだろう?」と。

だから、不登校、引きこもりになったときは、キツかった。

誰よりも自分が時間を無駄にしているのだから。

不登校ので苦しむ子どもたちを見ると、あの頃の自分の気持ちが蘇ってくる。

自分と子どもたちは違うし、感情移入し過ぎると大事な物が見えなくなる。

分かってるけれど、やっぱり想いは入る。

自分は不器用だったなと、つくづく思う。

プライドが高く、結果だけを見ていた。
周りの目を気にして、どう思われるか、どう見られるかを意識していた。

勉強が出来て、プライドも高い。
けど、なにかで挫折して学校へ行けなくなる子も大勢いる。

彼らの物語を聞いてみると、まるで自分ではないかと思うことが多々ある。

僕は、地獄のような暗闇から抜け出すのに10年近くかかった。

大学へ復帰してからも、数ヶ月に1回は4畳半の部屋に引きこもった。

あの頃は、どうやってこの苦しみから抜け出すのかが分からなかった。

でも、今なら分かる。

自分がなぜ苦しんでいたのか。
どうすれば良かったのか。

まだまだ、彼らに僕は声を届けることができていない。まだまだ力不足だ。

伝えることが出来ず、もどかしい気持ちばかり。

どうすればいいんだと、途方にくれそうになることもある。

目の前にいるのに、うまく伝えられなくて悔しくなる。

けれど、歩みを止めるつもりはない。

海を渡り、必死で布教活動をしたフランシスコザビエルのように。

ps
6月13日は、田中の誕生日です。
今年の個人的は目標は、「人を頼る」です。
そこで、誕生日プレゼントをおねだりしてみます。笑
良かったらお願いします!!

D.Live田中の欲しいものリスト

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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