なぜ、そんなに楽しそうに子どもが計画を立てるのか?

「先週立てた目標、うまくいっているねん」
生徒が笑顔で話していた。
「ほとんどうまくいっている。やから、今週はもうちょっと難しい目標を立てようと思っているねん。今のやつは、もう余裕やわ」
嬉々として目標について語っている。
”目標”や”計画”と聞くと、なんだかイヤな感じがするのは、子どもだけではないだろう。
ノルマのよう思うことも少なくない。
自分で立てた目標なのに、やりたい気持ちが失せ、いつの間にか立てた目標すら忘れてしまう。
そう、あの新年に立てる目標と同じだ。
小さい頃から、僕たちは計画を立てることを強要されてきた。
夏休みの宿題計画など、最たるものだろう。
全く予定通りに進まないのに、僕は毎年のように7月で終わるように計画を立てていた。
一度たりとも、出来たことないのに……。
計画はいつだって机上の空論で、計画のために計画を立てるようなものだった。
めんどくさく、イヤイヤながら立てるもの。
だから、きっとあなたがTRY部で、子どもたちが嬉しそうに計画を立てている姿を見ると、「なぜ?」と思うだろう。
TRY部の子どもたちは、楽しそうに計画を立てる。
そして、振り返りも、イヤそうには、取り組んでいない。
振り返りと聞くと、真っ先に浮かぶのが”反省”だ。
先日、僕たち団体でイベントをおこなった。
その振り返りの日程を確認しているとき、一緒にイベントをおこなった人が「じゃあ、反省会はこの日にやりましょう」と言っていた。
振り返り = 反省
そんな図式が僕たち大人には、ある。
にも関わらず、子どもには振り返りを求める。
自分たちがやって楽しくないことを子どもにもさせようとする。
だから、子どもは振り返りが大嫌いで、全く楽しくない。
振り返り会は、ただの反省会になってしまい、ただひたすらうまくいかなかったこと、ダメなことばかりを考える。
でも、それだと全く楽しくない。
僕たちが計画や振り返りを”楽しい”と思わなかったのは、成長を実感できなかったからだ。
計画通りに進まない。
やろうと思っていたことができない。
悪いところばかりが目に付き、反省点ばかりあげてしまう。
しかし、成長が実感できるように工夫すると、計画や振り返りは、途端に楽しくなる。
「TRY部に来てから、成長が実感できるねん。ガンバっているなぁと感じることができる。やから、楽しいねん」と、生徒は言う。
ほんと小さなコツだ。
小さなことを意識するば、オセロがひっくりかえるように、”おもしろくない”ことが”楽しい”と思えるようになる。
「先週立てた目標やってみたんやけど、そもそも意味ないってことに気がついてん。早起きを目標にしていたのに、寝る時間が遅かったら、早く起きてもあかんなぁ。やから、今週は違う目標にしようと思うねん」
僕たちが指摘するでもなく、子どもたちは自分で課題を見つけて、改善しようと考える。
スタッフがアドバイスをすることは、あまりなくて、生徒が自分でどうしようかを考え、目標を立てていく。
「こんな場合はどうする?」
「こんな方法もあるよ」
僕たちがするのは、少し視野を広げる質問だけ。
ほとんどは、子どもたち自身で考える。
自分で立て、自分で改善した目標だから、どんどんガンバることができる。
「やること忘れるから、みんなにLINEで毎日やった報告を送るわ」と生徒が言って、毎日嬉しそうにLINEで結果を伝える生徒もいる。
「こうしたら?」なんて一切言っていない。
「俺、友達が喜んでもらえたら嬉しいから、それがきっと続くと思うねん」と、自分の特徴を理解し、自分なりにうまくいく方法を模索した結果だ。
大人が見たら、「すごくガンバっているね」と思うだろう。
でも、きっと本人たちは、あまり”努力をしている”という実感はない。
なぜやっているかと言うと、単純にうまくできるようになるのが嬉しいからだ。
人は、できないことができるようになると、嬉しくなる。
どんなことであっても、上達を実感すると楽しくなるし、もっとうまくなりたいと思う。
その気持ちをうまく利用しているのが、ゲームだ。
テレビゲームは、ゲーミフィケーションといって、人がやる気になるポイントをうまくついている。
主人公のレベルがあがると嬉しくなるし、「もっともっと」と思って、やめられなくなる。
今、TRY部に来ている生徒たちも、きっと同じ気持ちだろう。
「今週、5回うまくいった。これ毎日うまくできるようになりたいな」
楽しく、できるようになるのが嬉しくてたまらない。
TRY部の生徒は、人生の主人公として、自分のレベル上げにハマっている。
楽しいからこそ、上達する。
楽しいからこそ、もっとガンろうと思える。
嫌いな勉強だって、やりたくないめんどくさいことだって、彼らは乗り越えていけるだろう。
人生を楽しく過ごす、魔法の考え方をTRY部で学んだのだから。