北九州市成人式「派手な衣装の自粛呼びかけ」から考える

すっかり2016年が始まって半月近く経ちましたが、僕のエントリは今年最初。本年もよろしくお願い致します。
さて、一昨日までの3連休のどこかで成人式が行われたところも多いはず。そんな中で、新成人に向けて福岡の北九州市がちょっとした「お願い」を呼びかけました。それが、「派手な服装での成人式参加の自粛」。
北九州市では以前より、派手な袴や特攻服、花魁姿の成人式出席者が大勢いたそうで、市民などからも「なんとかならないのか」と言うクレームが寄せられていたとか。で、男子はスーツ、女子は晴れ着など一例を出したうえで派手な服装で参加するのはできるだけやめてほしい、と全ての新成人に呼びかけました。
大人として出席するんだからきちんとした服装で、という意味合いがあったこの異例の呼びかけ、その結果は残念ながら大きな効果が得られたとはとても言えず、今年もド派手な服装に身を包んだ新成人たちが会場で大騒ぎ、という結末に至り、逆にマスコミの取材が過熱するという皮肉な結果に終わったようです。
(参考:北九州市「ド派手」成人式は不滅だった 「きちんとした服装で」市の呼びかけに「爆弾騒ぎ」も : J-CASTニュース)
なぜ、派手な衣装の自粛呼びかけが無意味だったのか?
このニュースを僕が目にしたのは成人式の何日か前のことでしたが、チェックした瞬間「これは無意味だろうなあ・・・」と一瞬で思いました。
例えば、ここに新成人が男女それぞれ100人ずついたとしましょう。100人の男性はみんなスーツを着ています。もう100人の女性はみんな振袖を着ています。男性のスーツやネクタイの色、女性の振袖の色は確かに十人十色ではありますが、ド派手な衣装を着たがる彼らはそんな世界が嫌なのです。
なぜなら、普通にスーツや振袖を着ても、自分が目立たない(と思う)から。
たとえネクタイの色を変えても、スーツの色を変えても、スーツを着ていることに変わりはありません。彼らはそれが嫌なのです。つまり「多数派」なのが嫌。だから彼らは、その中で「どうやって自分を目立たせるか」について考えを巡らせます。髪の毛の色を変えるのか、ちょっと高そうな時計をつけるのか・・・。
で、最終的に至った結論が、特攻服や袴、花魁など、世間一般で変な目で見られる「ド派手な衣装」ということになるわけです。100人中99人がスーツを着ている中にひとりだけ白い袴を着ていれば、そりゃどんな人が着ていたって周囲の目を引きます。彼らは、それを欲しているのです。だからド派手な衣装で成人式に乗り込む。
いくらスーツがふさわしい、派手な袴はふさわしくない、と言われても、彼らにとっては派手な袴が「きちんとした服装」なのだから、何と言われてもスーツを着る選択肢はありません。
しかも今年の北九州市の場合、事前にこのような呼びかけがあったおかげでメディアからの注目度がグーンと上がる結果になり、とにかく目立ちたい、目立たないのが嫌、と言う新成人にとっては逆に大儲けするような展開ができてしまいました。メディアが悪い、という言い分はこういうところに集約されると思います。
北九州市はどうするべきだったのか?
僕はこの問題、どうしようもないと思っています。
いくら男性はスーツがふさわしい、と言ったところで、何百何千といる新成人の参加者全員がスーツで現れたら、僕は正直気持ち悪さしか感じないと思います。なんでみんなそんな個性を出さないの、って。
そもそも新成人の中には、これまで承認欲求がうまく満たされることなく過ごしてきて、「成人式しか目立つチャンスがない」と大きく焦る人がいるのはまぎれもない事実です。これはもちろん本人の問題でもありますが、同時にここまで当人と関わってきた大人も考える必要のある問題と言えないでしょうか。
いくら「大人なんだからちゃんとした服装で来い」と言ったって、人それぞれ「ちゃんとした服装」のものさしは違います。周囲に溶け込める服装をチョイスする人もいれば、やっぱり目立ちたいと思って派手にする人もいる訳です。これは、ごく自然なことじゃないかなと思います。
そりゃ確かに卑猥だったり、他人に迷惑がかかるような服装はいけないと思いますが、別にそんな迷惑がかかる服装じゃなかったら騒ぎ立てる必要ってないんじゃないかなー、と言うのが僕の意見です。むしろ、騒ぎ立てることで逆にヒートアップしている気もします。
指摘する人の中には10年後絶対後悔するぞ、なんてことを言う人もいましたが、「今、このとき」を楽しむ20歳の若者にとって10年後なんて知る由もありません。そこで当人が数年後「なんであんな特攻服着たんだろう」と後悔しても、それは自分自身の問題であり、他者が解決できる問題ではありません。
結局、行政がどうこうという話ではなく、本人がどうこうという問題だと思います。強いていうなら本人の成長する段階でどういう関わり方をしてきたか、という問題でしょう。承認欲求を適度に満たせる環境を整えず、変な目で見ることを止めない大人がいる限り、この問題は永遠に続きそうです。
今回は北九州市の成人式の件について深く掘り下げてみましたが、今年も水戸市などで酒に酔った新成人が式典を妨害するハプニングが多々あったようです。そのへんの考察はこの件もあわせて僕の個人ブログの方で書いてみましたので、よろしければこちらもご覧ください。