ずっと、誰かと比べて生きてきた。
学校では、テストの順位を気にする。
「あいつは、自分よりも下だな」と思うたび、ほっとしている自分がいた。
負けず嫌いで、誰かに劣っているのは、屈辱を意味した。
勝負には、どんなことでも勝つべきだと信じていた。
勉強でも、運動でも、負けたくなかった。
「できていない」「劣っている」ということは、あってはならないとさえ思っていた。
小さい頃、自分はなんにだってなれるし、出来ると思っていた。
なのに……。
大きくなるにつれて、出来ないことが増えてくる。
いや、増えてくるというよりも、「出来ないことがあるって知る」といったほうがいいだろうか。
できない事実に直面するたび、ひどく落ち込んだ。
「なんで、自分はこんなにも出来ないのだろうか……」
心底、自分がイヤになった。
みんなが出来ているのに、自分だけが出来ない。
「どうして?」
クラスで人気者だった子が、転校生が来たことで、見向きもされなくなる感じに近いかもしれない。
今までは、みんな注目してくれていたのに。
みんな「すごいね」と言っていたのに。
いつのまにか、置いてきぼりにされた感じだ。
「なんでもできる」と思っていた自信は、音を立てて崩れていった。
「出来る!」と思っていたのは、ただの勘違い、思い上がりで、現実はそうではなかった。
自分は、なにもできない人で、何者でもなかった。
ただの勘違い野郎だった。
自分の劣等感をひた隠すため、できるだけ行動した。
自己啓発セミナーにも参加したし、モチベーションに関する本も山ほど読んだ。
自分は、素晴らしい人間なんだ。
そう思い込もうとした。
けれど、無理だった。
周りを見渡すと、自分よりも優れた人たちばかり。
自分がどれだけちっぽけで、ダメな人間かがわかる。
「大丈夫だ!」と、やせ我慢してみるものの、そんな言葉は、ただの焼け石に水だった。
気がつけば、躁うつ状態に陥っていた。
いつも以上にテンションが高い日が続いたあと、数週間、家に引きこもることがあった。
SNSを見ると、みんなが楽しそうにしている。
活躍している姿が目に入る。
そのたびに、落ち込んだ。
「あぁ、それに比べて自分はなにをしているんだろう……」
しんどい体にムチを打ち、外へ出る。
セミナーへ参加する。
「なにかしなくちゃ!」
なにかに追われるように、行動した。
夜、帰宅するとき、大声で叫ぶときがあった。
自分で自分がわからなくなってきた。
心は、破裂しそうだった。
自分はダメだと思うものの、心の奥では、「自分ならできる」と、根拠のない自信があった。
でも、行動できない自分がいて、自分の期待に応えられない自分に嫌気がさしていた。
理想の自分や周りの人たちと比べ、そのたびに落ち込んでいた。
「どうすれば、出口が見つかるんだろう……?」
ずっとブレークスルー(突破口)を探していた。
なにをすれば、この苦しさから解放されるんだろう。
「もうイヤだ……」
これは、僕が大学生のときの話です。
周りの友達は、起業やインターンなど、活発に行動していました。
それに比べ、僕は学校へも行けず、引きこもっている日々が続いていました。
家から出られるようになっても、劣等感はずっと付きまとっていました。
ずっと、「自分はダメだ」という感覚が離れず、躁うつ状態に。
ほとんど寝ずにインターンをしたあと、数週間、全てのライフラインを遮断して家に引きこもりました。
情緒が不安定で、自分でもどうしたらいいかわかりませんでした。
今なら、僕がどうして苦しんでいたのかがわかります。
僕は、ずっと誰かと比較していました。
理想の自分。
周りの人たち。
その人と比べ、優れていたら安堵し、劣っていると苦しくなる。
行き交う人たち全てと比べているような状態だったのです。
「この人よりは、マシ」
「やばい、この人には劣っている」
SNSでもそうです。
「こいつには、まだ勝っている」
「この子、すごいな……」
