二度と来ないと思っていたハワイが教えてくれた大切なこと

ニュースをつければ、毎日のように新型コロナウイルスの話題。
満足に外へも出られず、うんざりな日々。
今年は、ほとんど旅行をしていない。
唯一、1月に信州へスノーボードに行ったきり。
来月に予定している奄美大島へのフライトも厳しいだろう。
いつになったら、いつもの日常に戻ることが出来るのだろうか?
そう思いながら、僕はある記憶を思い出していた。
灼熱の太陽。晴れ渡った空。波の音。
窓からは、プールで泳ぐ親子が見えていた。
中学3年生の僕は、ホテルで一人、塾の課題と向き合っていた。
ホテルを出て少し行くとそこはワイキキビーチ。
家族はとっくにビーチへ行っていた。
祖父母と両親、妹二人。みんなで来たハワイ。
けれど、ちっとも楽しくはなかった。
中学2年生の終わり。
その瞬間は突然おとずれた。
自分の中で張り詰めていたものが切れた。
突然バッテリーが切れる壊れた携帯電話のように、プツッと電源が切れてしまった。
自分では、いったいなにが起きたのか分からなかった。
ただ、その瞬間から世界から色が消えたように感じることになる。
なにを食べても美味しくない。なにをしても楽しくない。
中学3年生になり、僕は誰とも話さなくなった。
ずっとイライラしていた。
なにについてか分からないけれど、むしゃくしゃしてたまらなかった。
教室で声をかけてくれるクラスメイトを僕は全力で睨んだ。
世界には誰も自分の味方はいないような気がしていた。
正直、混乱していた。
僕はどちらかというと学校で目立つタイプだった。
体育祭ではアンカーを走り、文化祭の劇では、全校生徒の前で主役を演じきった。
学校は楽しい。
はずだった……。
はじめは小さな違和感から始まり、だんだんと苦しさが増していった。
中学3年生でとても苦しかった僕にとって唯一の居場所だったのは、家から1時間以上かけて通っていた大阪市内の塾だった。
そこには、これまでの自分を知る人は誰もいない。
なにも考えず、自分らしくいられる癒しの場所だった。
学校へは、毎日重い体を引きずりながら通っていた。
どうせ学校を休んでもやることはない。
遅刻ぎりぎりに教室へ行き、9時頃から16時くらいまでずっと机に突っ伏して寝ていた。
夕方に昼食を食べ、そのまま塾へ向かう。
そのときの僕にとって、学校の時間はただの無為な時間に過ぎなかった。
たくさんの人がいるのに、ものすごく孤独だった。
そんなメンタルがギリギリのとき、親から「家族旅行をする」と告げられた。
ハッキリ言って、行きたくなかった。
喜びという感情を失った自分が旅行をしても楽しめるわけがない。
むしろ、よりしんどさを助長するのではと思っていた。
けれど、中学生を家に置いていくことも出来ず、僕はイヤイヤ飛行機に乗り、ホノルル空港へ降り立つことになる。
今、思い返してもハワイの出来事はほとんど覚えていない。
体育祭や文化祭。
1年生の班替えなどは、会話まで覚えているのに、ハワイでの出来事は頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。
覚えているのは、因数分解の問題が大量に書かれている数学のプリント。
拙い英語で買ったハンバーガー。
ホテルの窓から見えるプール。
それくらい。
それから時がたち、僕は結婚した。
ハネムーンの話題があがったとき、僕は咄嗟に「ハワイ!」と叫んでいた。
どうしてか分からない。
中学生のあの頃。
「もう二度とハワイには来ないだろうな」と思っていたのに。
パンフレットを見るたび、心は弾み、HISのカウンターで相談しているときもワクワクして仕方がなかった。
20年ぶりに訪れたハワイは、僕が中学生のときとはまるで違うかった。
エメラルドグリーンの海。
真っ青な空。
二重の虹。
ダイアモンドロック。
あのときと同じ場所だというのに、そこにはまるっきり違う景色が広がっていた。
僕の胸はずっと踊りっぱなしだった。
ハワイが変わったわけじゃない。
美しい空も海も。心地よい風も。
あのとき、僕が因数分解をしているときにも、そこにはあっただろう。
でも、気がつかなかった。
気がつける余裕がなかった。
ハワイが変わったんじゃない。
僕自身が変わったんだ。
今、世界は未知のウイルスが蔓延し、これからの見通しがつかなくなっている。
不安を感じる人もたくさんいるだろう。
でも、いつかまた、マスクをせずに笑いながら外を気兼ねなく歩ける日が来ると思う。
子どもが不登校で将来に不安を抱えているご家庭も同じだ。
「この先どうなるのだろう?」
「ずっと引きこもるのではないか?」と、心配になることもあるだろう。
でも、きっと大丈夫。
僕は、中学生のあの頃からずっとしんどい日々が続いた。
卒業アルバムに写る自分の姿を最近見て驚いた。
体中から瘴気(しょうき)を発していた。
目はうつろで、髪は何ヶ月も切っていないでボサボサ。
あの頃の自分は、生きているのにほとんど死んでいた。
そんな僕でも、再び笑顔になれる日がおとずれている。
「二度と来ない」と思っていたハワイへ行き、夜風に当たりながらワイキキビーチを幸せをかみしめながら歩くことができた。
やまない雨がないように、苦しい日々もいつかは終わりを迎える。
不登校も同じ。
きっと遠くない日に笑顔を取り戻せるときがやってくる。