不登校の保護者さん向けサポートパックはじめました。

忘れていた。
いや、覚えているハズだけど、記憶の底にしまっていたんだ。
僕は、思わず、泣きそうになっていた……。
先日のこと。
保護者のかたが、不登校向けにおこなっている昼の居場所へ見学に来られた。
そのときに言われたのだ。
「田中さんがおこなっている関わりかたは、ご自身がしんどかったからこそ出来るんだと思います。
こんなステキなところを作っていただき、ありがとうございます」
不意打ちだった。
心の中で、「いや、それは、アカン」と思った。
辛かった記憶、しんどかったことを思い出して、今の有り難さに、胸が詰まった。
「ちなみに、関わり方とかってどこかで勉強したんですか?」
「いえ、独学です。自分が苦しかったときに、心理学とか自信とかに関する本をむさぼるように読んだんですよ」
僕は、そう言いながら、「忘れていたなぁ」と思った。
覚えているハズだけど、あまり掘り起こしたくない記憶で、心の奥底にしまっていたんだ。
見学のかたを見送りながら、あの日々を僕は思い返していた。
中学3年生で心が病み、高校へ行かなくなり、大学生になって引きこもりになった。
大学2回生のとき、インターンシップに参加したのをキッカケにして、少しずつ外へ出られるようになり、意欲も出てきた。
でも、ずっと僕の心にはモヤがかかっていた。
自信が持てない。
常に不安に思う。
よく落ち込む。
外で誰かと会っているときは良いけれど、家に帰るとダメだった。
数ヶ月に1回は、どん底がやってきた。
携帯の電源を切り、テレビも消し、玄関の鍵も閉める。
そして、1週間くらい引きこもる。
引きこもりから脱出したものの、僕の心はいつまでたっても回復しなかった。
なにか悪い物を食べたみたいに、ずっと体は不調のままだった。
僕は、「なんとかしたい」という気持ち一心で、解決してくれそうな本をしらみすぶしに読んでいった。
いったいなにが原因なんだ?
僕のどこに問題があるのだろう?
僕がすがれるのは、“知識”であり、“本”だけだった。
自己啓発本を片っ端から読み、そこにヒントが見つからないと、臨床心理の本も読む。
野口嘉則さんや加藤諦三さんの本は、もうボロボロになるまで読み込んだ。
そうやって本を読みながら、自分のどこに問題があるのか探していった。
特に僕が一番なんとかしたかったのが、“自信のなさ”だった。
周りの友達は、楽しそうに人生を過ごしている。
でも、僕にはどうしても自信を持つことができなかった。
誰かと比較し、出来ていない自分を思って落ち込んだ。
出来ない自分が許せなかった。
“自信”とタイトルにつく本は、ほとんど読んだんじゃないだろうか。
しまいには、哲学書にまで手をだし、僕は泥沼にはまっていった。
本を読んだら解決するなんて簡単なものじゃなく、僕は大学を卒業してもなお自分探しを続けていた。
僕が今の団体が出来ているのは、そうやって、自分自身が血だらけになって得た知識や経験だ。
被験者は、いつだって自分だった。
自分が患者になり、本を読みながら治療をほどこしていった。本を元にして、自分自身の人体実験を繰り返した。
その経験があるから、僕は不登校の子どもたちと関わることができる。
教室や居場所をつくることができた。
だから、僕にとっては、その経験はとても大きかったのだろう。
とても重要な時間だったのだと思う。
僕は、当時のことを思い返しながら、「あれ?」と思った。
「これって同じじゃないか」と思ったのだ。
不登校の保護者さんは、我が子のために、たくさん調べている。
本も読み、イベントにも参加する。
とにかく「なんとかしたい!」という一心で、“知識”に救いを求めている。
この行動は、まさに僕自身がしんどかったときに自分がとっていた行動だ。
同じことがおこっているのだ。
でも、僕はこの方法は、オススメしたくない。
だって、すごくしんどかったから。
なににすがったらいいかわからないから、手当たり次第に本を読む、講演へ行く。
けれど、そうしていくと、余計に迷う。
なにが本当のことで、どうしたらいいのかわからない。
試してみてうまくいったらいいけれど、うまくいかなかったら「やっぱりダメだったか……」と、ショックは倍になる。
僕は、川で溺れている感覚だった。
なんとか浮かぼうとして、流れている木々に必死で捕まる。しかし、流れが速くて、すぐに流される。そうやってもがいている感じ。
辛く、苦しい経験をするのは、僕一人で充分だ。
そんなしんどい思いを、保護者の方々にして欲しくない。
「なにか出来ないだろうか?」と考えて、浮かんできたのが主治医だった。
5年前、僕は、誰も友達も知り合いもいない滋賀へ来て不安だった。
心細かった。
でも、僕を支えてくれたのは主治医だった。
ある日のこと、風邪を引いたので、病院へ行った。
とても親切な先生で、そこから体調が悪くなるとその病院へ行った。
頭痛がひどく、診察してもらうと「スマホのしすぎ」と言われ、体調を崩したときには「キミは疲れがたまると、脳が疲れるね」とも言ってもらった。
まるで、僕の体のことは全てお見通しだよといった感じ。
だから、僕は体調が悪くなっても、心配することがなくなった。
いつでも先生が僕を見てくれると思うと、安心できるのだ。
いつでも見てもらえる。
自分のことをわかってくれるという安心感は、ほんとに大きい。
だから、僕も保護者のかたに主治医のようなサービスをしようと思った。
「いつでも聞いてもらえる」という環境を整えようと思った。
聞くと、カウンセリングに受けたくても予約待ちで数ヶ月待たれることもあるという。
でも、それじゃ遅すぎる。
保護者の方々はスグに聞いて欲しい。
予備校の先生じゃないけれど、「今!」なのだ。
僕の元には、常日頃から保護者の方々から相談や嬉しい連絡がたくさんくる。
「うちの子、学校行けるようになってきましたー!」
「最近、しんどそうなんですけど、どうですかね?」
僕がしんどかったとき、頼れるのは本だけだった。
どうしたらいいのかわからず、とにかく本を探した。
でも、主治医がいればいつでも安心だ。
困っていることを伝えればいい。
そうすれば、適切な答えを返してくれる。
僕は、スマホとPCのしすぎで、“スマートフォンシンドローム”になった。
でも、「頭痛」という項目で調べたとしても、きっとこの症状を自分で診断することは出来なかっただろう。
本を読み、「なんとか答えを見つけたい」と思っているとき、まるで自分の体にメスを入れているように辛かった。
しんどかった。
いつになれば答えが見つかるのだろうかと途方に暮れた。
もう、しんどい思いを誰にもさせたくない。
1人でも多くの人に手を差し伸べていきたい。
心の底から、僕はこのサービスをあなたへお届けできるのを嬉しく、誇りに思っております。