比べることでストレスを溜め、比べることでほっとする自分がいました。
自分への自信は全くなく、ただ比較することでのみ、自分を保っていたのです。
ある日のことでした。
僕は、テレビで活躍している同い年の芸能人を見て、吐きそうになりました。
「同い年でこの人は、こんなに活躍しているのに、自分ときたらなにをしているだろう……」
自分が情けなく、惨めに感じました。
しかし、それと同時に、こうも思ったのです。
「芸能人と比べるなんて、自分は、どうかしているのではないだろうか?」と。
そう考えると、なんだか比較することがバカらしくなってきました。
いろんなものと競い、比べて、しんどくなる。
これって、完全に一人相撲です。
誰かに、「あなたは、あの人より劣っているわね」と言われたわけではありません。
なのに、勝手に比較して、勝手に落ち込んでいるのです。
よく考えたらバカみたいですよね。
でも、当時の僕は気がつきませんでした。
ただ、とにかくしんどかったのです。
自分に自信が持てなかったので、比較することでしか、自信を得る方法はありませんでした。
「比較するのが、苦しくなる原因なんだ!」とわかったあとも、比較をやめることはできませんでした。
なぜなら、比較することが、唯一、自分が安心できる方法だったからです。
「比較するのを、やめよう」と思うことができたのは、それから5年以上たってからでした。
だいぶましになったものの、僕はずっと比較することで、精神を安定させていました。
自分より劣っている人を見て、「大丈夫だ」と思うしかなかったのです。
それが変わったキッカケは、ある一冊の本との出合いでした。
その本を読み、「比較する必要なんてないな」と気がつきました。
すると、どうでしょう。
気持ちが軽くなったのです。
小太りの人が減量をして、「体が軽い」と言うの同じ。
もう、軽くて軽くて、驚きました。
自分が、どれだけ重い荷物を抱えて、生きてきたのかと思うほどに。
比較して生きるのは、とてもしんどいことです。
僕自身、ずっとそういう生き方をしてきたので、しんどさは身に染みています。
だからこそ、僕は重い荷物を抱えた人に「下ろしたらどうでしょう?」と言いたいのです。
特に、子育てでは、比較が付きまといます。
周りの子よりも発達が遅い。
勉強が遅れている。
できないことがある。
子育てを比較し、我が子と誰かの子を比較する。
比較ばかりです。
だからこそ、子育てはしんどくなってしまうと思うのです。苦しいと思うのです。
今回、そんな方々へ向けてのイベントを企画しました。
つい、比較してしまう。
誰かと比べてしんどくなってしまう。
そんなかたに来ていただきたいのです。
当日は、僕が変わるキッカケになったことについてもお話させていただきます。
一緒に、“比べる”という重い荷物、おろしてみませんか?
9月9日(土) 仏教が教える苦しみとのつきあい方
シリーズ ”○○と考える子育てがラクになる講座”
第3回
「仏教が教える苦しみとのつきあい方
– “しんどい”子育てから、“しんどくない”子育てへ -」
▶︎話題提供 (Speakers)
今回は、子育て中のお坊さんにインタビューした動画を流す予定です。
自分が子育てで大切にしたいことや、苦しさが生まれるワケ、
子育てに関する仏教の教えなどをインタビューしましたので、どうぞご期待ください!
●日時
2017年9月9日(土) 14:00-16:30 (13:30開場)
●場所
しんらん交流館(京都府京都市 下京区烏丸通七条上る)
JR京都駅が最寄りです。
●アクセス方法
JR京都駅の1階中央出口から烏丸通りをまっすぐ上がってください。
●定員:20名(先着順)
●参加申込み:こちらのURLよりお願いします。
●参加費:2,000円
●お問い合わせ: raku.kosodate2017@gmail.com
主催:NPO法人D.Live
企画協力:他力本願.net