中学生のとき、悩みを一人で抱えて爆発した話。

最近、毎週月曜日がとにかく楽しい。

朝、9時頃から働いて、帰るときには22時前になっているんだけれど、疲れなんて忘れるくらいに楽しいと思える。

ずっとやりたかったことがやれているという感覚がある。

TRY部は、これまでずっとやってきた夜の教室。中3のときに来た生徒は、もうすぐ成人を迎える。

気がつけば、ずっと試行錯誤をしていた。

どうすれば授業がうまくいくんだろう、どうすればもっとおもしろくなるんだろう。
どうすれば生徒が集まるんたろう。

何度も企画会議をした。
何度もホームページを修正をした。

なんど、「やっと分かった!」と言っただろう。

掴んだと思ったら、離れていく。

そんな感覚だった。

けれど、今度はちょっと違う。

「掴んだ」というより、「うん、うん、そうそう」って感じ。

たかしな手応えとでも言うのだろうか。

毎週、授業が楽しくて、帰るときには満足しながら帰る。

でも、この満足感やうれしさをなかなか人に伝えることができない。
うまく表現ができない。

もどかしく感じて、こうやって文章に書くコトにした。

果たして、うまく書くことができるの?

夜10時に駅のホームでニヤニヤしながら歩いてるおっさんのキモチがちゃんと伝わるのだろうか?

などと不安には思うけれど、とにかく書いてみよう。

TRY部でやっていることは、ほんとうに単純だ。

計画と振り返り。

自分がこうなりたい、こうしたいという目標を立て、どう進んでいるかを振り返る。

ただ、それだけ。

なにも珍しいことをしていない。

びっくりするようなカリキュラムもない。

ただ、淡々と、自分自身と向き合う時間。

まるで、お寺みたいだ。

自分はどうしたい?
これからどうする?
なにができていない?
どんなことで不安に思っている?
今、なにがイヤ?
どうして、うまくいかない?
なぜ、やる気がない?

もう、とにかく自問自答だ。

自己啓発みたいに、「やればできるー」みたいな熱さや勢いもない。

ただ、淡々と、黙々と、自分と向き合う。


大人からすると、「いや、それのなにが良いのですか?」と思うだろう。

きっとこの教室は、生徒を増やすことは難しくて、なかなか大人や保護者には良さを理解されないんだろうと思っている。

もう、諦めた。

いや、覚悟を決めたと言えるのかもしれない。

これまでは、「たくさんの生徒が集まる教室にしよう」というキモチと「子どものための教室」という間で揺れていた。

どちらかを立てるとどちらかが立たないようになっていた。

だから、もう振り切って、子どもたちの成長に全振りして、子どもが良いならそれでいいと思うことにした。

生徒を集めないってコトじゃないけれど、ひとまず、集客はおいておこう。
そうやって、子どもの成長だけに集中したことにより、もう、どんどんTRY部はおもしろくなっている。
自分と向き合うことの重要さについてだけれど、思春期ってのは悩む時期だ。

精神科医も「思春期は悩むことが正常だ」と言っている。

僕も中高生のときには、よく悩んだ。とても悩んだ。

けれど、今になって思う。僕は悩んでいることに気がついていなかった。

いや、悩んでいた。一応、悩んでいた。

でも、それは表面上だけだった。

あえてよく分からない言い方をすると、僕は悩むことが足りていなかった。

悩みの本質、奥深いところから目を背け、見ないふりをしていた。

気がつくと、悩んでいるのが当たり前、悩みがあるのが日常になっていった。

思春期がニキビと付き合うように、悩みとも一緒に付き合っていた。

けれど、それは付き合っていたのではなく、放置していたに過ぎなかったのだ。
当時、悩みの対処法も分からなかったし、深く悩む方法も知らなかった。

成長痛のように、「痛いな」とは思うものの、どうしようもなかった。

その結果、悩みは僕の中である日、突然、爆発した。

ヒザに爆弾を抱えたスポーツ選手が無理をして試合に出て、怪我をするように。

中学1年生、2年生と順風満帆で、順調に過ごしていた僕は、中学3年生になって、クラスとの誰とも話さなくなった。

誰にも目も合わさず、誰にも心を開かなくなった。
これまでは、必死で取り繕ってきていた。
人づきあいが苦手だったけれど、なんとかうまくやっていた。

ずっと無理をしていた。

でも、無理をしていたことすら自分で気がつかなかった。

周りに合わせる。周りの空気を読む。人の目を気にする。

無意識にやっていた。

ヒザが「いや、もう動けないよ」と言うのに、「まだ出来る!」と試合に出るように、僕は心を押し殺し、毎日を過ごしていた。

他の人たちには、きっと楽しそうな中学生活に見えただろう。

僕もそう思っていた。

学校は楽しかった。充実していた。

そのつもりだった……。

久しぶりに中学生のときの卒業アルバムを見返すと、自分の顔に愕然とした。

「俺は、こんな苦しそうな顔をしていたのか……」と。
悩みを話せる人がいなかった。
いや、悩みがあるとすら分かっていなかった。

中学生くらいになると、場をわきまえる、空気を読む。

友達にしんどいことや悩みなんて言えるわけがない。

そうなると、苦しいとかしんどいなんてキモチは、ずっと心の奥にしまっていく。

はじめは小さな悩みでも、放置しておくとどんどん悪化していく。たまっていく。
しかし、その小さなわだかまりは、いつか爆発することがある。
ほとんどの人は、爆発せず、うまく発散ができるんだろう。

