子どもの成長を見るたび、僕はフリースクールを作ったことを後悔した。

フリースクールを始め、僕は激しく後悔におそわれた。
失敗したとさえ思った。

保護者さんにお願いされて4月より滋賀の瀬田で始めたフリースクールである昼TRY部。

毎週のように問い合わせをいただき、不登校の保護者さんと面談をおこなっている。

昼TRY部の生徒は、もうすぐ10人を超える。

広告も出していない。
ビラも配っていない。
ほとんど宣伝していないにも関わらず、生徒は増えている。
 

小学5年生から中学3年生までいて、大津や草津、京都から来る子もいる。

生徒は増え、成長する姿も頻繁に見られるようになってきた。

でも、僕は子どもたちを見ていると、後悔で胸がいっぱいになってしまう。
居ても経ってもいられなくなる。
 

家から出られず、「全くやる気がない」と保護者に言われていた子が、しんどいと言いながらも受験勉強をしている。

「勉強とか別に」と言っていた子が、「学校行っている同級生には負けたくないねん」と言い、数学検定の勉強をする。

コミュニケーションが苦手だった子が、来ている子どもたちと笑いながら人狼ゲームをしている。

子どもがどんどん成長している姿を眺め、僕は悲しくて泣きたくなっていた。
 

先日のことだった。
不登校のお話し会をおこない、僕は自分が学校へ行けなかったときのことを話した。

中学生のとき、クラスの誰とも話さず、一人で過ごしていたことなどを当時の気持ちと合わせてお伝えする。

話し終えたあと、とある質問をいただき、僕は「はっ」とした。

そのときからだ。
そのとき以来、僕は子どもたちを見ると、少し落ち込むようになった。

「中学生のとき、毎日学校へ行っていたのですよね? 楽しくないし、誰とも話すこともないのに、どうして学校へ行くことができていたのですか?」

この質問は、僕には当たり前のことすぎて、意外だった。

「いや、学校を休むという選択肢がなかったんですよ。不登校なんて知らないし、学校は行くものと思っていたから」

学校へ行けているのなら、いいじゃないか、と思われるかも知れない。

でも、よくなかった。

僕は、ギリギリの状態で学校へ行っていた。

優しく声をかけてくれるクラスメイトをにらみつけ、「近寄るな!」というオーラを出した。

授業中は、ずっと寝ていた。

朝、教室へ行って、気がついたら授業が終わり生徒が全員帰っていることもあった。

仕方なく、夕方にも関わらず弁当を食べて家へ帰る。

そんな日々だった。

なにかがおかしかったけれど、自分では気がつかなかった。

心は間違いなく悲鳴をあげていた。

「もう、やめてくれ……」と。

でも、僕には学校へ行く以外に選択肢はなかった。

学校には行くものだと思っていたし、家にいても退屈でしかない。
それならば、学校へ行って寝ているほうがマシだ。

制服を着るのを忘れ、パジャマで学校へ行ったこともあった。
もう、頭の中はずっと混乱していた。

そして、ついに限界はきた。

僕は、自転車に乗って、電柱に飛び込んだ。

無意識だった。
別に「よし! 飛び込むぞ」と思ったわけじゃない。

死にたいと思っていたわけでもない。

でも、僕は吸い込まれるように、電柱に向かって進んでいった。

ケガをすれば、学校へ行かなくてすむと考えていたのか?
なにかを変えたかったのか?

