不登校の子に必要なのは、暗闇の中を照らす光だ。

あのとき、僕は暗闇の中にいた。
自分がどこにいるかも分からない。

立っているのか座っているのかすら定かではない。
平衡感覚ですら奪われたみたいだ。
当てもなくさまようと、不意になにかにぶつかる。
痛みでうめいてみたところで誰も居ない。

いったい、いつになればここから出られるんだろうか……。

 

大学へ行かなくなり、引きこもっていた僕は、出口の見えない真っ暗な洞窟の中にいるようだった。

日中は、かろうじて光が見えるけれど、夜になると漆黒の闇だった。

いつ襲われるかも分からない恐怖から、決して夜に眠ることはなかった。

眠りにつくのは、決まって朝日が登ってから。

 

不登校も、同じような感じだろう。

面談して「今は、暗闇を歩いているみたいだ」と話す子は、何人も居た。

たとえ、楽しそうにしている子でも闇に覆われた霧がやってきているだろう。

気が狂いそうになることもあるかもしれない。

今までは、みんなと同じように当たり前に人生を歩んでいくと思っていた。

学校へ行って勉強をして、受験をする。
友達と遊び、イオンへ買い物に行く。

そんなアタリマエと思っていた日々が、突然のように終わる。

時間をかけて作ったデータがパソコンの強制終了で消えてしまうみたいに突然に。

ゲームをしても、YouTubeを見ても、映画を見ても、いつも頭には「普通」という言葉が浮かんでくる。

普通なら学校へ行っている。
普通ならこんな時間に家に居ない。

劣等感で自分がイヤになる。

時間がたって、家にいることが当たり前になったところで、闇は容赦なく襲ってくる。

慣れてきても、やっぱり怖い。

僕たちのフリースクールには、不登校の子どもたちがたくさんやってくる。

フリースクールでは、みんながゲームをしたり、ワイワイやっている。

さながら学童のように、みんな楽しそうに過ごしている。

見学へ来た人たちが「え? この子たち不登校なのですか?」と言うほど、明るく、楽しい雰囲気だ。

けれど、そういうことを言うと、「ぬるい環境にいたら、子どもはいつまでたっても社会で戦えるようにはならない」とか「楽しいだけなら、そりゃみんな通うよね」みたいなことも言われる。

確かに言わんとすることは分かる。

ずっと遊んでいるだけでは、成長はないだろう。

でも、フリースクールに来ると子どもたちがどんどんと成長していき、学校へ通えるようになる子も多い。

「学校行きなよ」なんて言ったことはないのに、子どもたちが自分で決断をして、学校へ行く。

 

これはどうしてなのだろう? と思った。

フリースクールへ来ることで、進路を考える子、勉強を始める子、新たなチャレンジをする子などが後を絶たない。

僕自身は、その一歩を踏み出すのにほんとうに時間がかかった。

光が見えるまで、1年以上も洞窟にこもっていた。

そこで、「あっ」と思った。

フリースクールは、暗闇の中に光りを照らしてくれる場なのかもしれないと。

明かりが見えると、自由に動ける。

今、自分がなにをしているのかも分かる。

今までずっと暗闇の中で一人だと思っていたのに、実は周りには同じように闇の中を彷徨っている人がいたんだってことも分かる。

孤独が和らぎ、暗闇の恐怖も過ぎ去る。

すると、だんだん好奇心が出てくる。

この洞窟には、なにがあるんだろう?

この先にはどんな場所があるんだろう?
これまでは、漆黒に覆われ、歩いても進んでいるのか戻っているのかすら分からなかった。

しかし、光があることで、確実に前へ足を進めることができる。

土を掴む感触が足に伝わってくる。

どこかにぶつかるんじゃなかという恐怖は過ぎ去った。

だから、子どもたちは前へ進むことができる。

まったく勉強しなかった子が、「勉強しよう」と思える。

学校へ行っていなかった子が「ちょっと行ってみようかな」と思える。

それは、ひとえにフリースクールという暗闇の中に光る明かりを見つけたからだ。

フリースクールは、ただ楽しく遊んでいる場ではない。

お互いの存在が、自分を励ましてくれる。
一歩踏み出す勇気をくれる。

 

先へ進んで怖かったら、またこの明るい場所に戻ってくればいい。

「いやぁ、怖かったわぁ」と笑顔で言っても、ここには「そっかぁ、大変だったね」と受け容れてくれる仲間がいる。

「早く先に進めよ」と急かす人もいない。

自分のペースで歩むことができる。

進みたいと思わないなら、洞窟の中を探検していたらいい。

「この壁画すごいねぇ」なんていいながら、ゆっくり過ごしていたらいい。

大人はみんな、子どもの将来を心配して焦る。

「いや、このままじゃ……」と思う。

でも、人にはペースがある。自分のタイミングがある。

投手がボールを投げるときには自分の間があるように、人それぞれいつ一歩を踏み出すかは違う。

心配しなくていい。

いつかはこの洞窟から飛び出して、自分の人生という冒険を続けないとダメなことは子ども自身がちゃんと分かっている。

念入りに地図を確認する子。
武器を磨く子。
歌って、みんなを鼓舞する子。

いろんな子がいるし、みんな違ってもそれでいい。

人生は長い。

まだ、冒険は始まったばかりだ。

暗闇の中にさまよい、洞窟に迷い込んでしまったのは不運だった。

けれど、そこで子どもたちの冒険が終わったわけじゃない。

この洞窟の中も、冒険の一ページだ。

いつか笑って話せるときがくる。

「あのときしんどかったね」「たのしかったね」
「こんなことがあったね」と。

僕たちは、これからも洞窟の守人として、光を持って立っていたい。
彷徨う子どもたちに光を届けたい。

 

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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