友達に相談したり、愚痴ったり。

今ならWebで話すなど、いろいろな方法もあるだろう。
でも、やっぱり、ホンネの部分、自分がほんとうに感じていることを言葉にする、文字にするっていうのは、とても難しいことだと思う。

大人ですら、自分のことが分かっていなかったりする。

むしろ、大人のほうが深刻かもしれない。

正論やアタリマエを盾にして、自分自身を納得させる。

どれだけイヤな仕事であっても、「家族のため」とか「働かないと生きていけない」なんて思って、気持ちを押し殺す。

しかし、そうやって心に向き合うことから逃げていたら、やっぱりどこで限界がくるんじゃないだろうか?

そして、子どもは大人に比べて、その許容量が少ない。
一人で耐えることができない。

だからこそ、僕は自分自身と向き合い、心の闇やホンネをちゃんと出すことが大事だと思う。

自分が悩んでいることにすら気がつかないのは、ほんとにヤバイ。
過労で倒れる人は、「疲れた」と感じていないそうだ。

もう、「疲れた」ってことを感知できないくらいに疲弊しているから。

それと同じように、悩んでいることに気がつかない、見て見ぬ振りをするのが、一番危険だと僕は思っている。

ましてや、子どもは相談できる人も少ない。自分で解決できる力も未熟。自分に向き合う方法も分からないんだから。

TRY部で、計画や振り返りをしていくと、だんだん自分のことが分かってくる。

「あっ、自分はこういう人間だな」って。

たとえば、自分が協調性がない人間だって分かれば、人間関係で悩むことが減る。

うまく割り切れることが出来るから。

でも、それが分かっていないで、「なんだか、うまくみんなと合わせることが苦手だなぁ……」と思っていると、いつまでたっても、悩む。苦しむ。しんどくなる。
でも、自分のことが分かってくると、出来ること、出来ないことが見えてくる。

自分が鳥ではなく、人間だと分かっていたら「なぜ、飛べないのだ……」と悩まないように。

TRY部では、コミュニケーションをとにかく大切にしている。

うまくいってること、うまくいっていないこと、すべて話す。

「ここではどんなことでも言える」と生徒たちは言うように、すべて思っていること、感じていることを言う。

「学校行きたくない」「自分に自信がない」「人よりも劣っている気がする」

どんなネガティブなことでも言っていい。

ここに評価はないので、言ってはいけないことなんてなにもない。

言いたいことを、ただ言う。

「友達欲しいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」なんて、きっと学校では言えない。

言ったら、「ん? どうした?」となる。

学校や家では言えない。見せられない。

そんなありのまま、等身大を見せられるのがTRY部だ。

「自分であって大丈夫」と思える場所。
いくら他人から「キミはそのままでいいよ」と言われても、なかなかそうは思えない。

人と比べ、落ち込んでしまう思春期なら、特に。
でも、「友達欲しいんだ」と言ったとき、他の子が「分かる! 俺も友達づくり苦手やわ」「一人寂しいよなー」って共感してくれる人がいると、一人じゃないんだと思えるし、今の自分でも大丈夫だって思える。

TRY部には、自分と向き合える時間がある。自分と向き合う場所がある。

そして、向き合って、「しんどいなぁ」「つかれたなぁ」「自分イヤだなぁ」と思ったときに、話しを聞いてくれる仲間がいる。

「学校の友達とは修学旅行とかイヤだけれど、ここのみんなとなら旅行したい」と生徒が言うように、ここにいるメンバーは、戦友だ。

しんどい人生を一緒に生き、戦っている仲間だ。

僕自身、ここの場所がすごく落ち着く。

子どもたちがどんどん成長していく姿を見るのが楽しくて仕方がない。

自分と向き合い、目標に向けて取り組んでいくことで、子どもたちはたくさんの発見をする。

自分はこんなことが好きなんだ。こんなことが得意なんだ。
こんなところで悩んでいたのか。

自分を知り、理解することで、人は成長を遂げていく。
僕はこれまでずっと、やりたいことや答えは外にあると思っていた。

だからいろんなことをやって、外の世界に答えを求めていた。

でも、そうじゃなかった。

いつだって、答えは自分の中にある。

それなのに、ついつい外に答えを求めて、さまよい歩く。
だから、TRY部では、とにかく自分を大切にして、自分の中に答えがあるんだと信じて、みんな自分と向き合っている。

「絵を描くのが好きだ」
「廃墟が好きだ」
「ポケモンが好きだ」

自分の意外な一面に気がつくことも多い。

自分ってこうだったんだという発見がどんどん出てくる。

新しい自分に出会うことで、おのずと人は成長する。

次の一歩が踏み出せる。
きっとなにしているかよく分からないし、どんな場所かも伝わっていないだろう。

でも、別にいい。

僕が伝えたいこと。

この文章で言いたかったのは、一言だけ。

TRY部、たのしい。

ただ、それだけ。

 

TRY部について詳しくはこちら

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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