今でも、どうしてそんなことになったのかは分からない。

でも、僕は学校という環境から逃げたかったのだろう。

自分を分かってくれる人なんて誰もいなかった。
親の優しい言葉がけも、わずらわしく感じていた。

僕は、どれだけしんどくても、苦しくても、孤独でも、”学校へ行く”という選択肢しかなかった。

ハリネズミのように、孤独になればなるほど、他人に敵意をむき出しにして、必死で自分を隠した。

だから、僕は昼TRY部へ来ている子どもたちを見ていると羨ましくてたまらないのだ。

ここには、「学校には行きたくない」という気持ちを理解してくれる大人がいる。仲間がいる。

「しんどい」と言えば、「無理しないでいいよ」と言ってくれる保護者がいる。

僕のときは、親も自分もフリースクールなんてものは全く知らなかったし、”不登校”という言葉自体も聞いたことないくらいだったと思う。

「行きたくない」と言えば、「サボるな!」と言われるのが、当たり前だった。

学校以外の居場所があるなんて、考えたこともなかった。

だから、当然のようにフリースクールへ通っている子どもたちを見ていると、とてつもなく羨ましく思う。
 

僕は、電柱にぶつかった翌日、頭に包帯を巻いて少し遅れて学校へ行った。
「休む」という選択肢は、なかった。
満身創痍になりながら、学校という戦場へ向かっていった。

苦しい気持ちを誰にも言えず、一人で抱えていた。

ケガを隠して試合に出続けるスポーツ選手のように、傷だらけなのがバレないように学校へ行っていた。
 

フリースクールへ来ている子どもたちも、ここへ来る前は僕と同じ感じだった。

大人は全員が敵だ思い、見下す態度をしている子。
学校へ行きたくても、しんどくなって行けない子。
学校という環境にどうしても馴染めない子。

それぞれが苦しみを抱えていた。
どこかをケガしている状態だった。

僕は、ケガを押して、学校へ行った。
誰にも「どこが痛い」とも言わずに。

でも、ここへ来ている子たちは違う。
保護者や先生に、ちゃんと伝えた。「痛いです」と。

そして、今フリースクールである昼TRY部へ来ている。
 

フリースクールは、まるで温泉のようなところだなと思う。

むかし、”湯治(とうじ)”といって、温泉に浸かることで自然治癒をはかっていた。

フリースクールも同じ。

学校という戦場で傷ついた戦士たちが、やってきて治療をおこなう。

まずは、温泉に浸かり、ゆっくりと疲労回復に努める。
回復してくれば、他の人たちと楽しく話すこともできる。

そして、次の「やりたいこと」が見えてくる。
目標が見つかってくる。
 

僕には、リラックスして入られる温泉がなかった。
傷だらけになろうとも、学校という戦地で闘うしかなかった。

 

昼TRY部へ来ている子どもたちを見ていると、どうしても思ってしまう。

「自分のときに、こんなフリースクールがあったらな……」と。

そうすれば、もがきながら、這いつくばるようにして学校へ行く必要なんてなかった。

かろうじて学校へ行っていたものの、あの時期、僕はほとんど屍だった。
ただ、学校へ行っているだけ。
誰とも話さず、ただ寝ているだけ。
まさに、生きる屍だった。

どうして、僕はあんな無駄な時間を過ごしたのだろう。

あのとき、学校ではなく、違う居場所へ行っていたらもっと充実した時間を過ごせたと思う。

ハリネズミのように、誰とも話さないといったこともなかった。

昼TRY部に来た「大人なんてみんなバカだ」と言って、大人と関わることを避けていたハリネズミの中学生は、僕に「田中さん、貫禄ないよねぇ」と笑いながら言ってくる。

そして、嬉しそうにアニメの話しをしてくる。
 

ああ、いいな……

羨ましい。
 

僕には、しんどかったとき、誰もそばにいなかった。
知っている大人なんて、親と先生くらい。

バカなことを言ったり、違う選択肢を示してくれる大人なんていなかった。

悩みを話せる相手なんていなくて、すべて自分だけで解決しようとしていた。

でも、昼TRY部の子どもたちは違う。

「高校、どこ行こうか迷っているんです。近くだと、同じ中学校の友達とかもいるしイヤなんです」と、全てをさらけ出して相談をしている。

学校の先生や親に言えないことでも聞いてくれる大人がいる。

僕が中学生のとき、進路相談で先生は偏差値の話しかしてくれなかった。

「キミの成績だったら、このあたりの学校かな」と言われた。

将来どうしたいか、どんなことがしたいのか。
どんな道を進みたいかなんて、残念ながら聞いてくれなかった。

たくさんの生徒がいるんだからそんなものかもしれないけれど、僕のことを親身になってじっくり聞いてくれる大人はいなかった。

 

昼TRY部には、自分のことを分かってくれる大人がいる。
自分のしんどい気持ちを理解してくれる仲間がいる。

「学校行きたくないねん」と言えば、「そうやんなぁ。イヤやんなぁ」と共感してくれる子がたくさんいる。

「テストで30点しか取られへんかってん」と落ち込んでいれば、「そんなん、俺なんか10点くらいの点数取ったこともあるから大丈夫やで」と励ましてくれる子がいる。

弱い者たちが、ただ傷をなめ合っているのではない。

「学校行かなくてもいいよね」ではなく、「学校行けなくても仕方ない。でも、違うことでガンバろう」というお互いを鼓舞しあう仲間だ。

だから、昼TRY部に来た生徒は次の目標を決めて、どんどん進んでいく。

漢字検定1級を勉強している子。
週末になると、電車に乗っていろんな城を見に行く子。
合唱コンクールに出るため、ガンバって学校へ行く子。

お互いの存在が刺激になって、ガンバることができる。

たとえどこかで傷ついたとしても、またこの温泉で治療をすればいい。
 
 

子どもたちがどんどんチャレンジする姿を見るたびに、僕は羨ましくて、たまらなくなる。

成長する姿を見るたびに、「いいなぁ」と思う。

あのとき、中学生だった僕が昼TRY部へ来ていたら、どうなっていただろう。

やりたいことを見つけて、なにか行動を起こしていただろうか?

分かってくれる人がいることで、自信をつけていろんなことが出来ただろうか?

