自撮り女子の増加は、いったい何を意味しているんだろう

 

先日の事。

 

僕は、子どもの自信白書打ち合わせのためにスタバにいました。
すると、となりのテーブルに大学生と思われる女子4人組がやってきました。

 

 

気にせず打ち合わせを進めていたんですが、
ふと視界に入ってしまったんです。「撮るよー」といって自撮りしてる女子4人組の姿が。

 

 

 

 

(あぁ、見てしまった)

 

 

僕、すっごい気になってしまうんです。自撮りしてるのが。
(写ったらどうしよう)って、気にせんでもいいことを気にしてしまうんです。

しかもその四人組は、何度も角度を変えて取りまくってるんです。
なんなら撮る人も変わって、

 

「あ!ここ(角度のこと)いいやーん!」

と言いながら自撮りしてました。打ち合わせしなければと集中を取り戻そうとするのですが、もう気になって仕方がなかったですね。

 

 

 

そんな四人組が退店し、ほっと一息ついて集中し直すと、
今度は同じ年代の二人組が席について、また自撮りしてました。

 

 

 

(アンタらもするんかい!!)

 

思わず心の中で叫んでしまいました。

 

 

このケイタイのカメラで自撮りをする女子グループ「自撮り女子」。
最近ほんとうに増えてきたと思いませんか。

 

 

USJに行ったときなんかは、もう待ち時間だろうが、ショップだろうが至る所に自撮り女子たちがいました。

 

一昔前に、ケイタイにカメラがついたあたりから、
だんだん「写真」が従来持っていた意味合いが、「写メ」「画像」という言葉の普及とともに変わってきたことは僕にもよく分かっていますが、このスタバで遭遇した女子学生たちのような「自撮り女子」たちがここまで増えてきた事は一体何を意味しているんだろうと気になって気になって、それこそ「自撮りしているところに写ったらどうしよう」と気にする以上に気になってしまったので、考えてみる事にしました。

 

 

1、リア充アピール

一番はじめに考えたのがこれです。自分は友だちがいるんだ。リアルが充実しているリア充だということを写真をとってSNSにアップして、アピールするためにやっているんじゃないかと。でも、多分これは違うだろうなとすぐに思いなおしました。スタバの女子学生も、そんなことしてませんでした。「写真おくってやー」とグループ同士での写真のシェアしてる様子でした。(詳しく見てないので、SNSにアップしているかも知れないですが・・・)じゃあ、何なんだろう?

 

 

 

2、通過儀礼(イニシエーション)としての自撮り

次に考えたのが通過儀礼としての自撮りです。通過儀礼なんて、もうほとんど見ることが無いですけど、部族の中である儀式を行って(内容は部族によって違う)、そのコミュニティの中で成人として認められるというのが通過儀礼です。子どもから大人への変化したことの象徴であったり、そのコミュニティの中で成員として認められることの象徴であったりします。日本でも昔は元服という通過儀礼がありましたね。

 

 

そんな通過儀礼。日本の現代の元服が自撮りなんじゃないかと思ったのです。
なぜかといいますと、山竹伸二先生が著書「認められたいの正体」の中で、承認について3つに分類しています。

  • 親和的承認
    無条件で受け入れてくれる存在からの承認。子供にとっての母親、家族、近所の人。
  • 集団的承認
    自らが属する集団からの承認。保育園、学校の仲間。会社の上司、同僚など。
  • 一般的承認
    属する集団を超えた世間一般的からの承認。道徳、一般常識など。

さらに著書では、この中でも若者は集団的承認に対してすごく執着する。学生だと友だちや自分の所属するグループから承認されないことに強い不安を覚え、グループがよしとする行動をとったり、グループの価値基準を内在化していく、というような話が続きます。

 

グループから外されること、認められないことに強い不安を覚える今の若者にとって、自撮りとはその集団での協働作業であり、後に残るもの、外部へアピールできるものであるという点から、現代日本の通過儀礼だと考えたわけです。

 

でも、なんかちょっと違う気がしてもう一度考えてみることにしました。

 

 

 

3、なんでもない日常に意味を見いだせない様子の表れ

 

次に考えたときに、白書作成でお世話になった福井先生から教えてもらった「いまの若者は意味を感じることが少ない」という観点から考えてみることにしました。この考えに立つと、自撮りというのは、特別な日々をすごしていない自分からの逃避、なんでもない日常に意味を見いだせない様子の表れと考えることが出来るのではないでしょうか。

 

写真とは、そもそもカメラマンでもない限りは何かの記念に撮ることが主流です。”何か特別な事があったから撮る”。しかし自撮り女子は”撮ったから、なんでもない日常を特別なものにした”のではないでしょうか。日常の中で撮るという行為と、その後アプリで加工するという行為を通して特別化する。特別だからこそ、スタバでのこの時間も意味を持つようになる。私は充実した時間を過ごしているんだなぁという意識を持ち、意味のない日常を過ごしている私という自己イメージから離れることが出来る。

 

 

 

あぁ、ありそう。

 

なんとなくありそうな感じがしてきたぞ。

 

 

 

 

でも、やっぱりよく分からないので、知り合いの女子学生2人に聞いてみました。

 

「(スタバでの出来事を話したうえで)なんで自撮りするの?」

—-ヒマやからですよー。なんかとりあえずやっとくって感じです。USJとか行ったときはめっちゃ撮ったりしますし。なんかヒマなときも撮るかなー。スタバで撮るのは、スタバにいる自分にブランド感じてるからっていうのもあると思います。

(ほぉほぉ、これは3、の「なんでもない日常に意味を見いだせない」ということが近いんじゃないか?)

 

 

—-なんかでも、最近はしなくなりましたねー。1,2年のころだけかも。

「へぇー、自撮りするときってなんか意図してるの?たとえばSNSにアップするためにとか?」

—-え、いや全然考えてないですよ(笑)。「無」って感じです(笑)

—-SNSにアップするときもありますけど、そのためにって感じじゃないですね。

(ほぉ、全然わからなくなってきたぞ!)

 

 

—-あー、でもプレゼント作るときには便利ですね。写真がないと、作りにくいですもん。写真あんまり無いカップルとかは困ってましたよー。

(はー。。。なるほどなぁ。そういう風にも使うのか。)

 

 

このほかにも、アプリが発達してきたのでプリクラに行かなくなった話など興味深い話がたくさんあって、関心が尽きなかったのですが、「これだ!」という結論を得られなかったので、「自撮り女子」が増えてきたことが何を意味するのか、もう少し考えていきたいですね。

 

—-でも、あれですよ!うちらからしたら、男子がラーメンの写真アップするのも意味わからないですよ!?

(何!?いや、それはアレだろう。)

 

 

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この記事を書いた人

D.Live副理事/元小学校教員
自分に自信が持てない、自分を好きになれない、そんな人が自分を好きになり前向きにチャレンジできる社会を創るためにD.Liveを立ち上げた。
自尊感情に関心が高く、D.Live内では主に自尊感情に関する事業を担当。

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