M-1を見て感じた、夢に向かって取り組み続ける大切さ。

涙が止まらなかった。

「よかった。よかった」

うれし涙というよりも、安堵の涙だった。
「神様がいた」と、テレビ画面でぽっちゃりとしたメガネの男が言った。
僕もそう思う。

いやぁ、ほんとに良かった。
何度、心が折れたことだろう。
何度、もう辞めようと思ったのだろう。
15年という月日は、あまりにも長すぎる。

僕は、2017年のM-1グランプリでチャンピオンになった“とろサーモン”のドキュメンタリー『泥に咲く花』を見ていた。

オモシロイと言われ続け、次こそは決勝に行くんじゃないかと言われていた。

けれど、ダメだった。

敗退が続き、みんな「とろサーモンは、もう無理だ」と思った。

本人たちも、「ダメかもしれない」と思っていたことだろう。

2015年の敗者復活。

誰もが、「とろサーモン来たぞ!」と思った。
素晴らしかった。
会場のウケも最高だった。

けれど……。

選ばれたのは、トレンディエンジェルだった。

しかも、トレンディエンジェルは敗者復活の勢いそのままに、M-1王者に輝いた。

どんな気持ちだったのだろう。

手応えがあったのに、苦渋をなめる気持ちは。

きっと僕たちには計り知れないほどだったのだろう。

ボロアパートに住み、お金がないからほとんど外出しない。たまにファミレスへ行ってドリンクバーで6時間も粘る。

テレビをつければ、同期や後輩が活躍している。

おもしろいと言われ続け、業界内での評価も高かったのに、売れなかった。

「次こそ!」と思うものの、いつまでたっても結果が出ない。

若手だったのがだんだん後輩も増えてきて、気がつくと結成して15年になっていた。

「これでダメなら、芸人を辞めようと思っていました」

相方にすら打ち明けていない気持ちを、受賞後に村田は語った。

ここまでやってダメなら仕方が無いという気持ちだったのだろう。

チャンピオンがとろサーモンに決まったとき、まるでうなされるかのように久保田は言った。

「神様がいた。神様がいた。神様がいた。」
おもしろいからといって売れるワケではない。

運もタイミングもある。

でも、久保田が言うように、あの日、確かに神様がいたのだ。
子どもがなにかしたいというと、たいていの大人は否定をする。

「そんなこと無理だよ」
「厳しい世界なんだよ」

プロ野球選手を目指していた僕も、同じように言われた。

「なれるわけないやん」
「ケガしたら終わりだよ?」

大人は、優しさで言っているのだろう。

でも、僕はたくさんの人が自分の足を引っ張っているように感じた。

だから、子どもたちが「やりたい」と言ったら、僕は全力で応援したいと思っている。

ラクな道ではない。

とろサーモンの2人は、下積みの時代を「地獄だった」と言い、「もう二度とあんな思いをしたくない」と言う。

僕も今の団体を立ち上げて、5年は飯を食うことができなかった。

バイトをしながら、「いつになったらバイトせずに仕事が出来るのだろう……」と思っていた。

同級生たちが大企業で働き、結婚していくなか、僕は30歳にもなるのに、コンビニでバイトをしていた。

いつまで続くかも分からない暗い暗い道をもがき続けていた。

でも、あの時期があったからこそ、今がある。

今、ほんとうにやりたい仕事をやっている。

好きなこと、やりたいことをするのは、しんどいし辛い。

しかし、その未来の可能性を大人が奪ってはダメだと思うのだ。

親からすると、子どもがもがいている姿は、見ていられないだろう。

「そんなにしんどい思いをしなくても……」と思うだろう。

でも、人生は一度切りだ。

とろサーモンはたまたま報われたけど、全ての努力が報われるわけじゃない。

ガンバって、ガンバっても、いつか諦めないとダメなときもあるだろう。

それでも、僕は、やりたいことがあるのならば、ぜっっっっったいにチャレンジするべきだと思っている。

僕は、高校生のとき、プロ野球選手になる夢を諦めた。

今でも、途中で挫折したことを後悔している。

「やりきった」と思うまでやらずに、諦めたことに対して、ずっと「あのとき続けておけば……」と思っている。
無謀な夢を語る子どもを見ていると、止めたくなる気持ちも分かる。

できるだけ、苦労しない道を進ませたいと親なら思う。

当然だ。

けれど、それは結果的に子どもの可能性を閉ざすことになってしまう。

大丈夫。

子どもは、そんなにヤワじゃない。

そして、大事なのは夢や目標を叶えることじゃない。

やりたいこと、実現させたいことに向けて、ただガムシャラに進んでいくことだ。

成功は、約束されていない。
けれど、どんなときだって、僕たちには成長が約束されている。
やりたいことを愚直に取り組み続ける大切さを僕はとろサーモンから学んだ。
優勝のあと、久保田はTwitterにこう書き込んだ。

これは汗と血の代価で成し遂げた偉大なる勝利です

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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