「できたことがない日」は、1日もない

今日は1日寝てばかりで何もできなかった。遊んじゃって10ページやるつもりだった課題が3ページしかできていない。
人間はとにかく何かひとつができないと「全部ができていない」と捉えてしまう。でもちょっと待ってほしい。ほんとに全部が全部「できていない」のだろうか?
実は、そんなことはまったくない。
逆転の発想で「できたこと」を見つける
確かに、1日寝てばかりで何もできなかったかもしれないし、10ページやるつもりだった課題が3ページしかできていないかもしれない。これは動かしようのない事実だけど、その中でも「できたこと」というのは探せば絶対にある。
1日寝たおかげでまったく疲れずに1日を過ごせたかもしれないし、10ページまるまるできずに終わるよりは3ページでも進めていれば絶対に良い。しかもその3ページをささっと終わらせることはできたか、答え合わせしたらノーミスだったか、によってさらにできたことが増える。
なにごとも、考えようによって「できた」か「できなかった」か変わってくる。
最近のTRY部での振り返りは、特に「できたこと」について考える時間を取っている。
「1週間で10時間勉強するって決めたけど、できない日もあって結局7時間しかできませんでした」。できなかったことはわかった。とりあえずそこは置いておいて、じゃあその7時間やった中でも収穫があるんじゃない?そこを考えてごらん、と聞いてみる。
こういうとき、生徒たちは大いに頭を悩ます。だって、「できなかった」目標から「できた」ことを探すのだ。でもそこでの気付きこそ、実は目標達成に向けての大きなヒントになる。「そもそも10時間は無茶でした」とか「7時間の中で二次方程式の解き方のコツをつかめた」とか、思わぬ発見に出会える。
これは、なにも勉強に限ったものではない。
例えば学校に行けてなくても、家での過ごし方ひとつに「できたこと」が潜んでいる。「前買った小説を10ページ読めた」でもいいし、なんなら「ご飯を残さず食べられた」でも良い。大事なのは、「できて当たり前」のことにこそ「できたこと」が隠されている、ということ。
「そんなもの、できて当たり前じゃん」ということでも、それを目標にしてしまうと、いざ達成したときに嬉しくなるものなのだ。それが「明日も続けるぞ!」と言う活力にもつながる。そして「できて当たり前じゃん」と思うことでも、案外できなかったりもする。
「コップ1杯の牛乳を毎朝飲む」にしても、うっかり飲むのを忘れたり、そもそも牛乳を切らした日があるかもしれない。どんな小さい目標でも1年間それを続けることって実はけっこう難しい。だからこそ、朝の貴重な時間にコップ1杯の牛乳を飲めたことはものすごく価値がある。
淡々と過ごす1日の中でも、「できたこと」は絶対にある。僕だと、毎週水曜のこのコラムをこうして更新したのは立派な「できたこと」。「できなかったこと」を探すのではなく「できたこと」を探す生き方に切り替えたら、きっと楽しい毎日が待っていますよ。