どれだけ思い焦がれ、羨ましがっても失った時間は戻ってこない。

わかっている。
わかっているけれど、やっぱり……

子どもたちに自分を重ねてしまう。

自分がずっと苦しんでいたときのことを思い、悲しくなる。

どうして、僕はあんなに苦しまないとダメだったんだろう?

なぜ、近くに僕の気持ちを分かってくれる人がいなかったんだ?

先生も友達も、誰もなにもしてくれなかった。
ただ、距離をとり、避けられていた。

ハリネズミだから自業自得かも知れないけれど、僕は常に孤独だった。
しんどかった。

自分を理解してくれるたった一人の大人すらいなかった。

しかし、今になってふと思うこともある。

ちょっと待てよと……。

 

もしかしたら、先生も親も、僕のことがよく分からなかったのかも知れない。

「なにか変だ」と思いながらも、どうやって扱えばいいのか分からなかったのかも知れない。

腫れ物に触るように、おそるおそるといった感じだったのだろうか。

ならば、中学生のとき「分かって欲しい」と思っていた僕の経験は、決して無駄じゃないかも知れない。

気持ちが分からず困っている大人がいるのであれば、僕が橋渡しをすればいいのだ。

僕が中学生のときにフリースクールへ行かず、闘っていた時間も意味があったのかもしれない。

親がフリースクールを見つけて、スグにそこへ行っていたら、きっと「誰も自分のことを分かってくれない」という苦しみは分からなかっただろう。

どうやら、自分の経験を活かして、子どもたちだけでなく、保護者さんや先生にも寄り添う必要があるのかもしれない。
 

先日、昼TRY部へ来ている生徒の中学校へ行き、校長先生とお話をした。

「いやぁ、そちらへ行ってから、彼すごく元気になっているそうですね。担任の先生に聞きましたよ」と、嬉しそうに話しかけてくれる。

担任の先生にも、「これから生徒のことで情報交換いろいろしていきましょう」と話し、今では生徒の様子をメールでお知らせしている。

そして、昼TRY部へ来ていることも出席扱いとしてもらった。
 

先生が不登校の子が分からないのであれば、分かる人が関わればいい。

ハリネズミには、ハリネズミが分かっている人がいればいい。

なにも大人が血だらけになって、ハリネズミに関わる必要なんてない。

 

フリースクールへ行かせたくても、子どもが「行きたくない」と言うのであれば、保護者さんの話しをじっくり聞けばいい。

保護者のかたに寄り添い、外へ出てくるまで保護者さんのサポートをすればいい。
そのためのお話し会イベントもはじめた。

昼TRY部の保護者さんは、よくLINEで相談をくれる。

「勉強したくないみたいなんですが、どうしましょう?」
「旦那が子どもに厳しいのですが、どうすればいいですか?」

小さなこと、聞いてもいいのかと思うようなことでも、どんどん連絡くださいと伝えている。

抱えなくていい。

抱えるしんどさは、僕が一番分かっている。

連絡は、相談だけじゃない。

「最近、毎日家で勉強していますよ」
「父親とサッカー見に行きました!」

嬉しい報告もどんどん入ってくる。
 

まだまだ学校の先生とのやりとりは少ないけれど、もっと一緒に手を取り合っていきたいなと思っている。

生徒の何人かは、昼TRY部に来ているのが出席になっている。
学校のテストをここで受ける子もいる。

出席扱いになるかどうか分からない学校へは、保護者さんへ繋いでいただき、学校長に会ってお願いをしようと思っている。

今度は、京都の中学校へ行って、教育委員会のかたとも話す。

「僕たちは、いつでも矢面に立ちます。学校のことで困ったことなどあれば、どんなときでも声かけてください。いつでも出動しますよ」と、話している。

 

学校へ行けない子、保護者。
その人たちの味方として、出来ることはどんなことでもしたい。

それがきっと、僕が中学校、高校と苦しんだ意味だと思うから。
 

学校へ行けない苦しみを抱えた子どもたちを救うため、僕たちは昼TRY部をつくった。

これは決して子どもだけのためじゃない。

不登校の子との関わりが分からない保護者さん。

不登校の子に関わってあげたいけど、どうしたらいいか分からない先生。

苦しみを抱えた人たち、全てに手を差し伸べるため、僕はこれからもこの昼TRY部を運営していきたい。
 

前向きに考えたことで、やっと子どもたちの姿を見ても落ち込まなくなった。

純粋に成長が嬉しくなった。

これからも、どんどん子どもたちの成長を見て行きたい。

先生や保護者、たくさんの関わる大人と共に、子どもが成長する姿を見て、喜びたい。

「毎週、うちの子は行くのを楽しみにしています」

「昼TRY部へ行く前日は、ちゃんと行けるために早く寝るようにしているみたいです。」

こんな嬉しい言葉をもっとたくさんいただけるように……
 

p.s

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    この記事を書いた人

    1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

    中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
    しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
    野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
    浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
    友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
    フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
    京都新聞にして子育てコラムを連載中。
    詳しいプロフィールはコチラから

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